Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 11月 12日のアーカイブ

山川冬樹さん

2008年 11月 12日

愛用しているベトナムの口琴

愛用しているベトナムの口琴

今日は私の運営するアートプロデュースコースに特別講師として山川冬樹さんを招いた。
山川さんはホーメイ(トゥバ共和国の倍音歌唱法)を駆使したライブパフォーマンスなどで今、最も注目されるアーティストの1人である。ホーメイが彼を比類ないアーティストにしていることは確かだが、ホーメイだけで彼を語るのは充分ではない。心臓の鼓動を呼吸で意のままに操り、意識と無意識の間を行き来する姿は現代のシャーマンである。しかも、それらのパフォーマンスにはコンピュータなどのテクノロジーが無理なく組み込まれている。現代と伝統を往来するアーティストでもある。
私が初めて彼のパフォーマンスを観たのは4年前六本木のスーパーデラックスでのこと。まるで山川冬樹の内臓の触手が彼の身体から放射されて浴びているような感覚だった。ロックなテイストも私の好みだった。ジミ・ヘンドリックスのようなかっこよさ。「なんなんだ、こいつは」というのが私のファーストインプレッションだった。
もう1つ私がその時強く感じたことがある。それは浮ついていない、確かな手応えのようなもの。彼から発散されている情念の背景にある「業(ごう)」を感じたのかもしれない。
山川さん本人がそのように説明したことはないが、彼の亡くなられたお父上の存在が表現の根幹の大きな部分を形成していると私は思う。公共のメディアで声を乗せる仕事をされていた彼のお父さんは食道がんを患い、声を失った。声を発する、声を伝えることをかたちは異なるが、山川さんが独自に開拓した方法で再現しているように思う。
山川冬樹さんのアートのジャンルは1つでは捉えにくい。巷のアーティストがジャンルを土俵にいかにブレイクスルーしていくかしのぎを削っているのに対し、山川冬樹のそれは誰も立っていない地平からすくっと立っている。その凛々しさが私はかっこいいと思う。参加した学生は、授業終了の頃には「山川冬樹ファン」になっていた。そりゃそうだわ。