Nobuyuki Takahashi’s blog

Archive for the ‘足助’ Category

足助 BBQ

2010年 6月 25日

4:30 起床。
5:30 自宅を出発。始発の地下鉄に乗り、春日井駅に向かう。
6:20 春日井駅着。大島メンバー井木が私とスタッフ川島を待っている。井木の乗用車でレンタカー屋さんへ向かう。
レンタカー屋では大島メンバー泉が商用車を借りて待機していたところだった。私たちは泉が運転するレンタカーでまずは大学に向かう。今日は先行して井木と泉がレンタカーに荷物を載せて大島に向かうのだ。あまりにも荷物が多いため、私と川島が積み込みを手伝い、送り出す段取りだ。私と川島は今日の夜行バスで高松に向かう。
大学で大量の荷物を積み込む。ハイエースバンの貨物室が満杯になる。
7:00 井木と泉を送り出す。気をつけていってらっしゃい。その後はひたすら仕事。マナーペーパーのレイアウト、ルートマップの手直しをする。
お昼に借りてきたレンタカーに乗り込む。足助病院の職員さんたちとのバーベキュー。病院とアートのコラボレーションプロジェクトで職員と一緒にバーベキューをしているところは全国探してもおそらく私たちだけだろう。病院内での研究会では見られないドクターたち看護師さんたちの素顔に触れる良い機会だ。毎年皆楽しみにしている。16:00出発組と17:30出発に分かれて足助町につく。川縁で炭火をおこし、肉を焼いて食べる。やさしい美術のメンバーと足助病院の職員との信頼関係はこうした「食べる」という時間を共有して生まれていると言っても過言ではないだろう。
私は早川院長と大山看護部長と歓談しながらこの場を楽しんだ。足助病院は老朽化が進んだため、新しい建築の計画を進めているところだ。その計画のなかに私たちやさしい美術プロジェクトもまぜていただく。
20:30 バーベキュー終了。学生たちはまだまだ楽しくやりたいという雰囲気だが、病院職員さんらは明日も仕事だ。「今年もよろしくお願いします。」まるで新年のように挨拶を交わして散会。
レンタカーに乗り込んで帰路につく。今回バーベキューに参加したのは14名。そのうち8割が今年に入ってきた新しいメンバーだ。こころなしかメンバー間も緊張が解け、良い空気感が生まれている。
21:30 春日井駅にメンバーを送り、レンタカーを返却。
22:17 スタッフ川島と名古屋行きのJRに乗る。
23:00 そのまま夜行バスに乗り、高松へ。睡眠不足も手伝って、よく寝られそうだ。

早川院長、大山看護部長、ミンダナオ島から研修にきているお二人。

足助病院研究会

2010年 6月 17日

9:00 出勤。webの新しい構成をラフスケッチでまとめる。
10:30 学務委員会会議。懸案事項が多く、予定より時間がかかる。
13:00 会議終了。プロジェクトルームに戻ると足助行きのためメンバー森が待機していた。12:00に出発予定だったが、しかたがない。
食事もままならないまま出発。車の中で森とディスカッション。母性原理の日本社会は西洋的な男性原理を受け入れてどのような矛盾を抱えているかなどなど…。
14:00 足助病院に到着。
14:30 職員食堂にて足助病院研究会を始める。やさしい美術プロジェクトは6月1日に足助病院の正式な検討機構である文化実行委員会にオブザーバーとして参加することが認可された。このことによりまず文化実行委員会で事前に作品、企画のプランを発表し、研究会でさらに現場サイドから2重に検討するしくみができつつある。今回の森の作品プランは文化実行委員会ですでに提案されたもので、研究会に集まった看護士さんも大枠の内容は掴んでいるようだった。メンバー森のプレゼンテーションは落ち着いていて、安心して聞くことができた。企画書もよく練られており、製作の意図もしっかり伝わっていた。森は演劇の経験があり、声の伝え方を心得ている。
試作を重ねて完成度を高める作品プランで、これからの可能性を感じる。作品はより具体的になったところでこのブログでもお伝えしたい。
17:00 大学に戻る。井木と泉が木工室にごやっかいになってカフェ・シヨルの看板作りに精を出している。浮き出しの文字は手間がかかる選択だったが、圧倒的存在感と高級感。納得だ。来週頭には完成。

カフェの看板は仕上がり間近

研究会の様子

正規の病院内委員会に参加する

2010年 6月 2日

昨日の報告の続きだ。
授業を担当する私の代わりにスタッフ川島が足助病院へ出張。病院内の正規の機構である文化実行委員会に参加してきた。その様子を伝えるため、川島のメールを転載する。
以下
昨日6月1日(火)ついに足助病院文化実行委員会に初参加いたしました。
遅ればせながら報告します。

文化実行委員会とは、足助病院内の正式な委員会で病院が発行している機関誌「あすけあい」の編集を行ったり病院内の文化的な活動や行事について検討する委員会です。
やさしい美術プロジェクトは今年度よりこの委員会に参加させていただけることになり、昨日6月1日(火)が初参加の日になりました。また、昨日は研究会を行わない月に行う、相談日(仮)の初日になりました。

相談日(仮)とは、
今年度から研究会を隔月で行い、研究会が行なわれない月に高橋先生か川島(もしくは両方)が終日足助病院に滞在し、搬入や作品メンテナンス、病院内の調査を行ったり、職員の方から上がってくる意見や要望を聞いて来るといったことをする日です。

今回は、木谷作品「どこでも窓」新作搬入と作品メンテナンス、病院内の調査を行い、16:30から文化実行委員会に参加しました。

「どこでも窓」搬入は夏をイメージした新作「こおろぎ橋」を売店奥の吹き抜け階段3Fに前作「五重の塔」と入れ替えで搬入しました。
その後、展示中の作品全てと絵はがきワークショップキットのメンテナンスを行い、病院内の作品が必要と思われる場所の調査を行いました。いくつか候補を見つけてきたのでまた来週のミーティングで発表します。
文化実行委員会では、やさしい美術プロジェクトが委員会に参加する経緯とメリットについて改めて説明を行いました。
そして
・古川作品「夏の香り」制作状況
・木谷作品「どこでも窓」搬入報告
・森作品「目も耳も使わないおもちゃ『ぎゅっころ』」プラン提案の三つのプランの報告をし、今後文化実行委員会でやさしい美術プロジェクトからどのような報告を行うのかを具体的に示しました。
今回はじめてということもあり、病院からはしっかりとした意見や要望はいただけませんでしたが、今後は様々な意見や要望が病院から上がってくる予感はしました。
そういった意見や要望をうけて、活動はよりいっそう活発なものになっていくでしょう。
以上です。
川島
おつかれ。川島くん。大役だったね。
8年の蓄積は新しい展開を生む。

針葉樹バージョンのMorigami!! デザインは井藤由紀子

足助病院訪問見学会 そしてつながる

2010年 4月 30日

5:30 起床。6:45には家を出る。
8:00 大学に着く。プロジェクトルーム前に車を留め、スタッフ川島にメールを打とうとしたその時、川島の元気のいい挨拶がひびく。いいタイミングだ。しかも、快晴ときた。病院訪問見学会には絶好の日和である。
私の自家用車に機材などを手早く載せ、レンタカーショップに向かう。
8:45 庶務課職員でやさしい美術に参加する村田、高橋、スタッフ川島の3人がレンタカーショップで待ち合わせ。2台のレンタカーの手続きをする。私は自家用車を運転する。
9:15 春日井駅に到着。メンバー集合を待つ。急遽来られなかった者をのぞき16人全員が時間通り集合する。
9:30 春日井駅を出発。新しいメンバー10人は緊張の面持ち。車中交流を深めるよう旧メンバーに伝えてある。
10:45 足助町香嵐渓に到着。まずは足助散策にでかける。例年は6月に実施しているが、4月にこうして新しいメンバーを迎えて足助に来たのは初めてだ。楓の新緑がまぶしい。
11:00 少し早いが、川縁で昼食タイム。心を洗い落とすかのように清らかな流れ、新緑の燃えるような美しさに魅せられ、メンバー間に自然と笑顔がこぼれる。靴を脱ぎせせらぎに脚をさらすメンバーもいる。微笑ましい光景だ。
12:00 香嵐渓から中馬の街並を歩く。足助川に沿って古い蔵が軒を連ねている。香嵐渓は名勝地のため完璧に整備されているが、中馬の街並は整備されすぎず、寂れてはいるけれど趣があり、生活感にあふれている。塩の道と呼ばれ宿場町として栄えた当地に住まう人々の顔がくっきりと見えてくるようだ。メンバーらは足助をすっかり気に入ったようだ。
蔵を改装した本屋兼ギャラリーに立ち寄る。私が小原村に住んでいた頃に仲良くしていた陶芸家木塚博長さんが作品を展示しているのだ。急須が所狭しと並んでいる。急須の製作は手間と時間、技術のいる仕事だ。土、釉薬もすべて異なる故、時間と汗を感ぜずにはいられない。何より繊細なつくりが人柄を表している。
本屋を出るとメンバーからシシコロッケを食べたい、と要望があがる。それならば行こう。イノシシの肉を使ったコロッケを食べに!お肉屋さんがつくるコロッケ、なかなかおいしそう。人数に合わせて揚げてくれるというので15分ほど待つことにする。塀にはイノシシの生皮が吊るしてある。写真を撮ってるうちにコロッケができたようだ。皆揚げたてのコロッケを食べながら足助散策を続ける。
14:00 香嵐渓を出て足助病院に移動する。いよいよ訪問見学会だ。毎年恒例で行う訪問見学会。入院している患者さんにインタビューをすることで病院という「非日常」ともとれる場所が現実感を帯びてくる。病院とは実は「日常」なのだ。
リーダー古川がマナーペーパーを読み上げる。参加メンバーは気を引き締めている。中には「最初、どのように話しかければ良いですか?」「挨拶は病室全体にしたほうがいいですか?」と質問するメンバーがいる。不安になるのは無理もない。いきなり初対面の人にベッドサイドで語りかけるのである。答えは事前に人から教えてもらうよりも、自分で現場に行き会得してほしい。ここからは私の力がおよぶところではない。
14:30 3〜4人組でA棟、B棟に散らばる。私はメンバー3人を連れてB棟2階に行き、4人部屋に入院している女性とお話しする機会をいただく。今日はお二人の入院する病院利用者にお話をうかがった。ここではAさんを紹介したい。
足助近くにお住まいのAさん。家業は農業で稲のほか、野菜を作っている。息子さんは町に出て、今は旦那さんと二人暮らしだそうだ。季節の食べ物、野菜をおいしくいただくコツなど、話は広がる。お話の流れから、息子さんを交通事故で亡くされたことにまでおよんだ。「しょうがないね。」との静かな声に深い悲しみを感じ取ったのは私だけではないだろう。
後に聞いたのだが、ほかの病室では戦争体験、それも大空襲の最中をくぐり抜けてきたお話を聞いてきたメンバーもいた。その方は今まで誰にも話す機会がなかったとおっしゃったそうだ。全くの第三者である私たちが入院している方々から思いもかけないお話を聞く。今ここにいる人々はそれぞれ人生の物語を描いてきた。それを強く実感する。私たちが行っているインタビューは他者の記憶をたどることでもあるのだ。創設当時から8年間継続してきたインタビュー。ここに私たちの原点がある。
16:00 待機場所の職員食堂にインタビューを終えたメンバーらが帰ってくる。皆、言葉が出てこない。でも目を見ればわかる。何かを受け取って帰ってきたということを。
16:30 後片付けを済ませ、病院職員に挨拶申し上げて病院を出る。駐車場でリーダー古川が「今日の訪問見学会で感じたこと、話したいことがあると思います。それらを今度のミーティングで出し合い、共有して次のステップにつなぎましょう!」皆の集中した視線が一斉にうなづく。
レンタカーに乗り込み、帰路につく。3台の車中では、今日起きたこと、見聞きしたことで話題は尽きなかったことだろう。創設当時は大学の通学バスで出かけたことがあった。その当時は帰りの車中で熱く語り合ったものだ。今回は次のミーティングまでお預けだ。
18:00 全員を出発地と同じ春日井駅まで送る。レンタカーを返却し、私と川島はプロジェクトルームに戻る。何度も経験しているけれど、私も川島も心に引っかかる何かを繰り返し反芻していた。平成22年度の病院訪問会は例年に違わず新しい予感に満ちていた。初心に帰る新鮮な体験。

20:30 自宅に戻りエンジンを止めてふと目を遣ると携帯に着信履歴がある。泉からだ。折り返し電話をするとうわずった泉の声。そう、彼女は今越後妻有(新潟県十日町市)の地にいる。夫婦で十日町病院の皆さんと宴の席を楽しんでいるところだったのだ。「先生、皆さん高橋先生の声を聞きたいそうです。」電話のローテーションがはじまる。十日町病院の経営課井澤さん、六日町病院に移動になった泉沢さん、高校の事務長に移動した高橋さん…。皆さん口々に「大地の芸術祭、昨年の夏は忘れられませんよ。」「また妻有に来てくださいね。」とおっしゃる。まるで恋人と電話している心境。これほどまでに、私たちの絆は深いのだ。関わる、ということは始まりがあっても終わりはないものだと感じる。泉はそれを全身で受け止めるばかりでなくそれを楽しんでいる。昨年までスタッフで働いてきた泉はやさしい美術を通して自身が取り組んできたことを「仕事」ではなく「人生」にまで昇華している。
つながりは深まるばかりだ。なんという幸せ。

やさ美相談日 いよいよ病院内へ

2010年 4月 19日

16:00 担当の授業を終わらせ、足早に大学を出る。スタッフの川島も一緒だ。今日は足助病院に行き、今後の研究会の開き方や運営方法、協働の体制作りについて大山看護部長、北村文化実行委員長と話し合う。
17:30 足助病院に到着し、大山さんと北村さんが2階にある看護部長室の前にある準備室に案内していただいた。
早速今日の案件について話し合う。大山さんも北村さんもお疲れの様子だ。というのも足助病院は新しい建物に立て替える計画で、現在院内各部署がスペースの割り振りを検討中とのこと。誰もが最善の環境づくりに邁進している。
今回の相談は新しい病院に生まれ変わることと無関係ではない。私から、研究会の開催回数を2ヶ月に1回程度に減らし、そのかわりに「相談日」を設け、一日やさしい美術のスタッフもしくはディレクター、メンバーらが駐在して院内から意見や感想を吸い上げて取り組みに反映していくというプランを提案した。事前にやさしい美術のメンバーが院内にいる日が確定していて各部署にアナウンスされていれば、現場で働いている職員さんの細やかな配慮や意見を活動にフィードバックすることができる。さらに、病院利用者と作品の関係性をじっくりと現場で検討できるというメリットもある。すでに展示されている作品のメンテナンスが行き届くなど、改善できることがたくさんある。
私はさらに踏み込んだ提案をした。それはやさしい美術が足助病院の規約に則った正式な委員会である「文化実行委員会に参加したらどうか。」というものだ。これを受けて大山さんと北村さんは「委員会でやさ美が参加されれば、より院内に活動が浸透するし、作品の検討が適所で確実に行うことができる。」と歓迎の意向を示された。私と川島はこれまでの8年間の積み重ねの先に実現するかもしれない「病院の日常にアーティストがいる。」という目標がふと現実味を帯びてくるのを感じた。今後は院内の規約の見直しを含めた、やさしい美術のオブザーバーとしての参加を認めていく方向で探っていくことになった。正式に確定してきたら、このブログで詳細を報告したい。足助病院での取り組みは新しい一歩を踏み出そうとしている。

いつもフレキシブルに活用されている「カーテンプラン」

院内に掲示されたチラシ。足助病院のオープンな雰囲気が出ている。

足助 今年度最終の研究会

2010年 3月 12日

午前中に作品「reliance」の取り付け金具を固定する。
11:00 レンタカーを借りに行く。
12:00 プロジェクトルームにメンバー集合。今回の足助行きには名市大の大学院生岡庭さんが同行する。岡庭さんは先日の活動報告会で評価委員を務めた鈴木賢一先生の研究室に師事して、実践研究を重ねている。やさしい美術の活動に興味を持ち、特にメンバー工藤が制作した「カーテンプラン」を観たいと希望があり、今回の同行にいたった。
13:30 研究会の会場となる食堂に荷物を置き、川島と古川が作品のメンテナンスに出かける。私は岡庭さんを連れて院内を見学。内科処置室での古川の作品メンテナンス作業を見せる。光を透過する絵画シリーズ3作目は日光の透け具合、透過しながら見せる色彩の設定、輪郭の処理による絵画空間の際立ち、すべてにおいてレベルアップしている。本人も手応えを感じているに違いない。
14:30 研究会開始。今年度の作品を振り返るとともに今後の研究会のあり方、運営方法、作品案の検討方法などを話し合った。うれしかったのは学生メンバーの確実な成長である。発表がうまくなり、書類も熟れてきて研究会でも余裕が感じられるようになった。私は極力口も手も出さないで、学生に研究会を進行させてきた。時間はかかるけれど、忍耐もいるけれど、学生自身が実感し、手応えを感じることが先決だ。
もう一つうれしかったのは研究会に参加している看護師さんらが「これからは病院からも場所や要望を提案しようと思います。」という声があったこと。「病室での患者さんインタビューはたのしみにしている方もおられます。是非続けていきましょう。」といううれしいお言葉もあった。
足助病院での活動は丸8年である。継続して開拓できたことは数数えきれない。信頼感と目的意識の共有の賜物である。
足助病院は数年後に新しい建物に生まれ変わるとのこと。私には新しいやさしい美術の運営方法の構想がある。より病院利用者に近いところで実践するアート・デザインの活動になるだろう。
前に、前に、一歩一歩進もう。

作品「ユートピアの木」をメンテナンスする現リーダーと旧リーダー

足助研究会準備

2010年 3月 9日

教授会、アトリエ、研究室の引っ越しなどに追われる。しばらくプロジェクトルームを空けていたので、スタッフやコアメンバーと打ち合わせる。
学生、スタッフが帰ったあと、2003年に設置した林治徳制作の「reliance」を修理する。固定方法が稚拙でこのままでは作品のコンディションが悪くなるばかり。過去の固定部をすべて取り外して本体にダボを打ち込み頑丈なベニヤ板に固定する。
3月12日に足助病院研究会がある。今年度締めくくりの研究会だ。それまでになんとか修理を終わらせて、病院に再展示したい。

ダボの打ち込み作業