Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 8月のアーカイブ

名古屋に帰る デザインの間ディスプレイプロジェクト

2009年 8月 17日

6:30 浅野と川島に見送られ、やさしい家を出発。私と奥さんとで運転を交代しながら一路名古屋へ。
高速道路の渋滞が気になっていたが心配をよそに車はよく流れていた。
11:30 名古屋到着。名古屋のうだるような蒸し暑さが応える。

デザインの間は洗練された空気をたたえている

デザインの間は洗練された空気をたたえている

昼食後に資料の準備作業。今日は私が運営する交流造形・メディア造形コースのゼミで取組んでいる「デザインの間」ディスプレイプロジェクトの打ち合わせなのだ。
デザインの間は名古屋市千種区の星ヶ丘にある情報センターで、中部電力が運営する。
以下オフィシャルホームページよりコンセプトを転載する。
「中部電力では地域のみなさまとともに暮らしの安心と笑顔のある生活を創る生活提案「HeartBridge(ハートブリッジ)」に取り組んでいます。その一環として、よりお客さまとの出会いを大切するとともに、より暮らしをセンスアップする情報をリアルに体感していただくため、e-生活情報センター「デザインの間」を開設しました。「デザインの間」では、当社だけでなく総合家電や住宅設備、食器メーカーといった地域の生活関連企業等とのコラボレーションによって、生活提案を行っています。「お客さま」「企業さま」そして「当社」がこの場所で情報を共有・交換していくことで「ちょっといい明日」を一緒にみつけていきたいと考えています。」
私のコース授業で大変お世話になっている講師の方からの紹介がきっかけとなり、是非取組んでみようと言うことになった。
15:00〜まずはデザインの間副館長さんとお会いし、その後、中部電力住宅電化Gのお二人の社員さんとディスプレイの概要の検討と制作のプロセスについて意見交換を行った。
その後学生3名とともに喫茶店で対策会議。こちらも気が抜けない。星ヶ丘の目抜き通りでたくさんの人々の目にさらされる場所のディスプレイだ。聞けばおどろく、一年間で20万人を動員する勢いだそうである。

まるで譜面。帰り道で出会った風景

まるで譜面。帰り道で出会った風景

妻有 ぶっ倒れるまで遊ぶ

2009年 8月 16日

まったりとした昼下がり。(撮影:長男慧地)

まったりとした昼下がり。(撮影:長男慧地)

やさしい家をオープンする。この3、4日は容赦ない日差しと蒸し暑さの応酬。これが妻有本来の暑さだ。
午前中にこの空き家=やさしい家を貸してくださった樋口紘一さんが来訪。それもご兄妹お二人を連れてー。
樋口さんのお歳はうかがっていないが60ぐらいだろうか。弟さんと妹さんにとっても生家であるこの家にわざわざそろって来ていただいたのである。
もう、お顔を会わせてからというもの、ドキドキしてしまって。想像してみて欲しい。樋口さんが中学生になったころ、この家は建てられ、この家の誕生からご自身が独立するまで、ずっとここで暮らして来たのだ。樋口さんのご両親はすでに亡くなっているが、当時はやさしい家の奥8ギャラリーの八畳間に親子で川の字になって寝ていたとのこと。今は、私の家族が川の字になって寝ている。お部屋と作品を観ながら昔話に花を咲かせる樋口さん兄妹。私は心に刻み付けるように傍らでその話を聞く。皆さんとてもうれしそうで私もほっとする。「家が美術館になった。」という言葉が染みる。うつろいゆく時間の流れのなかで、少しずつ形を変えて人の営みは繰り返されて行く。やさしい家はこの大地の芸術祭限定で、蘇った。
さて、今日はもう一つドラマがあった。明日17日早朝に私たち家族は自家用車でやさしい家を出発し、名古屋に帰る。慧地、美朝にとってこの夏最後の妻有である。夕方慧地はリーダー川島とサシでサッカーに興じる。10点先に奪取したものが勝ち。男と男の勝負。川島は全く手加減しなかった。それで良し!二人とも汗だくでボールを追いかける。
晩飯は手づくり餃子、大根とブリの煮付け。めちゃくちゃうまい。この10日間、私の奥さんがいつも食事を作って私たちの身体と精神を縁の下で支えてくれた。ありがとう!
晩飯のあとは花火大会と「ぶっ倒れるまでジェンガ」。へろへろになるまで美朝、慧地、浅野、川島でジェンガで遊ぶ。
後悔しない。やりきる。4人の間に99%のすがすがしさと1%の寂しさを残し、夜は更けて行く。

Color of Waterの上映と花火

Color of Waterの上映と花火

たくさんのエピソード

2009年 8月 15日

阿部さんからいただいたぷりぷりコーン

阿部さんからいただいたぷりぷりコーン

連日暑い中、たくさんの方がやさしい家に来てくれている。結果から言うと133名の来場者。スタンプラリーを押すだけであれば、ひるむこともないが、私たちの応対の仕方は来場者個々に丁寧に説明することにしているので、全くすき間のない忙しさである。でも、たくさんの方々お会いできるということはそれだけ分のエピソードもまた残る。今日のいくつかのエピソードを紹介しよう。
8:00すぎ 昨年まで十日町病院の看護師長を務めておられた阿部さんが車で寄ってくれる。ゆでたてのスイートコーンとキュウリの漬け物をどっさりいただいた。コーンはすぐそのまま皆でいただく。ぷりぷりで気持ちいい甘さ。
12日にエフエムとおかまちのパーソナリティー佐藤さんが取材のため来訪。今日そのインタビューの様子が放送された。佐藤さんは私と同世代で、共感する何かを感じた気がした。このやさしい家には小学生たちが常連で毎日遊びにくる。Morigamiを折ったり、凸凹昆虫ワークショップに参加したり。その子たちにとって私たちはどのように映るのだろう。佐藤さんが言うには十日町には「大学生」がいないのだそうだ。だから、子どもたちは大学生という人種に興味津々なのである。
あるお客さんが入ってくるなり、「ここは普通の民家じゃないですかー。」とおっしゃる。この大地の芸術祭で行われている空き家プロジェクトとは少し趣が違うのだ。家を再生するというよりは家が家として蘇ったというのが近いかもしれない。
またあるお客さんは、「前回のトリエンナーレでは、非公開でしたね。気になっていました。ずっとホームページでチェックしていました。私にとってはまぼろしのプロジェクトだったんです。」ようやくその目で確かめることができたやさしい美術。会話は大いにはずんだ。
私と同年代の男性は玄関で少し佇んでいて、「僕、ここに来たことありますわ。この家の建具の修繕に何年か前に。」これには驚いた。やさしい家が人を呼び寄せているような気さえしてくる。
夕方一番最後に来てくださった初老の男性は厳しい表情を浮かべながらやさしい家に入って来た。その方は私が作品や活動の内容を説明している間終始無言で、何かにご立腹なのかと思うほどだった。最後玄関に見送りに出ると「他の展示とここは違うね。とってもあったかかったよ。」と笑顔でおっしゃった。ガッツポーズしたいぐらいうれしかった。これは今日の最高ヒット。

シャボン玉と大島焼

シャボン玉と大島焼

妻有 本当のリピーター

2009年 8月 14日

やさしい家での対応は基本的に一対一。作品の背景や病院との関連性を来場者にきちんと説明するようにしている。
やさしい家にはすでに様々なリピーターがいる。今日はその一例を紹介しよう。
その方はつい最近まで十日町病院に入院されていたそうだ。入院中に河合正嗣さんの笑顔の肖像画が目にとまった。毎日展示替えされる作品を欠かさず観てくれていたそうだ。
そして退院してすぐのこと。この方はやさしい家を訪れた。そこで河合正嗣さん制作の肖像画と再会する。ご案内した川島から伝え聞くにはその方は作品を前に涙がとまらなかったそうだ。
本来の意図でやさしい家が創り出したい「つながり」はまさにこういうことだ。今日は本当のリピーターに来ていただいたのだ。

農舞台は見世物小屋に変わる。

農舞台は見世物小屋に変わる。

さて、夜である。ご褒美に家族とメンバーとでカンボジアサーカスを農舞台まで観に行く。
カンボジアはポルポト派による圧政の時代があり、虐殺の歴史は深く刻まれている。その後も地雷による被害が絶えないと言う。そのカンボジアのサーカス。
全体が演劇仕立てになっていて、その躍動を様々な出し物で表現している。伝統芸能や舞踏が融合していてなんともエキゾチック。それでいてサーカスとしての見瀬場もたっぷり。子どもたちは興奮のあまり硬直している。なんと完成度の高い芸能だろう。すばらしい。

妻有 現代美術とやさしい美術

2009年 8月 13日

久々の青空のもとでのやさしい家

久々の青空のもとでのやさしい家

大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレは世界でも類のない国際芸術祭である。その特質として都市部ではなく農村部、しかも過疎化が著しく進む地域で行っていること。そしてある一角に集中して展示を行うのでなく、集落の中に点在し、アーティストは制作以前にその場所、住民、コミュニティーに参入しながら制作して行くのである。疑問視する声も聞こえてくるが、大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレは現代美術の祭典である。4回目が開催され、今やその提案性と先進性は誰も無視することはできない、日本という国家制度に一石を投じるイベントとなっている。
私たちやさしい美術プロジェクトは現代美術という枠組みでは捉えられることがあまりない。というか、現代美術の関係者は興味を持たないようである。一方私はカナダや韓国、イギリスでの展覧会に参加したり個展を開いた時に、そこでやさしい美術プロジェクトの話をすると、どの美術関係者もとても興味を持ち、また、アーティストの取組みとして敬意を表してくれた。
話は変わる。今日の午後、栃木県立美術館のシニアキュレーター山本和弘さんがやさしい家を来訪。そして急遽病院内の見学をすることになった。やさしい家の展示ももちろんだが、病院内での取組みの様子、展示を大変感慨深く見ていただいた。山本さんはヨーゼフ・ボイスの研究を軸に、それを突き詰めれば、医療福祉とアートの分野を研究すべきと考えたという。ボイスといえば、現代美術を語る上でぜったいに欠かせない重鎮である。
活動が真に支えられるのは、それが継続され、人々の注目が集まり、研究され、いささかオーバーであるが、歴史の一部になることだ。こうして現場に来ていただいて、つぶさに観ていただけることがとてもうれしい。
また、話は変わる。いつも行く居酒屋のマスターがやさしい家に車を横付けにするなり、桃とスイカを置いて行ってくれた。風のようにやってきて、風のように去って行った。かっこよすぎる。近所の方から漬け物やら野菜をいただく。そして道行く人の笑顔だ。こうしたたくさんの応援が私たちを支えてくれる。

妻有 近くに居るということ

2009年 8月 12日

一心不乱に凸凹昆虫を採集する来場者

一心不乱に凸凹昆虫を採集する来場者

やさしい家の南側窓からは十日町病院の病棟が見える。私は毎日その風景を眺める。離れて通うことから一転して大地の芸術祭期間中は傍らに居る、ということだ。
病院には毎日メンバーの誰かが行っている。6:00のアサガオの水やりは日照りの日には昼と夕方も行く。作品のメンテナンスに行く。きもちのきのみや招待状の配布で行く。患者さんと毎日コミュニケーションをとりながらスケッチを繰り返す者もいる。河合正嗣さん制作の肖像画を携えて病院に向かう姿は毎日見ていても気持ちが洗われる。院内で展示している映像機器の電源の管理もすべて私たちの手で行っている。ヒンメリワークショップでは半日院内で作業する。
経営課の井沢さんがやさしい家に来る。近いとはいえ、病院側からやさしい家に人が来てもらえるととてもうれしい。ご家族が入院されている方が、でんでん栗田制作のフィギュアに差し込んであるカードを見て、やさしい家来てくれた。やさしい美術が制作した広報ツールややさしい家に人を招くしくみが効果を示し始めている。
作品のトラブルがあれば連絡網どおりにすぐ私たちに連絡が来る。即対応が必要な場合は走って院内に向かう。
近くにいることで、これほどまでに可能性が広がるとは。
やさしい家はハブになりつつある。

でんでんのどんどん

2009年 8月 11日

きもちのきのみの実施風景。ピントが背景に合ってしまっているけれど。

きもちのきのみの実施風景。ピントが背景に合ってしまっているけれど。

やさしい美術プロジェクトの大地の芸術祭関連限定で関わって来たデザイングループ「でんでん」。その活躍は私の想像を越えた。もともと、やさしい美術プロジェクトはアートとデザインの分野が相互に連携する場面が多い集団だ。そうしたことから、大地の芸術祭というお祭りで期間限定で燃焼する取組みにデザインの試みが融合することを私は以前から望んでいた。そこへ、彼ら、彼女らはやってきた。
まずもって、でんでんのメンバーはモチベーションが高い。どちらかというと、情念的なものではなく、仕事をする人間がより高いハードルの仕事をこなしていくような職業意識が働いているように思う。要は仕事師なのだ。そこがデザイナーらしくて良い。個別に打ち合わせて行く時に、それぞれのモチベーションを高めるための激励に近いアドバイスは必要なく、仕事の内容と作業の質を見極めるアドバイスにエネルギーを注ぐことができた。
でんでんのチームワークは安定している。くずれない。それはまずギブアンドテイクができているからだろう。仲間への要請が強いワークショップやイベントを企画した者はそれを返して行くエネルギーもまた必要だ。これはなかなか社会に出た人でも徹底することが難しい。それぞれの事情を主張し続けてしまうか、子どものようにわがままを言って仲間に依存してしまうケースが多々ある。
でんでんは楽しんでいる。作品鑑賞のためのルートを立てるのに夜中の3時すぎまで真剣に検討するなんてすごすぎる。「楽しもう」としているエネルギーがとても心地よく伝わってくる。
今回の十日町病院の取組みと空き家活用プログラム「やさしい家」の連携で、まちがいなくでんでんは起爆剤になったと私は思う。
でんでんの岡村、水野、工藤が帰る。数えればオープンから19日間。よく活動を支えてくれた。清々しい笑顔で帰って行く3人。リーダー川島が、寂しいのと感謝の気持ちでまたして涙する。

作品の撮影中にとびこんできた

作品の撮影中にとびこんできた

妻有 作品鑑賞

2009年 8月 10日

作品を観に行く間で発見する風景も楽しみの一つ

作品を観に行く間で発見する風景も楽しみの一つ

私は大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ初回から当地を訪れている。参加者ではなく一来場者として大いに作品鑑賞に明け暮れた。
前回の大地の芸術祭で私は参加者となった。初日は大地の芸術祭事務局の計らいで参加アーティストによる作品鑑賞ツアーが組まれている。私は展示を完成しなければならなかったので、当時は学生だったスタッフ平松と泉に行かせた。一泊2日でツアーバスに乗ったアーティストの作品を観に行くので、作者の直の声が聞けたし、芸術祭参加者としての連帯感を感じるツアーだ。ツアーを終えた平松と泉の興奮覚めやらない表情を今でもはっきりと憶えている。
今回もやさしい家の運営を軌道に乗せるために、恒例の作品鑑賞ツアーはリーダー川島とヤサビのイト編集部の浅野に行かせた。案の定二人は目をきらきらさせて帰って来た。
世界中の文化がこの地に集結し、一生懸命作品をつくる。300点を越える文字通り血と汗と涙の結晶である作品のうちの一つが、私たちやさしい美術プロジェクトの取組みだ。今回この取組みに関わったすべての学生やアーティスト、デザイナーにこの熱い空気を吸って欲しいと願っている。
一連のやさしい家と十日町病院との連携プログラムの中で目覚ましい成長を遂げデザインチームとして活躍した「でんでん」の学生は相当数の作品を見て廻って来た。どの作品が良かったとか、どこの集落が美しかったとか、作品について語る学生たちのいきいきとした表情がまぶしい。大地の芸術祭を本当に満喫している。あるべき姿だ。

オーストラリアハウスに向かう我が家族

オーストラリアハウスに向かう我が家族

私は共に運営に携わる学生たちにわがままを言って一日時間をいただいた。家族で作品鑑賞に向かう。
最初はアントニーゴームリーの作品。二千年蓮の池は何度も通ったが、その近くの民家一軒を丸ごと使ったダイナミックなインスタレーションだ。ワイヤーが部屋のあらゆるところから空間の中心へ放射状に収束している。その収束部分が多角形に編み込まれていて形状が浮かび上がってくる。家屋は漆黒に塗装されていて闇のなかにその存在感を消している。なにもかもが計算し尽くされた洗練された空間。ため息がでる。
次にクリスチャンボルタンスキーの廃校になった小学校を使った美術館を観に行く。とにかく来場者の数がすごい。観光バスがつぎつぎとやってくる。展示をみて外に出てみると校舎の向こうに大きな人形が地面に大の字になっているのが見える。その人形はハーブの植栽で表現されている。そのさらに奥にはカフェが併設。コンテナーをうまく活用したカフェは人気だ。
その後はボルタンスキーの作品のある集落にある塩田千春の作品を観る。毛糸で家屋内全体を編み込んだ、ぞっとするようなインスタレーション。クモの巣のようなノイズによって家屋の構造がかき消され、繭に自身がからみとられそうだ。
松代のそば屋で食事してそこからまた車を走らせる。オーストラリアハウスは棚田が美しい山間部の中腹部の集落の中にあって、まるでネパールである。ロケーションはいいが、大きな車でくるのは難しいかもしれない。布団を天井に張ったインスタレーションが印象的。はしごを登って布団の天井を抜けると裏側は綿でできた雲上の世界。長男慧地が何度も登って楽しんでいる。
福武ハウスに行く予定だったが、出発が1時間遅れたのと、そば屋で1時間待たされたこともあり、時間の余裕がない。最終目的地を田島征三の絵本と木の実の美術館に決めた。その美術館がある鉢という集落はその名の示す通りすり鉢状の地形のなかにコンパクトにまとまっている集落で、修景が大変美しい。私が妻有でおすすめな風景五本の指にはいるぐらい。
子どもたちはすっかり田島ワールドにはまる。ここでもおしゃれなカフェが併設されている。私も瀬戸内の大島で是非カフェを実現したいと思っているが、ここ妻有でも様々なカフェが営まれている。昨今のアートの傾向を示しているように感じた。
そして、我が「やさしい家」に帰る。芸術祭全体から見たやさしい美術プロジェクトの位置が少しだけはっきりした気がした。

田島征三美術館の裏手ではバリアフリーの工事が進む。

田島征三美術館の裏手ではバリアフリーの工事が進む。

妻有 慧地の涙

2009年 8月 9日

お兄さんお姉さんが帰る前夜のこと

お兄さんお姉さんが帰る前夜のこと

14:30 シャトルバスがやさしい家に着く。
私の長男慧地が無言。後ろから抱き寄せると、身体が小刻みに震えている。いっぱい遊んだ。いっぱい話をした。抱きついたり、飛びついたりひっぱったり、つねったりした。そのお兄さんお姉さんが帰ってしまう。ぐっと我慢して来たけれど、皆がバスに乗るとき、一気に涙があふれ、嗚咽がおさまらない。一同慧地の涙に胸がきゅんとしめつけられる。リーダー川島がもらい泣き。
大人は何度も別れを経験するうちに慣れっこになって行くけど、ほんとは泣きたいぐらい寂しいんだ。
19人から11人へ。過熱気味だったメンバーの数は少しクールダウンである。

妻有 Morigami山とMorigami並木道

2009年 8月 8日

設置したMorigami並木道

設置したMorigami並木道

昨日奥8ギャラリーの企画展で展示していたMorigami園を搬出した。そして新たな展開。階段を山に見立ててMorigami山を新しく設える。Morigamiカメラも設置し直した。10:00のオープン時間になっても完成していないので、お客さんが来ている中で設置作業を迅速に進める。11:00作業完了。早速Morigamiが植えられて行く。
さて、今度はMorigami園で折られたMorigamiの行き先、十日町病院の2階渡り廊下にMorigami並木道を設えなければならない。ひたすらダボを切り、窓枠の下地になる板を塗装し、ダボを差す穴を穿つ。
16:00 完成。早速搬入に向かう。土曜日の病院は静かだ。それでも渡り廊下で作業をしていると患者さんや手術が終わるのを待つ人、医師や看護師さんが通りがかる。搬入作業は通常見せるものではない。しかし、病院のように常に人が行来している場所では、制作している姿をさらすことになる。作品が生まれる瞬間にそこにたまたま通りがかった人が立ち会うわけだ。これがなんとも説明ができないほど、うれしい。何度味わっても新鮮味が褪せることはない。
18:30 完成。
夜ミーティングを行い、報告事項、検討事項を皆で話し合う。ミーティングはすべて学生主導で行っている。私が仕切ることをしなくても、安心して任せられる。
その後はそれぞれ明日の準備、作品の修正などに追われる。河合正嗣さんの肖像画作品は毎日展示替えをしている。その入れ替え作業はとても丁寧で、神聖な空気さえ感じる。学生たちはこの作品の尊さをよく理解している。

展示替えの儀式は毎日執り行う。

展示替えの儀式は毎日執り行う。