Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 11月 14日のアーカイブ

天井

2008年 11月 14日

私たち人間は普段二足歩行で地面から直立して生活している。建築は重力の向きとは真逆に垂直に立っている。多くの建物の窓枠は垂直と水平の組み合わせで、絵画の基本形もそれにならう。人間社会はこれが基準である。垂直と水平の連続なのだ。まるでモンドリアンの抽象絵画のように。
病気になったり、怪我をする、障害を持っているなどから、人はまっすぐに立っていられなる。垂直水平のロジックがとたんにがらがらと崩れていく。
私は以前、よくキャンプに出かけた。キャンプ場などの整備された施設にテントを張らないのが私のポリシー。なぜなら、整備されていない場所でテントを張る場所を見つけることにたくさんの発見があるからだ。
まずもって森林のような人の手がほとんど入っていないような場所では水平の場所は皆無だ。なんとか横になって寝られるスペースを見つけなければならない。もう1つのポイントは水である。雨が降ってきた時に水は何処を流れるか。当然水は高いところから低いところを流れる。周囲の一番低い窪みではまずい。とはいっても理想的な場所はそうは見つからないので、工夫もする。テントの周りに溝を切り、雨が降った時にテントの中に水が入らないようにする。水平に整地されて側溝が整備されているキャンプ場では、このおもしろさは結して味わえないのだ。
話を戻そう。私たちは確かに直立した存在である。それは人間が人間たる証であることは間違いない。しかし、人は病気にもなるし、怪我もする。横になることもあるし、何かに寄りかかっていることだってある。人はいつかは死を迎える。直立不動で死ぬ奴なんかいない。まっすぐに立っていることと同じように「横になる視点」があるはずなのに、どうしてここまで排除してきてしまったのだろう。ふと周辺を見渡すと、垂直水平の力学のみが感覚に飛び込んでくる。
足助病院で知り合った若手のアーティスト河合正嗣さんは先天性の病気である筋ジストロフィーを患い、ほとんど動かない手で鉛筆を走らせ、笑顔の肖像画を描き続けている。彼は普段、大半の時間をベッドに横になって過している。絵を描く時だけは垂直に立てた椅子に体を縛り付け作業にとりかかる。河合正嗣さんとお話ししていた時に、彼は「一日のほとんどを天井を見て過している。とても重要なことだけれど、まったく配慮されていない」という話をした。それまでぼんやりと考えてきた、新しい課題が確実のものになった瞬間だった。「天井をなんとかしよう」
病院には垂直水平も必要だが、円形、放射状、曲線の連続がより必要とされる場所だ。病院の中ではまっすぐに立っていられない人のほうがずっと多いのだ。そして垂直に立つ壁と同等に天井を考えるべきである。今年は小牧市民病院でこの「天井」という課題に挑んでいるところだ。