Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 12月 3日のアーカイブ

シンポジウム ひとり、考える

2008年 12月 3日

シンポジウムが終わり、一息つく間もなく今週は新潟妻有へ。来週は大島に行く。
シンポジウムはおかげさまで、好評を得た。パネラーや基調講演者、スタッフ、学生、職員に恵まれ、満を持してかっちりと開催できた。不満はない。それでもなお、考えさせられたこともあった。
あるきっかけで友人が私に強く抗議した。それは私にとって思いもよらない反応だったが、今は大変重要な指摘をしてくれたと感謝している。
シンポジウム、特にディスカッションが内も外もなく「開かれたものであったか」
私は社会的な場としてシンポジウムを実施した。それは自ずと「迎える側」と「迎えられる側」、「おもてなしする側」と「おもてなしされる側」、「開催者」と「観客」という関係になる。今回私は質疑応答をできる限り「外」の人が話せるよう、あるいは話せるような空気を演出するように試みた。それは成功していると思う。もちろん間違いでもない。
しかし、落とし穴もある。時間、空間、コストの制約の中で、予定調和的な内輪話のお披露目会に終始しまわないか。この方法で参加者全員が同じ土俵で議論し、内と外の関係を越えて新しい知己を得ることに結びつくだろうか。
最近、演出されていない、ある種無防備なシンポジウムを見かける。主催者は特におもてなしの姿勢は見せず、広報もろくにせず、客人を迎えるそぶりさえ見せない場だ。会場には椅子さえ用意されていない場合もある。このようなシンポジウムは時間の制限を設けず、ノンストップで議論を重ねる場合が多い。私たちが行なったシンポジウムとは真逆な姿勢。この姿勢のあり方も今はなるほど理解できる。(やる気がない、というだらしなさの場合は論外だが)「参加する人は参加すれば良いし、帰りたい人、気が乗らない人は議論に加わらなければ良い」ということだ。最初から内と外を設けないということである。これも落とし穴がある。来場者にそのあり様が了解されていない場合、失礼だと感じたり、だれに向けられた議論の場か判断がつかないケースもある。いつまでたっても当事者の発言に行き当たらないのだ。
話は変わる。村でのことだ。
私の住んでいた小原村の「寄り合い」に行くと、いろいろな話をお年寄りから聞いた。昔は多数決という習慣は無かったそうだ。何を決めるにも全員一致。そのための「ねまわし」「長老のお話」などを経て長引くときは一月もかけてずっと議論したそうだ。信じがたいが、全く途切れずにだ。途中に農作業のある人は家に帰る、残れる人で議論を続ける。いつ議論に戻ってきても良い。話はリレーされ、了解されていくー。すべてが「内」なわけだから、そもそも「外」「身内でない」ということは存在しない。
こんなことは現代では不可能だ。社会の構造とスピード感があまりにも違いすぎる。
極端な想像をしてみよう。
全世界の人々に「シンポジウム」の参加を周知する。一人残らずだ。そして、話し合うテーマと話し合う場が完全に開かれていて、誰もが参加できる。この際、個人的な用事、経済的問題等はすべて解決した上で、だ。
いよいよ「全世界シンポジウム」を開催する。偉いと言われている人も、国が違う人も、こどもも、おとなも、男性も女性も男性らしい女性も、女性らしい男性も、どんな人も発言し、それに反応し、共感し、反発し、果てしなく議論を繰り返す。
こんなめちゃくちゃなディスカッションはむろん存在しない。でも、開催できたら、きっと最も根源的で、普遍的な何かをぼんやりと全員が共有できるのではないか。そんな想像をしてみる。ほとんどの事は解決する知恵が編み出せるだろうし、すべての問題は解決するだろう。
現実はそれどころでない。問題は山積みだ。全世界の人々全員に声をかけること、たった1つさえ、私たちは全うできないのだ。
私たちの生きる社会は生き急ぎすぎているのかもしれない。まるで、バグだらけのコンピュータソフト。すべての問題が解決する前に新しいソフトが発売されるかのように。
そんなことを、ひとり、考える。