Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 1月 8日のアーカイブ

大島 説明・検討会

2010年 1月 8日

5:30 起床。奥さんが入れてくれたコーヒーといちごで眠気を覚ます。今日から2泊3日大島に行く。特に今日は青松園の幹部、入所者自治会に瀬戸内国際芸術祭の説明と芸術祭においてのやさしい美術プロジェクトの事業計画をプレゼンテーションする説明会を開くので緊張感は高まる。
7:15 名古屋駅に集合。私と大島メンバー井木、泉が合流する。
10:30 関ヶ原付近の積雪で新幹線が徐行運転をしたが、定刻通り高松に着く。
大急ぎでパン屋さんに寄り、食パンを買い、駅前のスーパーで食材を購入する。
官用船はぴったりの時間に出航する。乗り過ごさないように小走りで桟橋に向かう。桟橋のたもとで北川フラムさん、香川県、高松市の職員一行と合流する。
11:30 大島着。その足で事務室に向かう。事務室で青松園事務長と関係者との挨拶、名刺交換のあと、納骨堂を参拝する。いつも大島に着くと最初にごあいさつするのは大島で亡くなった多くの入所者だ。北川フラムさんと今日の簡単な打ち合わせをしたあと職員食堂セイブに行く。今日はお葬式が重なって食堂は満席。おばちゃんも忙しそうだ。食事をすませ、会議室に戻る。
13:00 青松園の園長、事務所、福祉室、自治会の皆さんが集まる。総勢30名、これまで2年間取り組みの可能性を探ってきて一番大きな説明・検討会となった。
北川総合ディレクターより瀬戸内国際芸術祭の全体像をパワーポイントで説明する。「海の復権」という大きなテーマを掲げた瀬戸内国際芸術祭。高度の効率化の波の中で失われ、老いていく多島海文化を再発見、再生することにより、人々が活力を持って生きて行くために真の豊かさを祭りを通じて発信して行く。島々が元気になり、世界が元気になる、そんなビジョンが語られた。その中でも「縁をつくる」というキーワードが私には一際強く感じられた。大島は他の島とは全く異なった歴史を背負っている。その大島が他の島々に並び、まさに「縁」を紡いで行く。私たちやさしい美術の構想「つながりの家」はこの「縁」を引き受け、「縁」を取り結ぶ活動だと再認識する。
続いて私からやさしい美術プロジェクトの構想と具体的な事業計画、スケジュールを説明する。その後は自由に意見を交わし、心配事や不安の声を聞く。
大島は国の誤った政策によってハンセン病の患者を隔離してきた島だ。外と隔絶された島をどのように開いて行くのか。様々な意見が出された。課題も少なくない。でも居合わせた関係者の姿勢は例外にもれず前向きで、現場で必要なこと、留意点が意見された。
ここで検討された事項、決定している事項は今後解決するために具体策を含めたプランが近いうちに公表されるのを待つことにする。
14:30 説明・検討会終了。緊張が解けて、入所者の皆さんも笑顔に戻る。北川フラムさん一行は風のように大島を後にする。

説明・検討会のあと、整備中の消防自動車「じぷた」を発見

説明・検討会のあと、整備中の消防自動車「じぷた」を発見

私たちは陶芸室に行き山本さんのもとへ。大島焼の作品の仕上がり具合を見せてもらいに行く。山本さんは新築の住居棟に引っ越したその記念に傘立てをつくった。陶芸室には窯だししたばかりの傘立てが作業台にどっかりと置いてある。作品をめぐって話に花が咲く。本当にたのしいひとときだ。
16:00 面会人宿泊所に戻る。井木が試験的に作ってきた大島のよもぎと香川の小麦粉を使ったケーキを皆で試食する。もっちりとしておいしい。
「こんにちは。」玄関から声がする。入所者自治会会長の森さんがぶらりと面会人宿泊所に寄ってくれた。さっそくよもぎケーキを森さんにも食べてもらう。私が「泉は芸術祭期間中ろっぽうやきを作ると決めているんですよ。」と話したら、森さんが20年ほど前に亡くなったお菓子の職人さんについて話し始めた。大島では「ろっぽうやき」を食べたことがない人はいないぐらい、その入所者がご健在のころは皆に親しまれて食べられたという。その「ろっぽうやき」を作るのを手伝っていた方はまだ大島でご健在と聞き、お話を聞くことも可能だと判明した。「ろっぽうやき」をたどることは大島の暮らしをたどることになる。また貴重な情報を得ることができた。
食事と入浴を済ませ、23:00就寝。

大島のよもぎで作ったケーキ。これも大島とのコラボレーションによる作品である

大島のよもぎで作ったケーキ。これも大島とのコラボレーションによる作品である