Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 9月 3日のアーカイブ

大島 土づくりワークショップ1日目

2009年 9月 3日

高橋、井木、菅、川原の4人で大島に向かう。
7:37発 のぞみに乗り、9:34発 マリンライナーに乗り換えて高松まで。
10:35 高松駅に到着。ここで食料などを買っておく。
官用船まつかぜに乗るため桟橋へ。ここで今回の土づくりワークショップに同行して取材するマルモ出版の尾内さん、フォトグラファーの若林さん、香川県庁の宮本さんと合流する。
11:10発 まつかぜにいつものように乗り込む。今日は風があるためか、少し揺れる。
11:30 大島着。面会人宿泊所に荷物を置いて、まずは全員で納骨堂に手を合わせ、風の舞をめぐる。
職員食堂セイブで昼食。何気ない野菜炒めが美味しかった。
13:00 作業着に着替えて入所者自治会会議室に集合。入所者山本さんをはじめ、福祉室の皆さんが集まる。作業の流れを簡単に打ち合わせて、早速現場に向かう。
13:30 軽トラックの荷台に皆で乗り込む。大島の山の中腹の地層が露出しているところがあるが、その辺りから耐火度のある粘土が採れる。福祉課の職員さんの一人がユンボ(ショベルカー)で地面を掘って行く。辺り一面粘土が採れるわけではない。粘土の層を掘り当てられるかどうかがカギだ。私は土の仕事を学生時代に経験していたおかげで、土砂と粘土の見分けがはっきりついた。掘り出した粘土を片っ端からトラックに投げ込む。発掘作業は楽しさの極みだ。
14:30 掘り出した粘土を福祉室の作業場までトラックで運ぶ。小型のコンクリートミキサーに粘土の塊を投げ込み、水を加えてシェイクする。泥水をしこたま浴びる。でも楽しい!
芋洗いのように粘土を洗い、砂利や木の根っこ、ゴミなどを取り除く。
洗った粘土の塊を今度はハンマーで砕く。粘土の純度が高いほど硬くて割りにくい。この時点で大方の粘土が選別できている。
砕いた粘土を大きなポリバケツに入れて水を加え、撹拌器でひたすらかき混ぜる。砕かれた粘土が溶かし、泥升を作る。どろどろの粘土のジュースと言った様相。入所者の山本さんが様子を見にくる。私たちの楽しそうな様子を温かく見守ってくれている。
泥升ができたらそれを篩にかける。この作業で砂利がかなり取り除ける。きめ細かな粘土を作るには欠かせないプロセスだ。
17:00 今日の作業終了。90リッターの大きなポリバケツに1杯の泥升ができる。残りは明日にまわすことにする。
18:00 夕食のため職員食堂セイブに行く。そこで入所者の曽我野さんに会う。曽我野さんに呼ばれて一緒に食卓を囲む。曽我野さんは大島に62年暮らしている。18歳のときに海軍の予科練に入り、出撃手前で終戦。20歳の時に発病して大島青松園に送還された。
曽我野さんは全国原告団協議会会長だった人で教科書にも載る方である。私たちは曽我野さんからお酒を注がれるが、私がお酌をしようとすると、断られた。手酌でお酒を飲む親分、と言った感じである。とても82歳とは思えない、威厳と力強さを感じる。
昭和22年から24年頃、アメリカから特効薬プロミンがはいってきて、当時膿と腫で包帯でぐるぐる巻きだった人々が次々と治癒していったとのこと。直る感染症と判ってずっと偏見と差別が無くならなかったということを私たちはしかと心に留めておかなければならない。
熊本地裁でのハンセン病訴訟の話、国の控訴を直談判しに行った話など、武勇伝は1つや2つではない。「人間回復を果たす」闘争の修羅場をくぐり抜けてきた曽我野さんは現在、少しはやすらぎのある日々を送っていらっしゃるようだ。瀬戸内国際芸術祭について、そしてやさしい美術プロジェクトについてもお話を聞いていただいた。
面会人宿泊所に戻る。今日起きたこと、聞いたお話を思い出しながら、しばしディスカッションをする。今も生きていて、やがては消えてしまう歴史に触れている、という実感がじわりと湧いてきた。

土の中から粘土を掘り出す。

土の中から粘土を掘り出す。

ミキサーで掘り出してきた土を洗う。

ミキサーで掘り出してきた土を洗う。

洗った土。これをハンマーなどで細かく砕く。

洗った土。これをハンマーなどで細かく砕く。

撹拌器で土をどろどろに溶かす。

撹拌器で土をどろどろに溶かす。

どろどろにした粘土を篩で濾す。

どろどろにした粘土を篩で濾す。