Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 10月 2日のアーカイブ

大島 大島焼試作

2009年 10月 2日

7:15 名古屋駅に集合する。私と井木、泉、そして今回初めての大島行き、メンバー川島の4人で大島に向かう。
新幹線で岡山を経由し、マリンライナーで高松まで。高松のスーパーマーケットで食料を仕入れる。今回2泊3日のうち、初日の昼食をのぞき、すべて自炊でまかなう予定だ。
11:10発の官用船まつかぜに乗り込む。前回食堂で飲んだ船長が私の顔を見て思わずにやり。
11:30 大島着。まずは福祉室に寄り、面会人宿泊所に荷物を入れる。職員食堂セイブに事前に人数を知らせてあるので、安心して、昼を待つ。いつも通り納骨堂と風の舞に行きお参りを済ませる。欠かせることのできない、島への挨拶だ。

大島の土をひたすら練るメンバー

大島の土をひたすら練るメンバー

食事を済ませて病院施設内のリハビリに隣接している陶芸室に向かう。9月頭に私たちが掘り出して来た陶土の様子を見に行くためだ。担当の職員さんがちょうど精製した土を土練機にかけているところだった。早速手伝うことにする。
間もなく、入所者山本さんがやってくる。初めて顔を見せたメンバー川島を見て「よく来たな青年」と声をかけられる。どこに行っても川島は歓迎される。一種の才能だろう。
さて、土練機に土を通す作業をしていると、山本さんが土練りをやろう、とおっしゃる。菊練りとか、田螺練りと言われるが、手で、時には足で踏んで粘土をしっかりと練る。土練りの作業によって見えない隙間にある空気が抜け、土の粒子の方向性が定まり、扱いやすい土に成熟するのだ。私と井木は経験者なので、腰を入れてたっぷりと体重を乗せて練る。泉と川島は慣れていないので余分な力が入ってしまい、汗だくだ。そんな様子を山本さんは微笑ましく見つめている。
土練りがほぼ完了すると、山本さんは「何かつくってみるか。」とおっしゃる。まったく予定していなかったが、ここから制作に入る。大島で開こうと考えているカフェで使える器の試作を作ることになった。

私が作った壷とボウル

私が作った壷とボウル

初心者もいる今回はいきなりろくろでは、ものにならないので、手びねりで作ることにする。明日にでも完成させるには乾燥の時間を考慮して、つけ高台で仕上げる。
ひも作りで粘土を積層しながら形を整える。久しぶりの土の仕事。大島に来て、大島の土で造作する。ぞくぞくわくわくだ。ざっくりとした土味に感性が刺激される。山本さんは川島に熱心にアドバイスを与える。よほど来てくれてうれしかったのだろう、山本さんはさかんに川島を褒め讃えては目を細める。私はそんな光景がうまれていることにじわりとよろこびをかみしめていた。入所者の皆さんとの距離は確実に縮まっている。
あっという間に夕方になる。明日になると土曜日なので青松園の職員さんはいない。明日にギャラリーの候補となっている15寮とカフェに改装する予定の第二面会人宿泊所が見学できるように事務長さんと福祉室室長さんにかけあう。入所者自治会も事務サイドも私たちの立てた計画に概ね賛同をいただいている。ありがたいことだ。
16:30 一足先に帰る井木を桟橋から見送る。雨足が思いのほか強いため、面会人宿泊所に戻り、休みをとる。
18:00 職員食堂に行くと、真ん中のテーブルに入所者曽我野さんがどっかりと構えている。テーブルの上にはもちろん一升瓶。早速「コップを持ってこい」とおっしゃる。「飲め」の一言が矢継ぎ早に降ってくる。コップ酒を飲みながら唐揚げ定食を食す。曽我野さんにはしっかりと顔を憶えていただいた。私は毎回職員食堂に来るたびに酒をつがれるだろう。
20:00 泉と川島の3人でミーティング。今日あったことを振り返りながら議論に花が咲く。
23:00 就寝。

学生時代の陶土の作品。直径2mの土の塊。

学生時代の陶土の作品。直径2mの土の塊。

学生時代の私。窯をつくり、薪割りもすべて自分で。

学生時代の私。窯をつくり、薪割りもすべて自分で。