Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 1月のアーカイブ

中身が入れ代わってゆく

2009年 1月 3日

杉板で製作した分別ゴミのひきだし

杉板で製作した分別ゴミのひきだし

私が住むマンションは亡くなった兄の持ち物だ。私はその遺された住まいを私の家族と使っている。
私たちが育った時代は高度成長期真っ盛り。私の父はとにかくひたすら働き続けた世代だ。私の身の周りは新しいものばかりだった。何もお金持ちだった、という意味ではない。父や祖父の代から受け継がれて、ずっと傍らにあり続けたようなものはほとんどなく、身の回りの日用雑貨は時代が矢継ぎ早に繰り出す、「新しさ」そのものだった。
私たちのこども時代の服は、兄弟があれば当然「おさがり」である。今のようにフリーマーケットやディスカウントショップはなく、頼りは兄弟、親戚だった。もちろん、古着をおしゃれに着るという文化もなかった時代だ。
住まいは「箱」であるが、箱の中身は時代とともに、つまり住まう者によって入れ代わってゆく。理想の生活に合わせて、その外身である住まいの「箱」を作る事はよっぽどの富裕層でなければ実現しない。あるものをうまくつかってゆく知恵。それは今までやさしい美術で取組んできた、既存の病院建築に付帯して作品を考えていく方法につながる。では、新しい病院をつくる場合はどのような発想が提案できるだろうか。現在、熟成させているところだ。
さて、我が家の台所の分別ゴミのひきだしと棚ができあがってきた。私の奥さんがよろこんで使ってくれるだろう。
私のとどまるところを知らない設置欲と搬入欲は我が家でも満たされてゆく。

みぢかな空間プロデュース

2009年 1月 1日

手前は今日製作した本棚。上の開口部は新たに増設したキッチンの小窓

手前は今日製作した本棚。上の開口部は新たに増設したキッチンの小窓

元旦。家族で近くの私の実家に行き、年始の挨拶と恒例のすきやきパーティー。
その後は長男慧地の本棚製作にとりかかる。
息子は来年小学生になる。たぶん、3月、4月は私がプロジェクト活動、コース運営の準備のため、身動きが取れないと予想され、入学前の準備はこの正月の間にやってしまおうと思っている。
落書きだらけの中古品のデスク、台所の壁の窓、そして本棚。実は息子が自分の時間を持ち、家族から一定の距離をとりつつも、お互いの視野に違和感なく入ってくるような、空間プロデュースを目論んでいる。
あまり、意図的になってはならない。お互いに何かを強いるような空間ではなく、お互いの余白が重なるような「ゆるさ」も必要。
私たち家族の住む空間はけっして広くはない。したがって、この制限ある空間の中でひしめき合わないような発想が要求される。我が家の場合、「自分の部屋」はない。自分の部屋を持とうとすれば、部屋数が必要だが、我が家では到底適わない。そこで、発想の転換。なんとなく、自分がいる事の多い領域を持ちつつも、どこにいても良いし、遊びや仕事も片付けさえすればどこでもよい、そんな空間にすることにした。普段はそれぞれのテリトリーの領域はあまりタッチしない。任せたり受け入れた方が良い場合がある。特に夫婦は結婚するまで、別の家族として暮らし、生活のリズムも環境も違うのだから、自分の世界の構築の仕方で相手を染めようとしてもうまくいかないこともあるのだ。でも空間プロデューサーは要る。全体の住まい空間が上手くかみ合わなければ、抜本的に配置換えをしなければならない。その時が私の出番だ。
これは、なかなか鍛えられる。家族の成長を見ながら、そして近い将来をイメージしながら、物を配置し、人の流れを創っていく。光の入り具合、照明の落とし方、風の通り具合、調理から食事の流れ…生活のありとあらゆる営みが絡み合う極小社会のプロデュースだ。
ふだんあまり自宅にいることのない私だからこそ、この正月の間にやっておかなくちゃ。明日は奥さんの実家に挨拶後、キッチンの整理棚に着手する予定。

今、この時に

2009年 1月 1日

スタッフ赤塚が企画したコラージュによる絵はがきワークショップ。

スタッフ赤塚が企画したコラージュによる絵はがきワークショップ。

今、この時にやっておきたい事を実直にやって行きたい。体の芯から、細胞のひとつひとつまでが反応する、そこに集中して行きたい。
たくさんの人々と語り合い、協働し、支えられてやってきた一年。みなさんの新しい一年も健康で、事故のないよう念じてー。