Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 8月 17日のアーカイブ

呼吸するフレーム1

2008年 8月 17日

私たちの活動は1つの枠組みではもはや捉えることはできない。だからといって「なんでもあり」ということではないと私は考えている。自分の制作や取組みが何をベースに展開しているかは常に自ら問い続けなければならない。その指標の1つとして自分の専門分野がある。
私は現代美術のアーティストである。その専門は彫刻である。極端に聞こえてしまうかもしれないが、私の感覚ではコミュニケーションも造形と捉えている。日本で一般的に彫刻と認識されている、実材を用いた造形表現は、物質感として自分にはね返って来る探求のかたちだ。たとえ、物理的なやりとりでなくとも、実材と深く関わった経験は活きているというのが私の持論である。
「関わる」ということは「関わろうとする主体」と「関わる対象」の双方が変化することだ。自分自身を含めてすべての物事が固定的だとするとコミュニケーションは生まれない。お互いが重なり合う場所がないコミュニケーションはコミュニケーションではないと思う。
彫刻に取組み始めたときは、自分の意図やイメージ、造形的センスに忠実に実材を造形することを目指した。技術の問題か。ビジョンの不明確さなのか。厳密になれば厳密になるほど、実材は思うようにかたちになってくれない。試行錯誤して掘り続けた木彫はすべて木っ端になることもしばしばだった。造形するとはひとつひとつの行為の可能性の枝葉を見極めながら選びとっていく作業でもある。その道は険しく、アスリートが自らの身体をモニターし、完成度を高めていくのと似ていると思う。自然素材を制作者のおもむくまま単なる素材として扱ったならば、私は永遠に素材を破壊しつづけたことだろう。素材の方からこちらに語りかけてくることがあると気付いたとき、私の中の「造形」がぐっとひろがりを持ち始めたのを覚えている。自分の感じ方、自分の考え方、自分の世界観。それらは常に外部との接触にさらされ、呼吸している。換言すれば呼吸とはつながりのことである。
やさしい美術のプロジェクトメンバーは様々な美術分野、デザイン分野の有志で運営されている。病院と言う現場を得て、それぞれの専門性が必要に迫られて高められていく。一方で専門性を横断し、時にはグループワークで企画されるものが生まれている。
プロジェクトは様々な能力が呼吸し、やわらかに関わりあう。