Nobuyuki Takahashi’s blog

2008年 12月 30日のアーカイブ

なんか、おちつかない

2008年 12月 30日

年末。やさしい美術の作品搬入で大晦日までかかったこともある。授業が終わっても仕事はたくさんある。
大学の教員になる前はお正月はお寺のお手伝いをしていた。学生の頃は知立の遍照院、小原村に移り住んでからはだるま寺で年を越した。大晦日は除夜の鐘をつき、お参りに来る人々におみくじ、お札を出すのに追われる。年始のおつとめは数時間におよぶ。お経を聞きながら年が明けていくのもこれはこれで風流だった。
さて、今年は26日の足助病院でのワークショップが仕事納め。その後はどうか…。
やっぱり、なんかおちつかない。

誰もいないプロジェクトルーム。誰も来ないのでやり残した仕事に集中。

誰もいないプロジェクトルーム。誰も来ないのでやり残した仕事に集中。

27日は残っていた仕事を終日こなす。そして大事な奥さんの誕生日。仕事のあと家族と合流して、洋食屋さんでご飯を食べる。
28日、昼は撮りためた写真のファイリング、ネガのチェック、プリントする候補の作品を選定する作業。撮影した時の空気、光、時間を体はしっかと覚えている。じっくりと写真を選定しながら、その瞬間の記憶をたどる。旅に出かけたような充実感にひたる。
夜はNHKのディレクター西川さんから映像上映会に誘われ、覚王山「山山堂」へ。西川さんとは私たちやさしい美術が関わる足助病院で知り合った。足助病院の患者さんで、アーティストの河合正嗣さんを2年間にわたって取材し、ハイビジョンドキュメンタリー「僕たちが生きてること」を制作した著名なドキュメンタリー作家だ。河合正嗣さんは先天性の難病、筋ジストロフィーの進行のなか、ほとんど動く事のない手で110人の微笑みの肖像画を制作している。昨年の夏には足助病院全体を展示会場にして河合正嗣さんの個展をやさしい美術プロジェクト、足助病院のプロデュースで行なった。その時のことものちのブログに書こうと思う。上映会に話をもどそう。西川さんはNHK内外でこれまでNHKが制作したドキュメンタリーを独自の切り口で選び、上映会を開き、ディスカッションを行なっている。最近は居酒屋兼ギャラリーの山山堂で定期的に上映会を開いている。今回は「年忘れ」と銘打ち、午後3時から夜中までぶちぬきで上映とのこと。ゆふいん&山形映画祭の清水さんも多くの映像作品をたずさえて参加されている。特に印象に残ったのはNHK特集「命燃えつきる時~作家檀一雄」という作品だ。長編小説「火宅の人」は作家壇一雄が肺がんに冒され、病院のベッドの上で亡くなる直前まで口述筆記で執筆され完成したものだ。ドキュメンタリーのなかで口述のテープが流れる。痛みに耐え、時折もつれながらも気丈に一言一言に集中する様が伝わってくる。ここまでして、人は何かを残そうとするのか。燃焼し尽くそうとする作家の魂を感じずにはいられない。さらに、このドキュメンタリーを制作したNHKのディレクター片島さんはほんの数日前に食道がんで亡くなったとのこと。西川さんが病床にいる片島さんを見舞い、上映のゆるしをもらったその矢先のことだったそうだ。「おもいのほか、はやく逝ってしまわれたので、追悼上映となってしまいました。」と西川さんが粛々と紹介するー。

壁に穴を開けたところ。キッチンにいる母親の背中が見えるはず

壁に穴を開けたところ。キッチンにいる母親の背中が見えるはず

29日長男慧地は実家に遊びにいったきり、帰ってこない。そこで、台所の囲い壁に窓を作ることにする。息子が居る間は遊びに誘われるので大工仕事は不可能。この時とばかりにホームセンターで材木を購入し、一日大工仕事で汗を流す。細かい造作作業なので時間がかかる。我が家の台所は入り口の他は壁に囲われているので閉塞感がある。こどもたちがキッチンにいる母親の背中を見られないのが、私はずっと気になっていた。目線は会わなくとも背中を見る事はとても大切。
夜8時窓の木枠を納めて、完成。明日帰ってきた息子がこの窓を見て何て言うか楽しみだ。
こうして例年にもれずあわただしく年の瀬は過ぎて行く。