Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 5月 11日のアーカイブ

妻有アートトリエンナーレ展示準備2

2009年 5月 11日

からだの芯まであたたまる朝の日差し

からだの芯まであたたまる朝の日差し

妻有滞在2日目の5月9日。
7:00起床。女性陣は6:30ごろから起きて朝食の準備をしている。私は飲み過ぎたせいか、顔がぱんぱんに腫れている。メンバー浅野がひき肉の卵とじをつくってくれる。とってもおいしい。マグカップからはほんわりと湯気が立ち上っている。「やさしい家」にあたたかい朝の日差しが入ってくる。昨日の雨がうそのようだ。
9:00 ホテル宿泊の泉と平松がやさしい家の門戸をたたく。「ただいま」「おかえり」と自然と口からついて出てくる。今日の作業を打ち合わせる。天気が良いので外で作業する際は熱中症に注意するように、と声を掛け合う。
一旦解散し、各々作業、準備、制作にとりかかる。私は悩んでいた庭の活用について心が決まり、雑草取りにとりかかる。作品制作や鑑賞の導線などの理由からテラスを作る計画を立てたが、庭はこの家屋の特徴の一つ。活用するアイデアはその時点で浮かばなかったが、とにかく庭として再生することにする。ひたすら汗をかきながら平松、泉の3人で草むしりをする。にわかに庭の全貌が明らかになって行く。単なる準備作業といえど、その作業を通してたくさん発見がある。発掘しているような楽しさだ。

電材が散らばる奥の8畳間

電材が散らばる奥の8畳間

10:00すぎて、レンタカーでホームセンターと電器店に行く。空き家に光回線のインターネットを引く工事について業者に依頼したり照明器具の部材などを購入するためだ。照明器具の細々とした部品、器具等を探しているうちにお昼になる。空き家から歩いて100mほどのうどん屋に行く。ここでばったり家主の樋口さんと会う。このうどん屋のご主人とも懇意の様子。女将さんは「樋口さんはゴッドマザーだからね。」とにこやかにおっしゃる。どうやら地元では樋口さんを知らない人はいない、ということらしい。お人柄だろう、初めて会ったその日から信頼感を感じる方だ。
美味しくそばをいただいて、真っ先に空き家「やさしい家」に戻る。日が出ているうちに照明器具をつけてしまわなければならない。感電を防止するためブレーカーを落として作業するので、暗くなってからでは作業できないからだ。
縁側の天井部にスポットレールを組み上げ、床の間に蛍光灯を仕込む。これだけで雰囲気ががらりと変わる。作業中にフィールドワークをしていた浅野が帰ってくる。ほおを赤らめてへたり込んでいるので声をかけると「道に迷って死にそうになりました。」とのこと。強い日差しで疲労困憊だ。少し落ち着いたあとは再びスケッチブックを片手に出かけて行く。懲りないでチャレンジすることが大事。がんばれ!浅野。

患者さんから質問が出ることも。

患者さんから質問が出ることも。

16:00 照明器具を取り付けた後、すぐに十日町病院に向かう。赤塚、平松、清水が2階屋上で作品「アサガオのお嫁入り」のアサガオの配置について現場検討の真っ最中。ここは病棟窓から見える風景の大部分をしめるのに関わらず、防水塗料ぬりっぱなしの飾り気のない屋上である。それには理由がある。冬は豪雪に見舞われる当地では、屋上に何かを置くにも発想が広がらない場所なのだ。アサガオは春から夏に掛けての季節限定となるが、花が咲く姿、植物の成長を見守ることは人々を元気づけるに違いない。
ディレクターとしての私の意見とアドバイスを赤塚に与え、すぐにやさしい家に戻る。
17:30 大地の芸術祭で私たちプロジェクトの担当となっているアートフロントギャラリー柳本さんと家主の樋口さんとこれからの空き家の活用について相談するためだ。3人で7月に迫る芸術祭にむけて前進して行こうという方向性を確認する。樋口さんが嫁いできた当時の十日町の様子を聞く。がっちゃんじゃらじゃら、がっちゃんじゃらじゃら、という言葉が象徴されるように当時は機屋さんが軒を連ね、大変潤っていたそうだ。バブル崩壊とともに衰退していったが、当地は着物の産地として全国に名を轟かせていたと言う。空き家の横には川が流れていて桜並木があったそうだ。それらのなくなってしまった風景を取材して描くのも浅野の仕事だ。
18:30 駅前のスーパーで買い出しに行ったメンバーらが帰ってくる。夕食は豚の生姜焼きとマカロニサラダ、ネギとあげのいためもの、キュウリのビール漬けだ。食感のバリエーションが波のように寄せては返し、思わず目をつぶってしまう。うまいっ。今日は皆よく働いた。皆ほのかに日焼けをしている。
0:30 明日の作業の確認を終え、お風呂を交代でいただき、早めに就寝。
<つづく>

屋上での作業風景

屋上での作業風景