Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 2月のアーカイブ

マクロビケーキ

2010年 2月 14日

9:00 大学に着く。今日は卒展の前日搬入。昨日ほとんど寝ていないのだが、寒さでしゃきっと目が覚める。やさしい美術のメンバーでもある天野が明日の搬入より先に美術館保管庫に搬送しておくのだ。天野は美術館の展示室から出て、来場者の休憩の場となっている通称「ラウンジ」に作品を展示する。八角形のドームになっている特殊な空間に合わせての展示。その挑戦の日々が明日、いよいよ形になる。天野の表情は清々しさと明日への期待感でみなぎっている。作品ができあがったところで、天野が自分の作品をどう批評するか。作品を前に語り合ってみたい。
午後、美術館保管庫に納入した後、自宅に帰る。今日は奥さんと子どもたちが私のためにバレンタインパーティーをしてくれる。
18:00 実家に遊びに行っていた子どもたち、続いてヨガのレッスンから奥さんが帰ってくる。パーティー開始だ。慧地は手作りの絵本をプレゼントしてくれた。怪獣図鑑と書いているのにウルトラマンまで描いてある。ウルトラマンも怪獣も慧地の中では同じ扱い、強さの現れなのだ。めちゃかっこいい、しびれるー!ありがとう慧地。
奥さんからはDVDのプレゼント。私はいつも忙しくて、家族で映画に行ったり遊びに行ったりする時間がない。つい先日観てきた、マイケルジャクソンが亡くなる直前まで撮影されたビデオを元に制作された映画「This is it」をプレゼントしてくれた。「いつも映画観れないから、時間のある時に観てね。」
仕上げはマクロビオテックのケーキ。生クリームの代わりに豆腐を使ったとってもヘルシーなケーキ。
This is it!
だね。

今、この時

2010年 2月 10日

13回忌は終わっているが、今日が兄の命日。
私の骨髄が適合し、兄がまだ生きていたとしたら、とふと思う。きっと私は結婚していないし、子どもたちもいないだろうし、やさしい美術をたちあげることもなかったと思う。もしもーと考えるのは私は好きではない。考えたって、なるようにしかならないし、今、この時を精一杯やっていくしかないのだから。でも、今日だけは自分を許して、たとえ堂々巡りになろうと、考えてみたい。
生きる意味とは何だろう。兄が死を前に最後のいのちを燃やすことに立ち会いながら、考えないようにして来たことを考え続けた。「存在することの意味」。その視点はいのちあるものだけでなく、私たちの世界をとりまく全てのものに向けられている。

瀬戸内国際芸術祭 大島住民説明会

2010年 2月 8日

亡くなられた入所者の荷物野村ハウスで朝食。食後は泉と井木はカフェ・シヨルに行き、昨日の作業の残りを始める。私は大島会館に行き今日の住民説明会の準備に入る。大島会館の前に軽トラックが2台家財道具がどっさりと積まれている。亡くなられた入所者のものだ。ここ大島では荷物の引き取り手も身寄りもない方がほとんどだ。一切合切きれいさっぱり廃棄されるのが慣しなのだ。手伝っていた入所者が微笑みながら「これですべて終わりじゃ。」とおっしゃった。人が生まれ死に行く。誰もが通る道。このような終わり方もあるのか…。あの時の入所者の微笑みが意味することは何なのか…。
AFGの大島担当高坂さん、香川県庁の宮本さんが大島に着く。配布書類、機材の動作確認をしているうちに昼食の時間となる。泉と井木がおにぎりをにぎってくれた。お米は入所者自治会会長の山本さんからいただいたもの。新潟県産も美味だが香川県産のお米もなかなかほっこりとしておいしい。
13:00 住民説明会の時間となる。福祉課の職員さんからは「10〜20名もこれば良いと思うよ。」とおっしゃったが、予想以上にたくさんの方々がかけつける。瀬戸内国際芸術祭実行委員会一行がチャーター船予約のトラブルで時間に間に合わないことが判明。先に私から大島で取り組む「つながりの家」構想を発表することになる。盲人会では親しくさせていただいている磯野さんの顔が見える。その他にも職員さんに手を引かれて多くの盲人の方がみえている。プレゼンテーションはプロジェクションによるものを準備したが、できる限り言葉で説明がつくようにお話ししなければ。参加者は70名弱、想像を大きく上回る。初心を忘れず、私ができる範囲で入所者の心情を集め、そこから出発した構想であること。カフェとギャラリーをつくることになった経緯説明。現在進められている活動の状況を説明する。今回のかんきつ祭の写真、試食会の写真を早速使わせていただいた。

予想以上の参加があった、説明会

予定通り30分ぴったりお話ししたところで休憩に入る。そこへ実行委員会一行が大島会館に滑り込み。瀬戸内国際芸術祭総合ディレクター北川フラムさん、大島で予定しているコンサートの美術を担当する著名な絵本画家田島征三さんらがかけつける。北川フラムさんから瀬戸内国際芸術祭の壮大なコンセプト、芸術祭の中での一会場である大島の位置付けについて説明がある。「島のおじいちゃん、おばあちゃん、住民が元気になる芸術祭。」「芸術祭を機に縁をむすび、持続することが大切。」という言葉が印象に残る。コンサートは9月上旬に行う構想であり、小室等さんをはじめ、有名ミュージシャンが関わる計画だ。大島のために特別に結成する楽団でもあるという。その美術に田島征三さんが加わる。鬼に金棒である。
14:00 説明会終了。官用船船長から質問があがるなど、関心の高さが伺えた。
説明会終了後は北川さん一行と軽く挨拶。新しい会長山本さんを紹介する。その後はいつものように風の如く大島を後にする。副園長から「大島には盲人の方も多くみえます。ビジュアルで見せるプレゼンテーションはいかがなものか。」と意見をいただく。全くその通りだった。私たちの認識が甘いと言わざるをえない。
私とAFG高坂さん、田島征三さんの3人で大島をゆっくりと歩く。初めて訪れた田島さんにこれまでの経緯を説明しながら、大島の施設を観て廻る。納骨堂では田島さんもお線香をあげた。
入所者が暮らす主に北部の大島をぐるりとまわり最後はカフェ・シヨル(第二面会人宿泊所)による。ちょうど柑橘類加工作業を終えた泉と井木があわただしく片付けをしているところだった。皆でコーヒーを飲みながら大島製ピールとピールをミックスしたプロセスチーズを食す。田島さんは持参のパンにプロセスチーズをたっぷりつけてほおばる。
大慌てで片付けして野村ハウスを出る。桟橋で田島さん高坂さんと待ち合わせて官用船せいしょうに乗り込む。船で田島さんとお話ししながら帰路を楽しむ。これからパリ、スペイン、ラオスと世界中を駆け巡る予定だそうだ。そのバイタリティーに圧倒される。
高松から名古屋へ。いくつも課題を与えられた4日間だった。

かんきつ祭 「祭とはこのことか!」

2010年 2月 7日

昨日に引き続きかんきつ祭のためこえび隊の皆さんが大島にやってくる。
今日は収穫し、きれいに洗って剥いた柑橘フルーツを調理するまでの加工作業。ダイニングテーブル2つを繋ぎ、ビニールで覆って面会人宿泊所はにわかに食品加工工場に早変わり。
最初に泉、井木から説明があり、エプロン、かっぽう着姿で作業を始める。蜜柑の皮を細切れにするのはジャムの調理のため。ピールは内側の白い部分を取り除く作業。剥き身を揉む作業は力と持久力が要るので男性にお願いした。ものすごい香りが部屋に充満する。自然なものでむせるような香りではない。私は明日のプレゼンテーションのための準備をする予定だったが、これだけの膨大な作業、放っておくわけにはいかない。それに皆でわいわいと作業するのはとっても楽しい!
「かんきつ祭」の「祭」の響きに惹かれて来ました。侮ってましたー。祭とはこういうことだったんですねー。」と冗談が飛ぶ。そう、なかなかの重労働なのだ。作業しながら大島のこと、入所者のこと、カフェのことを語り合う。集まっていただいた皆さん、すてきな方たちばかり。夕方に普段お世話になっている入所者の皆さんを招き、試食会を行う。それまでは昼食後も休みなく作業を続ける。
加工が終わった柑橘フルーツを大鍋にぶちこんで、煮始める。ピールとジャムが大量にできる計画だ。保存食のため、冷凍保存して7月からの芸術祭会期中にメニューの一つとして来場者、入所者、職員さんに食べていただく。今日入所者に食べていただくのは事前に泉、井木が調理したジャムとピール、それらを素材に作ったクッキーやケーキ。2人とも忙しいのに、見えてはこない2人の手間を労いたい。これらは作品だ。
15:00 かんきつ祭参加者の皆さんの協力を得て、試食会の会場設営。まず女性の入所者お二方がみえる。お二方ともおしゃれをして来ていただいた。とってもうれしい。カフェ・シヨル=第二面会人宿泊所の奥、試食会会場にご案内する。とってもにぎやか。おいしいお菓子にコーヒー、果実酒も。自然と会話がはずむ。「カフェ・シヨル」開店後こんな空間が生まれれば最高!
男性の入所者も遅れてみえる。元自治会長森さん、元副会長野村さんもやってくる。皆さん口々に美味しいとおっしゃる。「世界に一つしかない味ね。」「表彰状あげなきゃ。」とうれしい言葉をいただく。泉、井木もうれしそうだ。
野村さん、森さんからかつての入所者の暮らしについてお話を聞いた。かんきつ祭の参加者にとってとても意義のある時間だったと思う。知識や文献ではなく、実際に体験して来た強制隔離の事実。皆さん心に刻んで帰ったに違いない。
夕方まで片付け、まだ済んでいない分は明日にまわす。
野村ハウスに戻り夕食。21:00解散。私は明日の「大島住民説明会」のためのプレゼンテーションの準備に入る。今回のかんきつ祭の写真もスライドに加える。これまで進めて来た大島での取り組み「つながりの家」を多くの聞きに来た入所者、職員に説明する機会をいただいた。理解していただけるのか、応援していただけるのか。この説明会にかかっている。
3:30 就寝

大島 かんきつ祭の前に製麺所

2010年 2月 6日

名古屋駅に着き、ホームに出ると外は吹雪いていた。何度か雪の影響で新幹線が遅れたが、今日はもっと遅れるかもしれない。7:30ののぞみに乗り込む。車内放送で30分遅れる、とのこと。岡山でマリンライナーへの乗り継ぎは無理。28分遅れで岡山着。マリンライナーは10:00ごろの出発になる。
10:55高松に着く。先乗りしている井木と泉に食材の買物を頼まれていたので、11:00の船はあきらめる。
さて、次の船まで時間ができてしまった。たまった仕事をしようと思ったが、パソコンをつなぐ電源がない。私のノートパソコンは4年使っているのでバッテリーがへたっている。諦めて、というか、気分を入れ替えて、レンタサイクルで自転車を借り、とある製麺所までひとっぱしり。その製麺所は工場の片隅にある職員食堂といった趣き。外でどんぶり片手にうどんをすすっている人がいる。自転車は10台ほど停まっている。入り口入って両側に簡素なカウンター、真ん中に立ち食い用のテーブル。奥でおばちゃんにうどんを頼むとどんぶりにどちゃっとうどんを入れてくれる。それを自分で湯がき、だし汁をかける。隣の人と片寄せ合って立ったままうどんを食す。これがまた、あーた。ほんとにおいしい!一説には味が落ちたと聞くけれど、麺のもっちり感、のどごし、だし汁とのからみ…。
お腹がふくれたところで再び自転車にまたがり、高松駅にもどる。
食材をスーパーで購入して桟橋に向かう。
13:55 まつかぜに乗船。雪が降るほどではないが、風が冷たい。船で3名ほどの入所者と会う。皆さん顔見知りだ。船の中でわいわいおしゃべりしながら大島まで行く。波が高く船は大きく揺れたが、楽しいひとときで全く気にならなかった。
大島に着き、まずは第二面会人宿泊所に向かう。すると中からにぎやかな声が響いて来る。
そう、今日6日と7日の2日間は「かんきつ祭」と銘打って大島の柑橘類を収穫しジャムやピールをつくるワークショップを開催している。前日入りした泉と井木が準備し、こえび隊8名がワークショップに参加している。
皆で収穫してきた柑橘類を水で洗っているところだ。私の顔をみるなり皆さん気持ちのいい挨拶と笑顔が飛んで来る。なんともうれしくなる。
カフェになる予定の第二面会人宿泊所の中はすでに柑橘臭が充満している。厨房になる予定の台所にはかわいらしいポットが湯気をあげている。寒い日のはずだが、気持ちがぽかぽかしてくる。
洗った柑橘類の皮むき、皮の加工作業に入る。私も包丁さばきは自信があるので、ジャム用にひたすら蜜柑の皮を刻む。膨大な蜜柑たち。籠、段ボール7つも収穫があったそうだ。
加工作業の途中、野村さんが顔を出してくれる。テーブルと電子レンジがあるから使ってくれ、とのこと。野村さんについて行くと、つい先日亡くなった入所者のお部屋に案内される。部屋の中は使われていた時のままだ。野村さんが指差したその先には20体ほどの木彫りが目に入って来る。布袋や達磨を象ったそれらの木彫りは大切に木箱やガラスケースに並べられている。「入所者が大事にしていて、捨てられないで残ってるものじゃ。」木彫りは岡山の療養所愛生園のクラブが制作した物かもしれないと野村さんはおっしゃる。さっそくギャラリーで展示させてもらうことにする。
第二面会人宿泊所にもどり、テーブルを部屋に入れる。ちょうど、今回のワークショップの作業机に持ってこいだ。
16:00 ここで作業は一区切り。最終の高松便に乗船してワークショップ参加者は高松へもどる。
そのあと、私、泉、井木の3人で片付け作業。片付けた後は11寮に行く。
大島にはホテルは、ない。入所者に面会する、あるいは慰問で訪れた人が面会人宿泊所に泊まるのみである。私たちは繰り返し大島にやってきて、制作もして行くとなると、面会人宿泊所の使用目的に沿わなくなる。入所者の野村さんが私たちのために貸して下さったのだ。私たちはここをレジデンスルーム「野村ハウス」と名付けた。
さて、夜は食事の前に今後の運営体制や予算の使い方などを綿密に話し合う。
夜は冷凍麺のうどん。うどんづくしの1日だった。
23:00 お風呂に行く。実は入所者のお宅にはお風呂はない。共同の小さな銭湯のようなお風呂場が一件あるのみだ。私たちは、今回面会人宿泊所に泊まらないので、入所者が使うお風呂を使わせてもらう。
床暖房完備のお風呂は新しくて清潔だった。洗い場には鏡はなかった。
1:30 就寝。

泉と井木が持ってきたポット

泉と井木が持ってきたポット

休憩中に試食したジャムとヨーグルト

休憩中に試食したジャムとヨーグルト

卒業制作写真撮影

2010年 2月 5日

私の運営する交流造形、メディア造形コースが今年始めて卒業生を輩出する。
今日は実質卒業制作の採点の日。カタログを制作するためにプロに依頼して作品写真を撮影する。
いつもながら写真撮影の様子を見ていて感心する。プロのフォトグラファーの手際よい照明のセッティング、露出計の手さばきなどなど。大きな機材を無駄を省いた動きで迅速に設えて行く。こうした現場には女性も多い。写真を撮っている女性はかっこいい。
ここのところ、仕事が量んで日付が変わってから帰る日々。昨日は3:00。
明日から大島に行くので、今日は9:00に帰宅。こどもたちが待っててくれた。
絵本を読んでくれとせがまれる。ふたりを膝に乗せて絵本の朗読。
この上ない幸せー。

通勤中空に溶けるフレーム、発見

通勤中空に溶けるフレーム、発見

写真撮影現場

写真撮影現場

小牧市民病院 慎重に

2010年 2月 3日

このブログでも紹介してきたアートプロデュースコース2年次の修了制作展が終わり、その片付けを指示する。組み立てた本人たちが壊すので、やはり要領得たのか、作業は効率よく進む。学生たちは口々に悲しいと言う。無理もない、2ヶ月ほどかけてスペースをつくるところから始めたのだから。壊す時はあっけないものだ。

16:00 大学を出て小牧市民病院に向かう。昨年から試作と検討を繰り返してきた、患者さんのベッドの上にモビールを展示する構想が、ここに来て安全管理の問題から振り出しに戻ってしまった。今日は新しい作品の提案と現在進行している小児科病棟の処置室と外来中待ち合い室の作品プランを提案する。
モビールの議論の焦点は子どもが飛びつくかもしれないという安全性と管理の問題だ。大人の病室に展示することを対価案として提示したが、埃の問題、作品入れ替えの方法など、不安点が多く医療サイドではとても承服できない、というものだった。難易度の高いことだが、モビールを展示し、展示入れ替えのシステムをつくるには患者さんの取り巻く環境が良くなる、という強い確信がなければ絶対実現できないことだ。やさしい美術プロジェクトのメンバーが事務室の一角に事務所を構えるほど状況が成熟していなければ、今回のような提案はまだ早すぎたのかもしれない。
それでも新たな希望はある。まずはディルームとプレイルームにはモビールを展示しても良いでしょう、と許可をいただいた。患者さんの一番近いところではないけれど、モビールを眺めて部屋に一つでも欲しい、と思っていただけるような発展性がうまれればいい。

Morigamiのまわりはすっかりくつろぎスペースとして定着した

Morigamiのまわりはすっかりくつろぎスペースとして定着した

Morigamiに書かれたメッセージ

Morigamiに書かれたメッセージ

Door展 解体

Door展 解体