Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 11月 1日のアーカイブ

瀬戸内大島 訪問

2008年 11月 1日

廃校になった小学校グランドは緊急時にはヘリコプターが降り立つ

廃校になった小学校グランドは緊急時にはヘリコプターが降り立つ

7:20 発達センターちよだスタッフ井木と名古屋駅新幹線改札口で待ち合わせる。
今日は瀬戸内大島を訪問する日だ。新幹線に飛び乗り、岡山経由で高松に向かう。
10:30 高松駅に着く。薄曇りで海の上はかすんでいる。高松港の桟橋まで歩いて5分。官用船が来るのを待つ。ここで高松市国際文化振興課の高橋さん、住谷さん、そして香川県にぎわい創出課の今瀧さんと待ち合わせる。妻有アートトリエンナーレ企画発表会でお会いした山本さんは所用があり大島に行けないかわりにわざわざ見送りに来てくれた。
11:10 定刻通り官用船まつかぜが出発。船内でお互いに自己紹介する。
11:30 瀬戸内大島に到着。大島青松園の事務長森さんが船着場で出迎えてくれる。「今日は大島を出るまでお供しますよ。」という心強い言葉。青松園の事務室でハンセン病の国立療養所である青松園の歴史と現状についてさくさくと説明を受ける。現在入所者は122名、平均年齢は78.9歳とのことだ。大島に住む入所者の皆さんは平均して50年という長い年月をここでずっと過ごしてきた。最長の方は8歳のときに大島に連れてこられ、以来80年もここで暮らしているそうだ。年月の重みだけでも私の想像の域を越えている。
お昼になり、職員食堂に行き、ハンバーグ定食をいただく。
食後に庵治第二小学校を見る。昨年3月に廃校になったばかりだが、人気がない学校はやはりさびしい。
事務長さん直々の案内で大島の設備をまわって行く。62haの小さな小さな島にはありとあらゆる宗教の教会や堂がある。島の中に小世界が詰め込まれている。この島でしか見られない光景だ。ミニ四国八十八ヶ所が島の散歩コースとなっているが、入所者の皆さんの高齢化が進み、廻っている人をだんだん見かけなくなったとのこと。私がよくお手伝いに行っていた知立お寺遍照院に「お砂ふみ」と呼ばれるミニ八十八箇所めぐりがあったのを思い出す。
納骨堂に行く。ハンセン病を患い、ここ大島に強制隔離された人々は家族、社会と断絶され、ここで一生を終える。静かに事務長森さんが納骨堂の扉を開ける。八角形のお堂はぐるりとガラス張りになっていてそれぞれのお骨が並んでいる。手を合わせ、お骨ひとつひとつと対面する。お骨は亡くなられた順にお堂の一面一面を埋め尽くしている。最後の一面が残されている。この一面の重みを噛みしめながら、納骨堂を出る。
ご遺体は島の外に出ることはない。すべて大島内で青松園の職員さんの手によって火葬される。
大島会館に行く。ここは慰問に来た人々の公演や、カラオケ大会などの催しが行なわれる、コミュニティースペースだ。金曜日の今日は13:30〜15:30の2時間のみ、臨時喫茶室が現れる。私は昨年の訪問時にこの喫茶室が入所者の皆さんの好評だと聞いていたので、行きたかった場所だ。少しのぞいてみるが、時間が少し早いのか、だれにもお会いできなかった。大島会館の前で偶然昨年の自治会長山本さんとお会いする。気さくな人柄はお変わりなく、再会をよろこぶ。
自治会長森さんと副会長さんが今日のために時間をとっていただいた。自治会の会議室に通され、ざっくばらんにお話をする。私の方から、定期的にやさしい美術プロジェクトのメンバーが大島を訪れること、インタビューをさせていただきたいこと、企画や作品制作を入所者の皆さん青松園の職員の皆さんと協働で行ないたいことなどをお願いした。瀬戸内国際芸術祭にむけて一般に公開していくことを大島の皆さんは了解しているだけでなく、期待感をもって迎えて行きたいという積極的な空気を感じたのが何よりもうれしい。私からは前回の妻有トリエンナーレでは非公開でプロジェクトの取組みを行なった例を挙げ、「大島の皆さんと一緒に考え、一緒に表現し、大島全体から外に向けて発信するようなプロジェクトにしたい。」という希望をお伝えした。あせらず、じっくりとやっていこうと思う。
その後、自治会長森さんも同行して、外来治療棟、病棟、リハビリテーション棟、をまわる。
目の不自由な方、介護が必要な重度の後遺症が残る入所者の皆さんが住まう「不自由者棟」にも通してもらう。まず、廊下の質感におどろく。滑り止めが徹底的に施されている。天井からは手摺が吊るされ、すべての部屋に向けて伸びている。居室は清潔感があり、徹底して整備されている。「現在の整備された施設を見ていると、強制隔離していた時代が見えてこない。」と事務長森さん。確かにそうだ。ぬぐい去られた遺構や痕跡。濃密な美しい自然をたたえている島の姿とは対照的に建物や道路はあまりにも無機質な印象を受ける。
陶芸室にも通していただく。土練機からは黒褐色の土がのぞいている。粘りのあるいい土だ。この土は大島で採れた土。「島が表現する」ヒントの1つになりそうだ。
気がつけば帰りの船の時間が近づいている。事務長、自治会長の皆さんの案内がなければ見ることのできない、大島の設備の隅々までご案内いただき、次の展開につながる多くの啓示を受けた。大きな収穫だ。
16:00 一日ご案内いただいた事務長森さんにお礼をいい、船に乗り込む。
高松港に着くまでの間、香川県と高松市の職員さんたちと今日の成果について意見交換する。やさしい美術プロジェクトの大島での活動の社会的意義、地域にとっての重要性、国際芸術祭で世界に発信すること。何かが起き、何かが生まれる予感がわたしたちを包む。話をしていると高松市、香川県の職員さんたちの地域を愛する気持ち、情熱がじわりと伝わってくる。
きっと また 奇跡は起きる。