Nobuyuki Takahashi’s blog

2009年 11月 15日のアーカイブ

今も変わらない

2009年 11月 15日

彼が描いている。私も描いている。

彼が描いている。私も描いている。

私は、物にまつわるエピソード、背景が常に気になっていた。物には大抵は名前がついているし、役割を担っているから説明がつく。極めて個人的で、感情的なことだが、その物が単なる物でなくなるということが起こる。それが世に出回っていて他の誰かも使っているはずの生産物であっても、私にとって特別の意味を持って語りかけてくるのだ。それは私しか感じないかもしれないが、その物を私が見れば、それにまつわる想い出やイメージ、音、空気感、臭い、味わい、肌合い…ありとあらゆる感覚が鮮明に再現される。
浪人時代のデッサン課題で、よく組みモチーフを描いたが、デッサンとして表現される画面構成とモチーフの位置関係、正確なかたちの描写、質感の表現など、基本的におさえなければならないことは理解していた。でも、それを「なぜ描かなければならないのか。」という疑問はついに消えることはなかった。繰り返される鍛錬を通し、ある意味でそれは気づかされたことかもしれない。私はある日から彫刻の制作に傾倒していく。
粘土で友人の首像をひたすら作り続けた。私と友人の関係は変わることのないかたい友情によって結ばれているが、日々些末な日常の大半の時間を共有すると、そのゆらぎも感じ取れるようになる。そのゆらぎが作品に反映される。少なくとも「なぜ彼を作らなければならないか。」という疑問はどこにもなかった。彼と私のあいだに現れる「彫刻」は完成しなくともよかった。関係の往来を見極めながら、私は自身の存在を強く意識できた。
物が物、人が人としてくっきりと切り抜くことはできない。社会的規範や常識の範疇、事物のフレームにおさめても、そのものすべてを語ることはできない。私たちが認識しているのは部分でしかないのだ。当時明確に言葉にできなかったけれど、青春期の闇のなかで、その小さな営みに一筋の光を感じていた。
今も変わらない渇望。こうして始まった制作をめぐる旅はずっと続いている。