Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 5月 29日のアーカイブ

大島 身代わりになったインパクトドライバー

2010年 5月 29日

6:30 起床。
7:30 朝食。
8:30 野村ハウス(11寮)を出てカフェ・シヨルに行き、昨日運んだ荷物を確認する。
9:20 桟橋にまつかぜが着く。7人のこえび隊全員が大島リピーターで大島ファン。間違いない。
昨日に続いて快晴。こえび隊の皆さんの明るい笑顔で意欲がふつふつとわき上がる。
まずは全員で納骨堂でお参り。その後はせっかくなので大島焼の窯出しに行く。というのは今回参加していただいているこえび隊の皆さんの多くは大島焼でカフェで使う器をつくるワークショップに参加した人ばかりなのだ。
自治会事務所にいた入所者の山本さんに声をかけ、窯を開ける。
まず、上下の止め金具をはずし、ゆっくりと窯の扉を開ける。台車を引き出すと―1240°という高温の世界をくぐり生まれ変わった「大島焼」が姿を現す。一同歓声。
全員で窯から焼き上がった作品群を取り出し、作業机に並べる。すばらしいできばえだ。料理が映えるだろう。山本さんは「いびつだけど、ひとつひとつ違ってて味わいがある。そこがいい。」とおっしゃる。
皆で高台の接地部分に砥石をあてて、仕上げにかかる。底を擦る音が様々な音階となってハーモニーを奏でている。この活気のある様子を山本さんは微笑みながらじっと見ている。
底擦りをした大島焼を新聞紙に包み、箱に詰め込む。カフェに運び、明日の勉強会で使えればと思う。いよいよカフェの開店がイメージできる時期にさしかかってきた。梱包が終わり3人はそのまま陶芸室にのこり、まだ半分ほど残っている大島焼の釉薬がけをする。私たちはカフェに行き大工仕事だ。
カフェの飾り棚やテーブルなどを作り付ける作業だ。

新しく葺き替えたテラス屋根

私は独りテラスに出て、庇に屋根を葺く作業をする。
庇の垂木は古いもののまだ生きているが、その上に掛けてある胴縁は腐っている。まずその胴縁をはずし、錆びた釘をひたすら抜く。そこへ胴縁を張り替える。新しくなった胴縁の上にポリカーボネードの波板を傘釘で葺いていく。トタンの波板の場合はそのまま傘釘を打っていくが、ポリカーボネードは耐久性に富み、固いのでドリルで下穴を開ける。こういう作業は慣れている。
脚立の上に立ち作業をしているとバランスを崩したと同時に腰袋に差し入れていたインパクトドライバーが落下。握り部分からまっぷたつに折れてしまった。集中力が切れて一度屋根から降りることにする。

へし折れたインパクトドライバー

このインパクトドライバー。卒業したての私がなけなしのお金をはたいて買った道具のひとつだ。とあるギャラリーの内装工事を請け負い、それを機会にホームセンターのオープンセールに並んだ。それまではビスというビスは手締めかドリルにビットを取り付けた簡易的な方法をとっていたが、作業能率と勤務日を考えてのことだった。一週間働けばインパクトドライバー分は効率が上がった分で回収できる計算だ。
身を助けてきてくれたインパクトドライバー。学生にも何度か貸したことがある。そのたびに、その扱いの雑さに憤慨したものだ。人の生活を支えてきた道具をぞんざいに扱う者は信頼感さえ失う。借りた時よりもきれいにして、消耗品であるビットは新品を工具箱に入れて返すのが礼儀というものだ。職人さんのもとで働くと、そうしたマナーは叩き込まれる。下手するとどやされ、なぐられる。近頃は怖い先輩が減ったものだ。
普通あり得ないような折れ方で臨終したインパクトドライバーは私の身代わりになってくれたのかもしれない。この道具でこなしてきたたくさんの仕事、制作、現場が走馬灯のように現れては消える。一生使おうと思って買ったインパクトドライバー。すこし早い寿命だったけど、僕を陰で支えてくれてありがとう。
こえび隊の皆さんのおかげで大島焼の釉薬がけは全て終了して窯詰めまで完了。カフェの内装は大工仕事ははかどらなかったけれど、漆喰塗りの細かい仕上げやトイレ内の装飾が完了。皆さんの協力に感謝!
19:00 三分の一を残し、屋根の工事をいったん終了。日が暮れるまでの作業になった。私が鎚を振るう音が大島全体にこだましていた。その響きは私にとって忘れられないものになった。