Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 3月 23日のアーカイブ

あしたのジョー

2010年 3月 23日

隠された表紙の反射、わかりますか?

やさしい美術プロジェクト活動報告書平成19年—平成21年 の印刷があがり、今日納品された。待ちに待った完成。現時点でベストをつくした記録誌。正確には3月25日の発行である。私たちには活動の終わりを待って報告書を作成するほど予算的な余裕はなかった。補助事業期間内にプロジェクトの総力を結集して作った報告書だ。よくやれたと思う。こういう差し迫ったときに何故かほかの問題も重なり、がんじがらめになる。それぞれの事情でそこに出くわした人々は感情を私にぶつけてくる、私の力の至らなさを詰る。そんな時私は足を踏ん張り、ぐっとこらえて一つひとつ解決していくしかない。特に人の気持ちは思い通りにはならないのだから。
ボクサーは自分がパンチを繰り出すことばかりでなく、パンチを受ける側でもある。未体験の強いパンチをうけることもあるだろう。おのれの体がみしみしと悲鳴をあげるのを聞き、おどろき、おののく。意識が遠のくぎりぎりのラインで持ちこたえることによって、次に同じ強さのパンチを受けても倒れることはなくなると言う。ダメージの大きさはきっと変わらないけれど、体が知っている痛みを「経験している」ことによってそれを冷静に見ることができるという違いなのだろう。鍛えられるというのはこういうことかもしれない。
今日、プロジェクトメンバーを募集するためのチラシを古川、木谷、芳賀が遅くまで作っていた。チラシに目を通しながら、ディスカッションする。作業が終わり帰路、私の自家用車に古川と木谷を乗せて春日井駅まで送る。「4月に入ったら、やさ美男子だけで「男子会」やるかー。」「いいですねー。飲みにいきましょう。やさ美に男子、少ないですからね。」
古川と木谷に新しいメンバーがなかなか集まらなくても気にするな、と話す。「やさしい美術に興味があります。」「福祉に興味があります。やさしい美術いいですね。やってみたいです。」という声はたくさん聞く。学内では知らない人はいないほど認知度も高い。それでも年度当初に説明会を開いても20人中2〜3人程度しかメンバーに定着しない。
それぞれの事情があり、優先順位があるのだろう。参加したくてもできない人もきっといるはずだ。だから、学校が始まる混乱の時期に存在感を知らせておくことが大事だ。人はすぐ忘れるのである。
学内の授業の成果を出すことは学生の義務である。しかし、責任はない。学外に出て社会の中で実践するには社会的な約束が生じる、つまり責任を負うのだ。学生はそのことを良くわかっていると思う。ほとんどの学生がアルバイトを経験し、私たち教員の思っている以上に社会の荒波に揉まれている。社会活動でもあるやさしい美術の活動は学生特有の楽しさ、気楽さからは遠く、垣根が高くて、重すぎるのかもしれない。
現場に行き、実際に実践してみると、「やさしい」という言葉に甘く酔いしれている場合ではない、と気づく。現場では受け入れられないこともあるし、誤解が生じたり、感情のぶつかり合いもある。自分の信念やこだわりを無惨にへし折られることもある。でもそれに耐える強靭な心をつくるなんて私にはできない。
「折れない心を保つのではなくて、心が折れたら折れたでまた自分から立ち上がっていくことのほうが大事じゃないかなぁ。」古川と木谷に語る。
己の強さではなく、もろさ、不甲斐なさを見つめる。みしみしと悲鳴をあげる自分の心をもう1人の自分が見る。謙虚に、そして情熱を持って。