Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 7月 13日のアーカイブ

尊いということ

2009年 7月 13日

見つけた光のかけら。

見つけた光のかけら。

美術の世界にいると、作品の結果を求めたくなる。
「認められたい」という気持ちが生まれるのは極自然なことだ。
当然のことながら、アートの世界で云われる頂点は、存在する。到達できる人もいれば、到達できない人ももちろんいる。アーティストの営みには、美術界では表に現れて来ない部分がある。できあがった作品はすべてのプロセスの上に成り立っていると言って良い。それは見えない歴史の積み重ねの上に乗っているとも言える。
アーティストの多くは実はプロセスを大事にしている。どのような道筋が待ち受けているのか、どのように歩んでゆくのか、達成されたと思ったと同時に達成すべきものはそこになかったとか…。じつはこうしたプロセスで感じる実感は語られることが稀だ。タブーと言っても良い。
彫刻を教わった原裕治氏の作品制作を手伝いながら浪人生活を送っていた頃のこと。日の出ている間は原氏の仕事を手伝うのが日課だった。それ以外の時間が自分の制作時間だった。
驚くべきことに、原氏はその作品を毎日完成させていた。しかし次の日には見事にそれを破壊し、削る、付けるの繰り返しだ。5年も6年も向かい合っている作品は何百回と完成の時を迎えていたのである。
止める人がいなければ、終わりはない。アーティストの探求とはそういうものだ。それを私は教わった。
一言で云えば、その営みは 尊いのだ。
私はその尊い存在、狂おしいほどの情念をそこに見出せれば、惜しみなく力を注ぎたい。

捨ててしまうゴミのなかにも美は存在する

捨ててしまうゴミのなかにも美は存在する