Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 5月 2日のアーカイブ

救急

2009年 5月 2日

私はそれまでに何針も縫うケガを幾度となくしてきたので、痛みには強かったと思う。この時ばかりは「痛い」という言葉が思い浮かばなかった。私をはねたトラックの運ちゃんが話しかけてくる。道路は完全に封鎖され、遠巻きにこちらを視ている人たちがいる。
私は全身血まみれだった。意識ははっきりしていた。それだけに私の身体の状態がリアルにモニターされて内臓が雑巾のようにしぼられるような感覚がおそってくる。
救急車が来る。救急隊員の一人が話しかけてくる。隊員の動きは俊敏だ。私の身体はむやみに動かせないようで、身体の両側面からシャベルのようなもので掬ってストレッチャーに載せられる。
下半身に感覚がないのがとても気がかりだ。私は救急隊員の一人に話しかけた。「俺はもうできないのか!?」すると「それはわからん。とにかくじっとしてなさい。」という返事。
笑い事ではない。私はすこぶる真剣だった。痛みとは表現できない感覚の激高に支配されて何度か気を失いかける。
救急車が病院に着く。私を乗せたストレッチャーが小走りに院内廊下を駆け抜けて行く。私を見る人々の表情が曇っている。ある人は吐き気をもようしたのかハンカチで口元をおさえている人もいる。
処置室にはドクターが居て、私の全身を隈無く診る。そのまますぐに手術ー。
腰骨の骨折、肛門際から裂傷が腰のあたりまで。腰のほうに気がとられていたが、膝、すね、肘、腕など全身至るところの皮膚が裂けていたらしく縫合された。出血が多く、通常であれば、意識を失っていたはずだ。3分の1も失血していたらしい。その晩私は機械が取り付けられていて、血圧が低くなるたびに看護師さんが病室に飛び込んできた。その時はわからなかったが、客観的にみてかなり重篤な状態であった。
私は九死に一生を得た。どういうことか説明すると、
・屈指の産業道路でトラックにはねられたが、後続車に轢かれなかったこと
・後続車をよけられたのは、友人から勧められ、前日に手に入れたヘルメットをしていたからだ。頭を強打したが、ヘルメットによりダメージが少なかった。
・事故現場は高架だった。はね飛ばされて高架の外に落ちていたら間違いなく死んでいた。
・大きなケガだったが、心配された腰椎は無事、腸も奇跡的に無事だった。後でドクターに言われたが、私の頑丈な身体によって、腸が外に飛び出すようなことはなかった。
・大量出血であったのに、ドクターが輸血をしなかったこと。通常は予断を許さず輸血されていたはずだ。私の体力を見込んで、ドクターが輸血をしない、という判断をした。このドクターは輸血の後の様々なリスク(C型肝炎などに感染する等)への認識も高かった。
私は5月のダークな波に見事にのまれたが、究極のところで、運がついていたのだ。
ここから入院生活が始まる。私にとって刻印とも言える体験だ。
<つづく>