Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 1月のアーカイブ

小牧市民病院 Morigamiはすっかり紅葉

2010年 1月 13日

今日は娘の美朝が幼稚園に行く日なので車を置いて公共交通網で出勤。出かける間際で雪がちらつき始める。春日井駅に着いた時はほとんど吹雪状態。大学のほうはさらに激しく吹雪いているに違いない。通学バスも遅れながら運行。
授業後にすぐに出発。泉の車に同乗して小牧市民病院に行く。小児科の外来待合い(中待ち合い)、病棟の処置室各所に試作品を当てがい危険性について検討し、作品の大きさ、展示方法をより詳細に試して行く。
早い時期にプロジェクトの経費の執行状況を確認し、現代GPの助成金をのこりの3ヶ月でどのように使って行くかを検討しなければならない。15日から大島に行く予定だったが、15日はミーティングにあてて、16日から大島入りすることにした。小牧市民病院からの帰り道、ホームセンターにより、しっくいを購入。今週の大島行きで早速カフェの飾り付け作業にとりかかる。

morigamiキットも補充する。

morigamiキットも補充する。

韓国の友人

2010年 1月 11日

平松伸之(代表)、冨永佳秀、私の3人で運営してきた+Galleryプロジェクト。プロジェクトは継続するが、スペースは取り壊されるということは以前のブログに書いた。最後の展覧会「less was more」の展示をした韓国の友人キム・キラが最後の荷物整理と作品受け取りに日本までわざわざ来てくれた。私は昨日まで大島にいたので、あまりもてなしできなかった。今日は、と思いつつ、体が思うように動かない。胃腸の調子が絶不調。疲れがお腹にくる質らしい。平松、冨永にとりあえず任せて自宅で休む。実は休んでもいられない。残っている仕事に追われている身なので、体調不良ながら仕事は続ける。特に連絡事項はやっておかないと。午後なんとか体調も復活してきてSpace+に向かう。
Space+で皆を待つ間、+Galleryがやってきたこの8年間を振り返る。建築家の一柳亘さんがつくった精巧な+Gallery(後にSpace+と改称)の模型を見やる。
ほどなくして+Gallery運営メンバーの面々とキム・キラ氏と彼が率いる韓国の若手アーティスト3人が戻ってくる。いつものように抱擁。中古品を膨大に置いている某リサイクルショップを案内したあと、食事。
22:00 彼らの泊まっているホテルに送る。今度はこちらが韓国に行く番だ。

実物の+Gallery(後にSpace+に改称)

実物の+Gallery(後にSpace+に改称)

一柳亘さんの制作した模型

一柳亘さんの制作した模型

大島 カフェリサーチ

2010年 1月 10日

6:30起床。昨日より早く起きる。朝食は昨日大智さんの畑で採れた野菜に新年会の料理の残り、鰤のさしみなど。朝から贅沢な食事だ。

でっかい人参!!

でっかい人参!!

8:30 昨日に引き続き大智さんの畑に行く。昨日と打って変わって風が強い。これが普段の風だろう。海から谷を流れて畑のある斜面を吹き上げる。大智さんが「今日はみかんとるかー。」とおっしゃるので、さらに山の斜面をあがったところにある蜜柑の木に行く。仕事を終えた福祉室の大澤さんもやってくる。皆で蜜柑やすだちをつまみ食いしながら収穫。大智さんが身軽に木に登るので井木が「大智さん猿みたい!」と感動。一同大笑いだ。
そこから少し斜面を降りたところにある文旦も採る。買物かごにいっぱいになった柑橘系果物はこれからジャムに加工して2月6日、7日に開催する「かんきつ祭り」で試食する予定だ。人参も畑からひっこぬく。これも料理してケーキになる。

心地よい疲れを感じながら面会人宿泊所にもどる。収穫した果物を置いてギャラリー15寮へ。昨日の工事のあとを掃除する。土壁を壊す時に出た塵を除去するのがなかなか手強い。11:30 作業終了。面会人宿泊所にもどり炊事。
12:00すぎ 入所者の野村さん、山本さん宅をたずねる。野村さんは留守のようだ。野村さんの奥さんから「ろっぽうやき」の話を聞こうと思ったが、次の機会にしよう。井木と泉が作ったおしることお餅、よもぎケーキをお土産にわたす。山本さんは甘いものが大好き。照れながらもうれしそうだ。

瓦礫を拾い、ひたすら掃き掃除拭き掃除。

瓦礫を拾い、ひたすら掃き掃除拭き掃除。

13:25 せいしょうに乗船して大島を離れる。たまたま居合わせた入所者自治会会長の森さんと談笑しながら高松まで。
荷物を駅前のロッカーに預け、駅の地下にある巨大な自転車駐車場に行く。街の規模がそれほど大きくない高松はどこに行くのにも自転車が便利だ。レンタサイクルの登録をして私、井木、泉の3人でママチャリを走らせてカフェのリサーチに行く。2〜3件のカフェをはしごして、店の内装から空間の演出、メニューや店員さんのサービスなどを参考にする。大島でカフェを開店するために必要なホスピタリティーを身につけるためだ。
道は平坦でどこに行くのにも自転車で充分。なかなか楽しいサイクリングだった。泉が「筋肉痛になりそう。」と言っていたが、これぐらいでは出ないと思うよ。
19:40 マリンライナーで高松を発つ。
24:00 自宅に帰宅。

高松にはおしゃれなカフェがいくつもある。

高松にはおしゃれなカフェがいくつもある。

大島 新年会

2010年 1月 9日

7:00起床。 もっと早く起きる予定だったが、疲れが祟ったか。泉も井木もほぼ同じ時間に目を覚ます。朝食の準備をし、パンにメープルシロップやプロセスチーズをのせて食べる。コーヒーはカフェで出す豆の試飲も兼ねている。うまい。私はカメルーンが好き。

メークインを畑に植える。

メークインを畑に植える。

9:00 いつもより風がおだやかだ。この時期風の強い日が続くそうだが、今日は過ごしやすい1日になりそうだ。大島の北、入所者大智さんの畑に行く。もちろん録音機とカメラを携えて。
大智さんは先に来て畑をかまっていた。メークイン(じゃがいも)を植えることになり、30センチピッチで土に埋めて行く。人参のまわりの雑草を抜く。ブロッコリー、キャベツを収穫する。これらの野菜はカフェでケーキにして出す予定だ。大島の土と日差しを浴びて育てられた野菜や果物を来場者に食べてもらうことで大島を肌で感じてもらう。
しばらくして入所者の東條さんが畑作業に来る。大智さんとの声の掛け合いが始まる。待ってましたとばかりに録音機をセットする。私が録りたいのは、「音」ではなく、畑に共鳴し、生き物と風の息吹を含めた音場、空間を録りたいのだ。聞きながら目を瞑ると情景が見えてくる、そんな空間をギャラリーに再現したい。
10:30 畑のお手伝いを終えて、面会人宿泊所にもどる。少し早めの昼食を作り始める。例によって冷凍麺によるぶっかけうどん。さきほど収穫したブロッコリーとほうれん

植えたイモに水をやる。

植えたイモに水をやる。

草を電子レンジでチンして食べる。芳醇な味わいにノックアウトで3人とも泣きそう。
13:00 昼食後はギャラリー15寮に行く。途中で11寮に住んでいた野村さんと会う。この年末年始に11寮を引き払い、新築の棟に引っ越しした野村さん。野村さん宅でいただいたかつおのたたきを思い出す。
独身寮5室が長屋のように連なる15寮はギャラリーとして整備するが、入所者の暮らしを伝えるために、できる限りそのままで使う予定だ。車椅子用のスロープの他、縁側で各部屋の壁をぶち抜いて廊下でつなぐ工事をする。今日はこの壁をぶち抜く作業だ。
私は大工仕事、内装工事などを経験しているので、どのように施工されているかがわかる。福祉室から借りたバール、ハンマー、手のこなどを使ってばんばん壁をぶちぬいていく。
15:00 ほぼ廊下が開通。それほど難しい作業ではない。その間泉と井木は掃除が残っていた一室を徹底的に掃除してくれている。
休憩を入れて、その後は片付け。かなりゴミが出たので、その処理に時間がかかる。
16:30 日が暮れる前に作業を終える。今日は3人ともよく働いた。面会人宿泊所にもどり、作業着から着替える。
17:00 福祉会館に行く。今日のメインイベント「新年会」だ。入所者の山本さん、大智さん、磯野さん、職員の岩田さん、そして私たち3人の計7人が集う。職員食堂のおばちゃんが用意してくれた食べ物とお刺身、お寿司が並ぶ。酒瓶が何本も並んでいる。カラオケを歌ったり、お話ししたりで、なんとも楽しい時間。芸術祭に向けての率直な疑問や意見も聞けた。何よりもこうして入所者の皆さんのお誘いがあって、楽しい時間が一緒に過ごせることがうれしい。
入所者の磯野さんは全盲で盲人会の会長だ。人柄は大らかで壁がなく、人望も厚いと聞く。となりに座っているだけでエネルギーをもらう、そんな印象だ。カラオケの時は人一倍手拍子を打って、場を楽しくもりあげる磯野さんは入所者、職員のあいだでも尊敬されている。
21:00 新年会を終える。残りの料理は私たちが貰い受け、明日に食べることにした。
24:00 お風呂に入り、就寝。

壁工事。5室全部が開通した。

壁工事。5室全部が開通した。

大島 説明・検討会

2010年 1月 8日

5:30 起床。奥さんが入れてくれたコーヒーといちごで眠気を覚ます。今日から2泊3日大島に行く。特に今日は青松園の幹部、入所者自治会に瀬戸内国際芸術祭の説明と芸術祭においてのやさしい美術プロジェクトの事業計画をプレゼンテーションする説明会を開くので緊張感は高まる。
7:15 名古屋駅に集合。私と大島メンバー井木、泉が合流する。
10:30 関ヶ原付近の積雪で新幹線が徐行運転をしたが、定刻通り高松に着く。
大急ぎでパン屋さんに寄り、食パンを買い、駅前のスーパーで食材を購入する。
官用船はぴったりの時間に出航する。乗り過ごさないように小走りで桟橋に向かう。桟橋のたもとで北川フラムさん、香川県、高松市の職員一行と合流する。
11:30 大島着。その足で事務室に向かう。事務室で青松園事務長と関係者との挨拶、名刺交換のあと、納骨堂を参拝する。いつも大島に着くと最初にごあいさつするのは大島で亡くなった多くの入所者だ。北川フラムさんと今日の簡単な打ち合わせをしたあと職員食堂セイブに行く。今日はお葬式が重なって食堂は満席。おばちゃんも忙しそうだ。食事をすませ、会議室に戻る。
13:00 青松園の園長、事務所、福祉室、自治会の皆さんが集まる。総勢30名、これまで2年間取り組みの可能性を探ってきて一番大きな説明・検討会となった。
北川総合ディレクターより瀬戸内国際芸術祭の全体像をパワーポイントで説明する。「海の復権」という大きなテーマを掲げた瀬戸内国際芸術祭。高度の効率化の波の中で失われ、老いていく多島海文化を再発見、再生することにより、人々が活力を持って生きて行くために真の豊かさを祭りを通じて発信して行く。島々が元気になり、世界が元気になる、そんなビジョンが語られた。その中でも「縁をつくる」というキーワードが私には一際強く感じられた。大島は他の島とは全く異なった歴史を背負っている。その大島が他の島々に並び、まさに「縁」を紡いで行く。私たちやさしい美術の構想「つながりの家」はこの「縁」を引き受け、「縁」を取り結ぶ活動だと再認識する。
続いて私からやさしい美術プロジェクトの構想と具体的な事業計画、スケジュールを説明する。その後は自由に意見を交わし、心配事や不安の声を聞く。
大島は国の誤った政策によってハンセン病の患者を隔離してきた島だ。外と隔絶された島をどのように開いて行くのか。様々な意見が出された。課題も少なくない。でも居合わせた関係者の姿勢は例外にもれず前向きで、現場で必要なこと、留意点が意見された。
ここで検討された事項、決定している事項は今後解決するために具体策を含めたプランが近いうちに公表されるのを待つことにする。
14:30 説明・検討会終了。緊張が解けて、入所者の皆さんも笑顔に戻る。北川フラムさん一行は風のように大島を後にする。

説明・検討会のあと、整備中の消防自動車「じぷた」を発見

説明・検討会のあと、整備中の消防自動車「じぷた」を発見

私たちは陶芸室に行き山本さんのもとへ。大島焼の作品の仕上がり具合を見せてもらいに行く。山本さんは新築の住居棟に引っ越したその記念に傘立てをつくった。陶芸室には窯だししたばかりの傘立てが作業台にどっかりと置いてある。作品をめぐって話に花が咲く。本当にたのしいひとときだ。
16:00 面会人宿泊所に戻る。井木が試験的に作ってきた大島のよもぎと香川の小麦粉を使ったケーキを皆で試食する。もっちりとしておいしい。
「こんにちは。」玄関から声がする。入所者自治会会長の森さんがぶらりと面会人宿泊所に寄ってくれた。さっそくよもぎケーキを森さんにも食べてもらう。私が「泉は芸術祭期間中ろっぽうやきを作ると決めているんですよ。」と話したら、森さんが20年ほど前に亡くなったお菓子の職人さんについて話し始めた。大島では「ろっぽうやき」を食べたことがない人はいないぐらい、その入所者がご健在のころは皆に親しまれて食べられたという。その「ろっぽうやき」を作るのを手伝っていた方はまだ大島でご健在と聞き、お話を聞くことも可能だと判明した。「ろっぽうやき」をたどることは大島の暮らしをたどることになる。また貴重な情報を得ることができた。
食事と入浴を済ませ、23:00就寝。

大島のよもぎで作ったケーキ。これも大島とのコラボレーションによる作品である

大島のよもぎで作ったケーキ。これも大島とのコラボレーションによる作品である

書類作成

2010年 1月 6日

5日、6日と集中して書類作成。
大島メンバーの井木と泉とで協力し合いながら大島の取り組みのスケジュール、事業計画、予算案を作って行く。
帰宅するのが昨日は1:30、今日(昨日?)3:00。それでも自分たちがあたためてきたプランを形にするための一歩は険しくもわくわくする。
明後日(明日?)は大島。北川フラムさんと大島の取り組みを説明し、どのように大島を開いて行くかを検討する日だ。決まってくることは正式な発表を待って、私からはまた大島の空気、土、風を皆さんに届けたい。

様々な書類で雑然とするプロジェクトルームの机

様々な書類で雑然とするプロジェクトルームの机

継続すること

2010年 1月 3日

やさしい美術プロジェクトを特徴づけていることに「継続する」ということが挙げられる。平成14年の春、私は愛知県厚生連足助病院の早川院長とお会いして病院と美術・デザインとの協働プロジェクトを提案した。当時の私の提案は「どのような作品をいつまでに展示する」という内容が全く盛り込まれていなかった。依頼され制作し設置して完了する一般的な委託制作とは異なり、着地点を設定せずにスタートを切った本取り組みは、期せずして継続性を含み持っていた。
私の呼びかけで集った学生有志による創立当初のやさしい美術プロジェクトがまず着手したのは病院利用者をインタビューすることだった。そのプロセスによって私たちは想像をはるかに越えたインスピレーションを得ることになる。各病室をまわり、病院利用者とじっくりお話しすることによって院内の空間や環境を知る以上に「生きること」「死ぬこと」に直に触れ、「痛い」「苦しい」「辛い」「悲しい」といった数えきれない感覚と感情に出会い、自らの内に共振する情感を発見したのである。この他者に自分自身を重ねる姿勢はやさしい美術プロジェクトの創立時から現在まで脈々と受け継がれている。
やさしい美術プロジェクトのほとんどの参加メンバーが卒業するまで在籍し、なかには卒業後も活動を続けている者もいる。一つの作品が現場で活用されながら何年もかけてリファイン、リメイクを繰り返すこともめずらしくない。一旦完成した作品も現場によって鍛え上げられ、そこにあることの意義を深めながら存在し続けるのである。
地域と連携を深め、地域の中核にある病院というビジョンを得たやさしい美術プロジェクトは、環境を「壁」「窓」「廊下」などのハードとして捉えるのに加え、「感覚」「感情」「身体」といったソフト面に着目してきた。その成果は有形の作品に対して、無形のイベントを創出するワークショップや参加型プログラムに結実して行く。自然のダイナミズムや季節の移ろいが感じられること、現地の文化がさりげなく取り入れられ地域に開かれていること、院内の時間を有意義に過ごすこと…。これらの発想の背景にあるのは何度も現地に赴き取材を重ねるうちに体得した「無いもの」「失われたもの」への眼差しだった。こうした長期にわたる協働の成果は病院のみにとどまらず他の施設での取り組みに活かされて行く。
やさしい美術プロジェクトは地域の障がいを持った子どもたちの通園施設である発達センターちよだにて造形ワークショップに取り組んでいる。対象は学齢の自閉症などの発達障がいを持った子どもたちである。発達障がいと言っても一括りにできるものではない。施設職員と綿密に連携し、それぞれの個性に合わせて素材の出会いをつくり、様々な感覚のバリエーションを開発している。
新潟県立十日町病院での取り組みは文字通り「地域に開かれた病院」を創出して行くものである。準備の2年間は幾度となく現地を訪れ、春は田植え、秋は稲刈り、冬は雪掘りに汗を流した。これらの体験は十日町病院での取り組みの要となる構想、空き家活用プログラム『やさしい家』を実現に向かわせた。『やさしい家』は十日町病院に程近く、南側窓に立てば十日町病院の病棟を一望にできる。公開期間の約50日間、そこにやさしい美術プロジェクトの参加メンバーが多い時で20名、平均して4〜5名が常駐した。常駐者は朝起きて病院に行き、展示中の作品を見回り、展示替えを行う。問題が生じると病院から連絡が入り、すぐさま対応に向かうことができた。加えて『やさしい家』で行われるワークショップや参加型プログラムの成果は鮮度を保ちながら十日町病院に届けられたのである。まさに病院の日常に私たちの活動があった。『やさしい家』には遊びに来た子どもたちの笑い声が絶えなかった。ご近所から漬け物や煮物の差し入れをいただいたのも一度や二度ではない。『やさしい家』は病院に隣接したコミュニティースペースへと成長したのだ。
医療福祉施設で取り組まれる美術・デザインの活動は徐々に市民権を得ている。しかし、「無いよりは在るほうがいい。」と言うのではあまりにも心許ない。「美術・デザインは病院に必要か。」という問いに私たちは確固たる根拠(エビデンス)を持って答えるべきなのだ。
その問いに答えるべく定量的な指標の作成を本取り組みに組み入れたのは「継続すること」に活力を与えるためである。
継続することでやさしい美術プロジェクトの活動は深化を遂げてきた。いずれの作品も実施した企画も完成を見たと同時にそこを出発点に次の取り組みに向かっていく。言わば着地点のない営みを繰り返し刷新しながらそこに居る人々の意識に変化を与え、また作り手も現場と密接な関わりを持って変化してきた。本記録誌を通して双方の変化の推移が描くスパイラルの軌跡を感じ取っていただければ幸いである。
やさしい美術プロジェクトディレクター 高橋伸行

※本文は今年度末に発行する記録誌の冒頭に掲載する文章の草稿です。

a happy new year!!

2010年 1月 1日

あまりにも早い1年だった。
今年もさらに早い1年になりそうだ。
皆さま、今年もよろしくお願いいたします。

大島の上空で螺旋軌道を描く鳶。

大島の上空で螺旋軌道を描く鳶。