Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 5月 11日のアーカイブ

発達センターちよだ 鏡を見る

2010年 5月 11日

今日は発達センターちよだへ打ち合わせに行くことになった。ミーティングの議論もそのまま持ち込んでちよだの職員さんにもぶつけたいと思っている。腹を割って相談することがとても大切。殊に長期で続けている取り組み。お互いの信頼感のもとに踏み込んだ議論ができるはずだ。
16:00 発達センターちよだに到着。今年度ディサービスちよだの一環「絵画の取り組み」の担当となった関谷さんと挨拶。さっそく今年度の取り組みを進めるべく検討会議を始める。
私の方から、やさしい美術プロジェクトのワークショップチーム(ちよだチーム)の現状報告と取り組み姿勢について説明した。ちよだからは今年度「絵画の取り組み」に参加している児童は昨年から参加している4名という報告を受ける。取り組みの導入も違和感がなく、流れもできているとのこと。子どもたちの最近の様子を関谷さんからお聞きして、ゆっくりだけれど変化し、成長している様子が伝わってきた。
途中、一昨年「絵画の取り組み」の担当だったちよだ職員の伊藤さんが会議に加わる。やさしい美術=ピンクのつなぎのお姉さんたち というイメージが子どもたちに定着しているという。新しいメンバーで取り組みを実施していっても大きな障壁はないだろうとのことだ。また、3年前に取り組んだワークショップをもう一度行うと子どもたちの反応はどのようなものか、前回の子どもたちの様子と照らし合わせることも可能だ、との話もあがる。ゆるやかな子どもたちの成長は毎回のワークショップに埋没していると見失いがちだ。長期にわたり行っている取り組みならば時間をおいてリメイク版のワークショップを行うのもいいかもしれない。
私たちはワークショップチームのミーティングでちよだでの取り組みの骨子を立ててみた。それは
・子どもたちの感性の可能性を広げるため、幅広い体験を積み重ねる。
・子どもたちの、日常から解放された自由な時間を創りだす。
・他者との関わりの場を創る。
の3本の柱である。
「幅広い体験」とは、美術の専門性からより多くの素材のバリエーションや感覚の引き出しをつくっていくことであり、当初からちよだ職員から期待されてきたことである。
「日常から解放された時間」とは、学校でもなく家(家族)でもない、慣れ親しんだちよだでのびのびとした時間を過ごすことである。「絵画の取り組み」に参加している児童は全員ちよだに通園していた子どもたちである。
そして「他者との関わり」。これは子どもたちから見た私たちとの関わりであり、私たちにとっては障害を持った子どもたちと関わるという両義的意味である。子どもたちの表現から私たちがキャッチすること、それを次の取り組みに活かすことは実行して行かねばならないことである。同様に重要なことは私たちが純粋無垢な子どもたちと接しているうちにしとどに溢れ出てくる自身の内面と向き合うことである。怒りやいらだち、衝動。内に秘めた感情をきれいごとを言って受け流すのではなく、自分でしっかと受けとめていくことによって子どもたちへの声のかけ方、働きかけに如実に反映されてくるのだ。生な人間同士が関わり合うこと。ちよだ職員の皆さんは毎日子どもたちと真摯に向き合い、子どもたちという鏡を得て、自分自身と向き合っている。
私は今日の打ち合わせによって共通認識が得られたことがうれしかった。専門領域は異なっても「一緒に考え、悩み、乗り越えて行く。」道を歩いて行くような安心感が私たちを包んだ。
17:00 ちよだでの打ち合わせを終え、大学に向けて出発。今後は相談しながら、毎月一回のワークショップを実施する予定だ。
17:45 大学に戻り、プロジェクトルームに帰ると新メンバー10名がリーダー古川の話を聞いているところだった。プロジェクトルームの使い方をガイダンスしているのだ。新メンバー間も交流が始まり、緊張感が解かれてきた。あいにくの雨模様も今日は気持ち良く感じるほどだ。

コンピュータの使用についてガイダンスするリーダー古川