Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 2月のアーカイブ

モビールプラン

2009年 2月 4日

2月4日17:30〜小牧市民病院小会議室にて研究会。小児科病棟の廊下に設置する予定のアーチ状のアームに円形のモビールを取り付けるプランをプレゼンテーション。昨年末にすでに納品した、手作り絵本数冊をセレクトして入院している子どもたちを対象にした「読み聞かせ会」の具体的な内容について話しあう。
小児科病棟の病室、ベッドの上にオリジナルモビールを設置するプランは前回では収納、展示、撤去がスムーズに行なえることを最優先したプランおよび試作を提案した。しかし、ここに来てなにか物足りなさを感じる。モビールのフォーマットが決まっているので、多くのアーティスト、デザイナーからモビールのデザインを集めることができるだろう。たくさんの種類が集められれば、患者さんの選択肢は広がるに違いない。それでもなお、それらは何のために作られたのかが判然とせず、「造形的な遊び」を越え出ないという気がするのだ。
患者さんがベッドに寝て、天井を見た時に感じている、たいくつさ、無機質さ、虚しさは病院という無菌の建物が失ったものを示唆している。そこから恢復し、あるいは取り戻し、再生するような体験を創出するようなコンセプト、思想が必要だと私は考えた。色とかたちと動きが生み出すダイナミズムが描き出せるよう相当な検討が要る。モビールプランについては振り出しに戻ってしまったが、ゼロではない。
臨床のアート、デザイン。ようやく私たちはこの活動の根幹に触れようとしている。

上と下、右と左

2009年 2月 3日

私たちの世界の把握は上下、左右で語られる。
文字は日本語の場合、縦書きは上から下へ、横書きであれば左から右だ。
考え方を右と左に喩えることがある。右派、左派…。
時間軸は左から右へ、時として右から左へと記述される。歴史年表などがそうだ。
少し前に流行ったが、私たちの脳は右脳、左脳があり、その役割がやんわりと分担されているらしい。言語や論理的思考を司る。感性、直感的思考を司る。文化や言語、国が違うと、微妙に右と左の役割は違うと聞く。
日本の伝統的な絵画表現は上が遠景、下が近景となる。一視点から見た焦点や距離感はあまり重要ではない。
概念を上下に喩える。上位概念と下位概念。下のものを上のものが束ねる。
上昇志向。前向きで意欲的。野望を持って上を目指すことだ。
そもそも、これら上下、左右概念は立位を基本としているように思う。上下左右の概念が届かないものがある。
円、放射…。それに近いものとして正方形や正多角形がある。病院で過ごす方達の身体感覚、視覚体験は通常とは異なる状況を伴っていると私は考える。私だけではない。これまでプロジェクトに関わり、作品を制作した学生や作家は円、放射、正方形を感覚的に取り入れていた。
もう1つ大切な感覚がある。それは奥行きだ。前後。時間は会話内で「前」と「後」と言う。自分の正面の前に広がるのは現在の繰り返しだ。人によっては未来という。背後を振り返るとそこには過去が横たわっている。
「話の上下が〜」と話したメンバーがいる。すごい。彼女は異次元を行き来している。
その時は笑い話だったけれど、私が最近ぶっとんだ、異次元体験のお話。

世界を切り取る

2009年 2月 2日

2月1日(日)午後に市民ギャラリー矢田で開かれている「Finder」展を見に行く。ブラジル移民100周年記念行事として、名古屋市文化振興事業団が助成している企画展だ。会場に着くと、企画者の長谷川哲さんにちょうどお会いすることができた。展覧会は3階の5つの展示室、4階の展示室全館を使った大規模なもので、写真というメディアを駆使した表現の作品が並ぶ。
天井高6mの広大な4階の第一展示室で長谷川さんが展示している。「これまでのシリーズが風景論だったとしたら、今回の展示は人間論である」というコメントが会場に掲示されている。写真は世界を切り取ったものである。時間と空間を描写し、その一瞬を克明に記録する。長谷川さんは写真の現実感をはぎ取るために、まず写真をコピー機にかけるそうだ。モノクロームの世界のある一部分ーここでは風景の一部である「人」ーの他はノイズのようなストロークのはげしいスクラッチが画面を覆っている。空間全体で見た時に、それらの人の所在がきわだって浮かび上がってくる。まるで霧の中から人影だけがこちらに迫ってくるかのようである。広大な展示室全体にストロークがとびかっているように感じられ、壁面のみに写真が展示されているのだが、空間の充満感がすごい。
私は最近、写真をよく撮っているので、今回の展覧会はとても興味深かった。世界をいかに切り取るか、という課題もあるが、一旦切り取った世界を絵画的なプロセスに乗せて再構築したり、冷徹に切り取られた世界に情念の息吹をふきこむなどのプロセスも必見である。
私はここ数年はレディーメード(既製品を用いた制作方法)で制作してきたが、写真には世界をそのまま切り取るという性質があるので、自然と惹かれていったのではないかと自己分析している。つまり写真とは究極のレディーメードではないか…。
世界を切り取り、それをどのようなかたちで現出するのか、「Finder」展を見て、自分の制作に投げかける。

現代GP調書提出

2009年 2月 1日

1月29日(木)17:00。やさしい美術プロジェクトが文部科学省から選定を受け、補助金を得ている「現代的教育ニーズ取組支援プログラム=通称:現代GP」の調書提出を済ませる。「調書」とは実質来年度の予算および活動計画書のことだ。何時、何処で、何を行なうのか、そしてその事業は学生の教育効果としてどのような成果が期待できるのか、詳細に記さなければならない。さらに、予算がそれらのどの活動計画に割り当てられるのか、示さなければならない。国の税金を使っての事業である。これだけ細かな計画を立てなければならないのもよくわかる。前日28日(水)にはプロジェクト教育研究委員会を行ない、この調書について説明。来年度の活動をどのように全学に行き渡らせていくか、議論した。現代GPは全学をあげての大いなる実験でもある。学生を実験台にするという意味ではない。学外に出て、直接社会と接しての教育プログラムのあり方、大学のシステム、地域貢献と大学との関係、経費の扱い、すべて、通常の大学内の授業にあてはまらないことばかりなのだ。それを実行していくためには持てる知識と知恵、そしてパワーを投入しなければならない。
以前のブログにも載せたが、プロジェクト教育研究委員会は本学の講義担当教員、美術系担当教員、デザイン系担当教員、事務各部署より一人ずつ学長より指名を受けて参加している。全員が良い方向を探るために発言する。遠慮はいらない。着々と私たちの乗る船は舵をとり、前に進んでいく。