Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 10月 25日のアーカイブ

art setouchi2010(瀬戸内国際芸術祭)

2009年 10月 25日

明け方の4:30。ようやくプレゼンテーション用のスライドショーが完成する。昨日妻有から帰って来たのが23:30なので、それから今日のキックオフ・イベントの準備を進めていた。それにしても我ながら仕事が遅い…。
3時間ほど仮眠をとり、出発の準備。
瀬戸内国際芸術祭のキックオフ・イベントに出演するためだ。
お昼前に高松到着。駅前のうどん屋さんで昼食を済ませる。その後会場の「あなぶきホール」に向かう。
会場に着くと、周辺にたくさんの瀬戸内国際芸術祭ののぼり旗が整然と連なっている。スタッフにホール舞台裏を通され、さらに奥の出演者楽屋に通される。すでに7、8名のアーティストが集まっている。著名な土屋公雄さん、藤浩志さんの姿も見える。海外のアーティスト、建築家も居て、英語が飛び交っている。北川フラムさんが今日のキックオフイベントの流れを説明。新しいロゴ、あたらしいビジュアルイメージ、参加予定アーティストの発表など、全貌が明らかにされる、重要なセレモニーであることが伝えられる。
14:00 キックオフ・イベント開幕。島民による伝統芸能の披露で幕が開ける。
14:30 楽屋から舞台袖に通される。舞台裏から聞こえてくる声。高松市長の大西さんの声だ。大西さんのかけ声で新しいロゴとビジュアルイメージが発表される。ロゴデザインはご存知原研哉さん。シャープで、間を大きく取ったレイアウトはまるで瀬戸内海に浮かぶ島々のようだ。
司会者の声で舞台袖から登壇。舞台上には私を含めた10名ほどのアーティストが並ぶ。
北川フラムさんがそれぞれの島の紹介とアーティストの発表、作品プランが説明される。今日登壇しているアーティストが自身のプランについて述べていく。
私は最後から2番目の発表。大島で展開する「つながりの家」構想を発表する。
私たちアーティストの発表のあと、休憩に入る。私は前の方の席で青松園の福祉室室長、入所者自治会会長の森さん、副会長の野村さんを見かけたのですぐに走りよる。皆さんはすぐに大島に帰られるとのこと、会場出口まで見送る。
その後、私はがっくりと力が抜けてしまった。私の発表が、今日の会場の祝祭的な雰囲気にそぐわない発言だったのではないか、入所者の皆さんの気持ちを会場の皆さんに伝えきれたのだろうか、ただただ、自分の力のなさに打ちひしがれる。そこに一通のメールが携帯に送られてくる。大島の福祉室で働いているAさんからだ。会場に来ていたそうだ。ついつい、自分の情けないプレゼンの反省をAさんにこぼすと、しばらくしてやさしい返事が返って来た。「大島は他の取り組みとは毛色が明らかに違う取り組み。島民の心情を説明した人は高橋さんだけだよ。」と。いつもAさんには元気づけられるばかり。なんとお礼を言って良いやら。
気を取り直して次の演目にはいったホールに戻る。すると、後ろの席から小声で私を呼ぶ人がいる。大島の第二庵治町立小学校の教師をされていた佐々木先生だ。8月の夏祭りの際に始めてお会いして、瀬戸内国際芸術祭で「大島案内ひきうけ会社」の復活をしたい、とお願いした。佐々木先生の指導のもと、当時小学生だった子どもたちは来島される人々のガイドを引き受けて、島内をめぐったと言う。私は「大島案内ひきうけ会社」を復活するには佐々木先生のお力添えがなければ実現できないと考えていた。現在は大島にある小学校は生徒がいなくて、休校になっている。
佐々木先生は「わたしの役割がなんとなくわかりました。」と笑顔でおっしゃった。来年のイメージを刻々と描いているのは私だけではない。大島のことをおもう人はひとりじゃない。なんと心強いことか!
キックオフ・イベントが終わり、会場を移してレセプションが開かれる。会場には7つの島々を代表してたくさんの方々が集まった。市議会議員、県会議員の皆さんから激励を受け、話に花が咲く。
19:30 レセプション終了。たくさんのごちそうが並んでいたが、話は途切れず、お刺身を二切れほどしか食べられなかった。でも満足。
20:10のマリンライナーで高松を発つ。車中で缶バッジを手のうちに転がして眺める。会場で配られた新しいロゴ「art setouchi2010」の缶バッジだ。配置されたロゴの背景には島のシルエットとそれをつなぐ航路の線が美しい。真ん中あたりで小さな瓢簞型に見えるのが大島。大島が7つの島とつながっている。私はこのロゴが大好きになった。