Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 5月 7日のアーカイブ

ちよだ 伝導と共鳴

2010年 5月 7日

午前中、大島担当AFGの高坂さんと連絡を取り合い、来週の大島行きなどについて打ち合わせる。何度か大島に電話をかける。入所者自治会会長の山本さんは2月以降、自宅に電話してもなかなかつながらない。ほとんど自治会事務所で仕事してみえる。青松園事務長の稲田さんと相談しながら、これからの制作や準備に必要な事項を進めていく。仕事の合間に猛スピードでギャラリーの展示プラン、Morigamiの設置プランのスケッチを何枚も描く。
GALLERY15(15寮)で最初に行う展示は音を使った展示だ。大島で取材した音をギャラリーで再生する。建物には手を加えない。来場者は空っぽになった15寮=ギャラリー=入所者の住居をゆったりと感じてもらおうと思っている。大島にある音とその場所の記憶が音場となって建物全体から鑑賞者の身体に伝導していくようなイメージを目指しているが、なかなかうまくいかず、試行錯誤を繰り返している。こういう時こそ地道な実験、研究、新鮮な作品イメージを保ち続けることが大切だ。ここ10年来あたためてきたプランが大島という場所を得て実現するのだ。自分でも神経がぴりぴりしているのがわかる。
17:30 発達センターちよだのワークショップに向けてミーティング。オブザーバーに1名新メンバーを加え、総勢5名で今後の方向性を議論する。スタッフ川島がワークショップの記録をまとめるためのフォーマットを作成しておいてくれた。こうしてたたき台を作ってくれると議論が前に進む。メンバー森からもラフ案でワークショップの評価のバロメーターを記述する提案を持ってきてくれた。さて、ここから議論が始まる。
私からワークショップの実施に加えて「なぜ記録を作り、研究のための資料を残そうとするのか。」を説明した。やさしい美術プロジェクトは前例のない取り組みだ。病院と継続的な協働関係を保ち、院内環境、人々、そして地域に働きかけ、相互に変化していく社会活動である。私は学生にもスタッフにも「できる限り記録を残しなさい。」と指導してきた。以前は無自覚なところがあったが、学会や研究会に出席し、また私自身も学会発表を経験して改めて「研究」となることの重要さに気付いていった。私たちのやさしい美術は新しいアートのムーブメントではあっても、根も葉もないところにこつ然と現れたものではない。時代の流れ、連綿と受け継がれてきた歴史の積み重ねの上に私たちは立っているのである。先人の道を敬い、それを礎に前に進むには自分たちの歩みを振り返り、確認し、後進のためにのこすこと。一言で言えば思い上がりにならないための「謙虚さ」といったところか。社会的「責任」と換言できようか。このような私の考えを学生、メンバーには伝える機会が今までになかったわけではないが、話してもすぐには理解してもらえない。それは無理もない話で、私自身も最近になってようやく実感を伴ってわかってきたことなのだ。むしろ私の言うことは実績ばかりを重んじる発言に捉えられたり、仕事が増える、手間が増える、余裕がなくなるなど何やら一方的に感じられるかもしれない。理解されなくともディレクターとしては必要な感覚なのだ。
発達センターちよだの取り組みは現代GPに採択された平成19年の10月から開始した活動だ。初めてちよだに見学に行き、子どもたちと接した心境は外国人の友達をつくるような感じだった。失礼な言い方かもしれないが、私は親戚、家族に障害を持った人はなく、よくわからないという程度の認識しかなかった。私には韓国やカナダ、アメリカ、イギリス、インドなどに親しい友人がいるが、文化も言語も異なる人と接しながら、交遊を深めていくのはとても刺激的だった。新しい人と出会い、新しい自分と出会える。その感覚とよく似ていた。この取り組みに携わった人全員が同じ感覚ではないだろう。自分自身が障害を抱えている、のであれば、子どもたちと関わる立ち位置が違ってくるかもしれない。障害を持つ人が身近にいれば問題意識の深さは私には想像のつかないところだ。
今回の議論に居合わせた全員にちよだでの造形ワークショップを通してどのような期待感を持っているのか、何を目標としたいのかをたずねてみた。ワークショップの実施を通して子どもたちの変化や成長を期待するのも確かだが、「障害を持つ子どもたちと接することができる。」というところに大きなメリットを感じているということが見えてきた。もう少し噛み砕いて言えば「他者と関わること。」を学び、実践し、相互に変化し、成長していくという期待感である。
まさにこれはやさしい美術が行ってきたことと重なるものだ。ごくシンプルな共有課題を言葉にできたことだけでも今回の議論の意義は大きい。
そして、「研究」について。スタッフ川島から「研究や記録を残す人は第三者である外部の人か、専門性の異なる人が行ったらどうか。」という提案があった。昨年度実施したアンケートの実施のため、統計の専門家のコンサルティングをいれた。活動の実践は当事者が集中すれば良い。痛いところをつかれた。私たちにコンサルティングをいれる予算はない。本学に研究の機関もなければそうした研究課題を抱く学生もいない。昨年は筑波大学の学生が取材に来て卒論で発表した人がいたが、本来は学内で実践と研究が一体になっているべきだろう。制作における本学の工房と研究室の連携はある程度図れていると思う。ところが実践と研究の連携や組織的取り組みは多くの課題を残していると言わざるを得ない。
ともあれ、私は現場とそこにいるメンバーの状況を見て、最優先課題を見極めなければならない。そこで私はひとつの決断をした。今年のちよだの取り組みは「研究」を行わない。必要最小限の記録と自助努力と改善のための日記的な報告書程度にとどめ、できる限り子どもたちとのふれあいに集中する。「残す」よりも「やり続ける」という選択である。実践ありきでそれから考える。その都度議論を重ねる。自然発生的に課題が出てくるようならば探求の勢いをとめることはない。

21:30 スタッフ川島としばらく議論の続きをした後、大学に置きっぱなしになっていた作品を車に積み込み久しぶりに小原村のスタジオに向かう。
23:00 途中食事をして小原のスタジオチキンハウスに着く。(スタジオチキンハウス:2008年8月5日の日記参照)車に積んであった作品をおろし、大島で使用する予定の機材をかわりに積み込む。周辺に家はない。町の灯がないところでは案外空は明るく感じるものだ。私の住んでいた小屋の向こうにクルミの木があるのだが、ひと際大きく成長して木の成りを表すシルエットが膨張したように感じられた。相変わらず星は降るように瞬いている。
0:30 帰宅。注文していたスポットライトとスピーカーセットが届いていた。そのまま制作に入る。
3:00 就寝。