Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 9月 29日のアーカイブ

インパクト

2009年 9月 29日

20年ほど前だろうか。私はキャンプ道具を自転車に括り付け、よく旅に出かけた。
長良川を河口から水源地まで遡上しながらキャンプをしたことがある。巨大な河口堰がある河口付近まで行き、そこからひたすら川沿いを登って行く。源流に近づくほど坂道は険しくなる。ずっと登って行くとやがて岐阜県と富山県の県境の分水嶺にたどり着く。頭にはタオル、膝下をぶった切ったジーンズにスニーカー。真っ黒に日焼けした当時の私の写真は独りの旅だったために残っていない。
さて、長良川の上流とはいっても川から直接水が飲めるところは限られる。上流に人が住んでいなくて、ゴルフ場などがないことが条件になる。できるかぎり川の水を飲みたいがために支流深くまで入って行って周囲を探索し、地図をよく確認してテントを張る。
食事はコッヘルで米を炊き、火元はホワイトガソリンを燃料にしたストーブと呼ばれるキャンプ用携帯コンロで調理する。水はすぐ傍らに流れる清流から拝借する。布一枚のテントで寝る夜はまた格別だ。
キャンプと言えば、大抵の人はキャンプ場を思い浮かべるだろう。そこにはかまどがあり、トイレがある。テントが張りやすいように山を切り崩し平らにしてある場所がほとんどだ。私はキャンプ場でテントを張ったことがない。便利だとはわかっていたが私にとっては魅力的ではなかった。
焚き火は自然に対してインパクトが強いために、携帯コンロなどを使うのが良いとされる。土の上に焚き火をすると、その跡は何十年も消えない。わずか10センチ程度の表土には様々なものを分解する微生物が生息する。その表土に穴を開けてしまうのだ。「ローインパクト」。文明生活をする人間には難しいことだが、一生物として自然環境に関わるということを考えさせられる。
お風呂につかる。温めのお湯にゆっくりとはいる。大きくゆっくりと息をし、全身の力をぬき、目を瞑る。私の身体は体温に近いお湯に溶けて行くようで、水中に浮いている手はその所在が自分でも判然としない。目を開けてみる。すると、湯船一杯のお湯が私の生物としての微量な震え、脈動を増幅し、波紋を創り出している。「私」という存在が小さな湯船のお湯という世界の一部になり全体が脈打っているのを確かに感じたのである。
存在することはその存在の大きさに関わらず、世界にインパクトを与える。換言すればインパクトを与えずして存在することはあり得ない。それぞれが存在することで発生するインパクトのネットワークが互いに影響し合いながら世界を創り出しているのではないか。もしかしたら、存在の前にインパクトがあるのかもしれない。私たちは日頃、事物の括りで世界を見ることに慣れてしまっているが、時にそうした既存の括りを越える冒険があってよいと私は思う。