Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 8月 27日のアーカイブ

モデリング

2008年 8月 27日

彫刻の世界では彫塑、塑像、肉付けする立体造形手法をモデリングと呼ぶ。私は浪人生のころ、自宅の近くに住んでいた彫刻家 原裕治氏から「モデリング」を教わった。朝5時前には原氏の自宅兼アトリエのある宅地造成地に行く。私はひたすら造成地のデッサンを描いていた。その後原家の飼い犬の散歩を終わらせるころ、原氏は制作にとりかかる。日中はほとんど彼の作品制作のお手伝いをするのが日課だった。日が沈みかける頃、原氏から時間をもらい、石膏像を造成地のど真ん中に置き、猛スピードでデッサンする。そう、日中は石膏像は白浮きしてしまい、とても描き留められるようなものではない。何度か試みたが紫外線で目が真っ赤になるのがおちだ。だが、夕方のまどろみのそのひとときだけ、かたちがはっきりと目の前に立ち現れてくる。ギリシャ彫刻の多くは石切り場から切り出された大理石を白日のもとに石工たちが鑿をふるったに違いない。その時間帯にほんの少しだけ、石工たちが見ていた日差しが感じられる気がするのだ。石膏像はアトリエの中の蛍光灯の光で見るのではなく、外に置き自然光で見るべきだろう。
私は木材や石材の中から形態を掘り出していくカービングよりも、何も無いところから肉付けしていくモデリングが好きだった。私は粘土によるモデリングで友人の首像制作に一気にのめり込んでいくー。そこにあるべきでない手前の一掴みの粘土を的確に取り出し、背後のあるべき場所に、その「量」を置く。手前と奥、下と上の対応に沿ってモデリングを繰り返していくと首像の表面をつかさどる 螺旋(らせん) のダイナミズムが現れて来る。対象の奥にひそむ別の法則をみつけるような高揚感がそこにはあった。
この二日三日、プロジェクトの様々な必要書類の作成に追われている。無理もない、シンポジウム、トリエンナーレの計画、空家プロジェクトの段取り、足助病院、小牧市民病院への対応、すべて同時並行で進んでいるのだ。
それらの書類作成はここを削ったり、あるところを盛り込んだりで、これもまさにモデリングだ。美しい書類というものもやはり存在する。
原裕治氏が亡くなってもうすぐ1年が経つ。あの人はモデリングの達人だった。