Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 2月 11日のアーカイブ

命日

2009年 2月 11日

2月10日
12年前兄が亡くなった日だ。
悪性リンパ腫とわかり、入院してから9ヶ月。この9ヶ月間は私にとって終生忘れられないものとなった。
私は当時、看板屋や模型製作、壁画などの仕事を点々としていて、その中で中京テレビからもらった仕事で飯田覚士さんのチャンピオン戦のオープニングを飾るイラストレーションを描くというものがあった。実際に緑ジムに行って、飯田さんのスパーリングを見せてもらい、筋肉のはりや、動きの素早さ、フットワークの軽やかさを間直に感じ、30枚ほどのイラストを一気に描きあげた。
チャンピオン戦当日。テレビでその世界戦が生で放映される。オープニングに私のイラストレーションがスピード感あふれる映像になって流れる。飯田覚士さんは元気が出るテレビでアイドルのような美貌で注目され、その後血のにじむような努力で這い上がり、この世界戦でタイのハードパンチャーヨックタイ・シスオーを破り、WBA世界Sフライ級チャンピオンになった。私はその戦う姿に兄が病気と戦う姿を重ねていた。すばらしいファイトだった。後日談だが、これが縁で本学にゲストとして飯田さんをお招きし、トークショーを開いた。数年前のことだ。
私はテレビ局からイラストレーションの何枚かを返してもらい、その一枚を兄の病室に貼った。大きさは130センチ×100センチ程度だっただろうか、今にも左ストレートを繰り出さんばかりの飯田さんをごりごりに描写した一枚だ。当時全身に転移したがんのために想像を絶する痛みを抑えるため、兄は大量のモルヒネを毎日投与されていた。意識が飛び、眼球がぐるぐるしてしまうほどに。兄はそのイラストレーションを前に、混濁した意識の中で、拳を天に向けて振り上げていた。その姿がまぶたに焼き付いて離れない。
私のしたことは、何だったのだろう。兄にとってそれはどのように感じられたのだろう。私は兄の力になれたのだろうか。兄は喜んでくれただろうか。あの絵じゃなくて、もっと違うもの…。あの絵を、ベッドの正面に貼るべきだったのだろうか。もっと何かできたんじゃないか。もっと、もっと…。
今となっては兄に聞くことはできない。毎日問いかけるけれどー。