Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 5月 30日のアーカイブ

庵治町での住民説明会

2009年 5月 30日

11:00 香川県庁の今瀧さんが県庁の車を走らせて迎えにきてくれる。早朝に東京から飛行機で駆け付けた北川フラムさんと同乗。
11:30 庵治町に着く。少し早めに着いたので、庵治町から大島を見てみることにした。大島から一番近い陸地なのは確かだが、意外にも実感が湧かない。庵治町側からは大島の南側の海岸と山が見えるのみで住まいや生活の様子を見ることができない。このような風景で見える大島を庵治町の人々はどのように見ていたのだろうー。
会場に着くと、大島自治会長の森さん、副会長の野村さんが来場されていた。手には私が4月に渡した企画書をお持ちだ。私が声をかけると
「おー、どうしたの。今日は何か用事なの?」
「今日、少し時間をいただいて、大島での取組みについて話するんですよ。前に渡した企画書の内容を説明します。ところで今日は暑いですねー。」
「私らは午前中はゲートボールで汗を流してから来たから。何人か来る予定だったけどつかれてしまってねー。」
などと、世間話。私がこの会場に来ることは知らせていなかったのでお二人ともちょっとだけ戸惑っているようだ。北川フラムさんをお二人に紹介する。北川さんは何度か大島に足を運んでいるが、初めて入所者の方々にお会いしたとのこと。とてもうれしそうだった。それにしてもいつになったらインフルエンザの自粛勧告が解かれるのだろう。早く大島に行きたいー。
12:00 司会者と北川さん、私とでその場で打ち合わせ、発表の順番を変更。私が一番先にお話しさせていただく事になる。私はある程度どのようになっても対応可能なように準備をしてきたのでうろたえることはない。30分ほどでこれまでのやさしい美術の取組みを説明し、大島での取組みの概要を説明する。
私から大島のことをお話しするのは実はとても勇気がいった。どれだけ私が伝え聞いても、大島で起きたことを体験しているわけではない。大島の皆さんのお気持ちを機会があるごとに聞いてきたけれど、それを今ここで私からお話しすることが果たしていいのか…。自分でも意識できるぐらいに声が震えた。納骨堂のこと、子どもが残せなかった皆さんは最後の一人になるまで大島に住みたいと願っている気持ち、外とのつながりを感じたいという気持ちと放っておいてほしいという感情も同様にあるということも。かつて大島を「瀬戸内の肥だめ」「島流し」と呼ばれていたこと。ひとつひとつ丁寧に言葉を選びながらお話しする。私たちの取組みは過去を見つめながら前を向くものだ。だからこそ、何度も何度も現地を訪れ、その空気を直に感じることが大切なのだ。
住民からの質問がいくつかあがった後、会場を足早に後にする。
14:30 四国村のうどん屋で香川県庁の皆さんとうどんを食す。麺のおいしさは今のところ、ここがナンバーワン!

この量を見よ。「中ジャンボ」という意味不明な量なのだが。

この量を見よ。「中ジャンボ」という意味不明な量なのだが。