Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 7月 25日のアーカイブ

「古いもの、捨てられないもの」の先にあるもの

2010年 7月 25日

7月上旬、大島の海岸に廃棄された「解剖台」がある、と伝え聞いた。
私は大島で「古いもの、捨てられないもの」という切り口で大島の隅々まで歩き、入所者の皆さんに声をかけて、ありとあらゆる入所者の身辺のものを集めている。入所者から預かるものもたくさんあるが、青松園の職員さんから情報をいただいたり、お預かりしたものもある。畑の片隅で捨てられたものを拾ってきたこともある。こうした私の行動が何人かの入所者に飛び火し、古い写真を収集し私に託す方もいる。
私はなぜ、「古いもの、捨てられないもの」に着目したか。それは亡くなられた入所者のその後を幾度か見たことから端を発している。小さな離島に閉じ込められて暮らしてきたハンセン病回復者である入所者はご子息を残すことが許されなかった。夫婦になるとしても「子どもはのこさない」のが条件だった。一代きりの人生がこの大島では折り重なっている。亡くなられた方は大島で火葬されほとんどの方は故郷にも返されず、身内にもひきとられず、納骨堂にはいる。大島では口約束の後見人を置いていた。それは身内と断絶させられた入所者が「自分が何かあったときはよろしく」とお互いの行く末を憂い、あらかじめ決めていたのだという。何よりも衝撃的だったのは、亡くなられたあと、部屋にある一切合切はあっという間に廃棄される。リセットという言葉が悲しく頭に浮かぶ。私はある方の亡くなられたあとを見る機会があった。後見人である入所者の「これですべておしまいじゃ」という一言がむなしく響く。
「古いもの、捨てられないもの」は大島にはない、ということからの出発だった。使われなくなり、持ち主のないものはすべて捨て去られる運命にあるのだ。だからこそ、私は今のうちに「古いもの、捨てられないもの」をかき集め、どんな些細なものでも、その背後に張り付く記憶と向き合うことを自らに課すことにした。もちろんそれらは私の編集、配置によってギャラリーで一般に公開することまでを視野に入れている。
古いということ。捨てられずにのこっていること。それだけで大島で存在する価値がある。後見人として捨てることなく手元に置いていた亡くなられた方々の遺品の数々も預かっている。濃密な記憶の塊である事物。それらは資料として読み取るものではなく、感じるものだと私は考えている。
さて、解剖台に話を移そう。解剖台も「古いもの、捨てられないもの」の延長線に浮かび上がったものだ。大島が一旦捨て去った過去の忌まわしい記憶を宿す事物は離島であるが故に選択肢なく投棄、波の浸食を受けてもなお、浜辺の片隅でかたちをとどめてきた。大島が捨てても捨てきれなかった、何かがここに在る。

投棄された解剖台は潮が引いたときのみ顔をのぞかせる

浜辺に横たわる解剖台=コンクリートの塊は引き潮の時のみ姿を現す。潮が満ちると海面下に身をひそめる。その情景にただ私は立ち尽くすしかなかった。ひょうたん型のシェイプが頭に焼き付いて離れなかった。
7月8日それは海から引き上げられた。不可能とされた場所から25年の歳月を経て、ふたたび大島内に上陸した解剖台。
7月9日GALLERY15の前、13、14寮はすでに取り壊され空き地と化している。そこに解剖台を置くことに決めた。
様々な感情が折り重なるのを感じる。説明のつかないそれぞれの思いがうねり波立つ。私はこれまでとは異なる領域に足を踏み入れたと感じた。「古いもの、捨てられないもの」の収集の先にある、あるステップに私は立ったのかもしれない。
それからというもの、私は両足で踏ん張るには足りず、吹き飛ばされないように四つ足で大地にしがみついている。