Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 9月のアーカイブ

制度

2008年 9月 11日

どん兵衛/高橋伸行

どん兵衛/高橋伸行

せい‐ど【制度】社会における人間の行動や関係を規制するために確立されているきまり。また、国家・団体などを統治・運営するために定められたきまり。(大辞林より)

私たちをとりまく、様々な「制度」は私が生まれる前からずっとあり続けたものもあるし、最近できあがったものもある。「制度」は実は社会的に認知されているという意味において書面の一字一句まで定められているきまりごと・しくみの他に、従わなければならない事柄や一般的な常識のことをさすこともある。この広義での「制度」について考察し、アクションをおこしてゆくことは私のライフワークでもある。というのは「私」という個人そのものが生まれもって制度化されており、それによって私の意志に関係なく、外部から保護されたり、時には苦しめられたり、閉じ込められたりするからだ。私なりにまじめに生きようとすると、常にこの見えない壁に衝突する。
私は制度を破壊するアナーキストではない。ただ、制度が成立している根拠を置き去りにして、それを闇雲に振りかざしてくるような私への攻撃(いささか被害妄想ではあるけれど)に対して徹底抗戦しているだけである。私は制度のなかで生まれ、制度の中で育ち、私という存在が制度化された人形(ひとがた)であることを忘れてはならない。でも制度の内にじっとしているのは耐えられない。制度に向き合うということは先人が取組んでいた泥人形にあらたに私が一手を加えるモデリングであってほしいと願う。

筋肉まりまり

2008年 9月 9日

私が芸大受験のため浪人している頃のこと。
私は一時期、引っ越しのアルバイトで汗を流していた。アルバイトの身、そこそこ働けばいいのに、私は鬼気として働きまくった。なので「おまえはよく働く」と言われ、シーズン中は日に3〜4つの現場に回されたこともある。それもきつい現場ばかりだ。マンションは5階以上あるとほとんどエレベーターが設置されている。私がよく行く現場は4階建てのマンション、重量級の家具から電化製品まですべて階段で担ぎ上げる。
ある現場でのことだ。アルバイトは私の他、筋肉まりまりの明らかにボディビルダーといった屈強の男が意気揚々とやってきた。私の二の腕は相当太かったが、彼のはさらに太くまるで太ももが腕についているように膨らんでいた。現場について早速荷を運ぶ。ボディビルダーくんは荷物を持つたびに「はぁーっ!」と力み、こめかみには血管が浮き出す。それならまだしも、ボディビルダーくん、持久力がなく敢えなくダウン。筋肉が在るために筋肉をつけていても、役には立たんのよ。
思えば、たくさんの肉体労働をした。その中で私が印象に残っているのは、岡崎の石材屋で働いていたある日のこと。初老の職人さんと現場に行った。恵那の錆び石をランダムに積み石垣を作る仕事だった。「こやすけ」と「石頭(せっとう)」で石を割り、組み合わせ、積み上げていく仕事だ。これが、結構むずかしい。職人さんはまるで石の筋が見えているかのように見事に打ち割っていく。私が10たたくところを5、6たたいて仕上げていく。聞けば14の頃からずっと石を彫ってきたそうだ。彼の手は無骨で使い込んだグローブのようだった。美しい身体(からだ)とはこういうものだろう。繰り返し繰り返し、その日を生きるために酷使してきた身体(からだ)はボディビルダーの筋肉のように風船のように膨らんだりはしない。
私は今もあの職人さんを尊敬している。腰は曲がっていても、超かっこよかった。そして、ヘタクソな私にも笑顔で応えてくれ、とてもやさしかった。

新しいことが始まる

2008年 9月 8日

朝、自宅でコーヒーを飲みながら、ふと思った。
「なんか、配置がえしたくなってきた。」とつぶやくと、
「家の模様がえとか家具の配置がえをしたいときって、何か新しいことを始めようとしているときだそうだよ。」と奥さん。確かに今いろいろと新しいことが進行していると思う。プロジェクトでも新しいことが、私にとっても新しい試みが始まろうとしている。
午後にカフェ・パルルに行く。N-mark主催で行なわれるアートサミット@8に参加するためだ。とはいっても私は一オーディエンスとして参加し、スタッフの伊東がプロジェクトを代表して発表する。伊東がやさしい美術プロジェクトの参加アーティストとしてどのようなことを感じてやってきたのか、プレゼンテーションすることになっている。美術館学芸員、オルタナティブスペースの運営者、webでの評論活動者など、様々な切り口の活動はどれも地道(もちろん前向きな意味で)。それでいて起爆剤になっていく予感を感じさせるものも多く、名古屋のアートシーンも捨てたものではない、と感じた。問題がないわけではない。この名古屋という地域がもっている散漫な状況や瞬発力をそぐような土壌も否定できない。そうした中でも何かを発信し、何かアクションを起こしていくモチベーションの高さが求められるだろう。
発表者や会場にいる来場者には何人かが、かつてプロジェクトメンバーだった人もちらほら。休憩時間にはじゃれたりしながら雑談を楽しむ。そうそう、私が所属していたバンド「ジッパーズ」のメンバーも一週間前に結婚したとか。
伊東のプレゼンテーションはシンプルでよくまとまっていた。5分という限りのある時間で要旨をまとめるのは簡単ではない。私もプロジェクトの発表をしていつも感じるのは、場所が特殊であるだけに、「病院アート」「癒し系アート」と紋きり状に解釈されてしまったり、現場で起きていること、現場の空気感、緊張感がなかなか伝えられない、もどかしさだ。今日、伊東もそれを実感したことと思う。
サミット終了後、サミット参加者とともに食事へ。次回サミットは具体化しなかったが、近い将来に向けて何かが始まる予感があった。
僕が応援しているカップル(旗振るぐらいしかしていないけど…)が結婚を決めた。帰り道で「おめでとうございます。」と声をかける。
新しいことが、始まる。