Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 9月 27日のアーカイブ

流れ

2008年 9月 27日

美しい生活展でのインスタレーション/高橋伸行

美しい生活展でのインスタレーション/高橋伸行

自宅近くに天白川が流れている。私は時々その流れを見に行く。
「川の流れ」について考えをめぐらすと脳内がなんとなく整理されてくる気がする。一時期を過ごした小原村のスタジオチキンハウスの傍らにも小さな沢があった。そこに住む間、流れの響きは途切れることがなかった。今思えばすばらしい経験だ。
川の流れには川の流れを「決定づける」ものと、自ら「流れる」水がある。私たちはその流れのほんの一瞬に立ち会っているに過ぎない。とめどない流れを注視すると、目の前を通り過ぎていく物質とは対照的に流れは一定のフォルムを保っている。それはまるで「このように流れたい」という意志の現れのように感じられる。すこしその流れから距離をとって再び流れを視てみよう。流れを決定づけるものが視界に入ってくる。川床の小石、岩にはり付く藻、長い時間をかけて溜まった洲…。流れはそれらのすべてを嘗めながらたおやかな変化を現している。
人の生活空間とはこの流れを決定づけるものと流れることとの関わりで成り立っているのではないか。建物の中には予期しないくぼみや役目のはっきりしない「間(ま)」がある。時にはそこに住まう者が手を加えた痕跡もある。人の空間体験はそうした間のすべてに行き渡り、自ら流れようとする意識がはたらく。
私たちの病院での試みは既設の建物に関わるものだった。すでにある流れを決定づける場にアーティストやデザイナーという流れを注ぎ込むようなものだ。繰り返す搬入、搬出によって私たちの意識は水のようにどのような隙間も見逃さないほど研ぎすまされてきたと思う。
私たちが新しく設計し、建てられる病院と関わるとしたら、流れを決定づけるものと流れの双方を有機的に創出していく視点が求められていくことだろう。人の意識の流れがよどみなく流れ、リズムを与えるような「間」が存在する空間。その準備はすでに始まっている。