Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 8月のアーカイブ

久しぶりに帰る

2010年 8月 19日

6:00 起床。オクラの花もどんどんつぼみをつける。
8:30 GALLERY15をオープンし、まつかぜに乗船、帰路につく。約一月ぶりに名古屋に帰る。
12:30 名古屋駅に着く。名古屋駅周辺で購入予定だった、雑多な電気機器、精密機械用封筒などを買いそろえる。昼食後に春日井駅へ。
14:00 春日井駅で我がコースの相方日比野ルミ准教授と合流。そのまま大学に向かう。来年度の授業内容などを話し合う。
16:00 打ち合わせを終えて日比野さんと二人で栄へ。やさしい美術のメンバー天野入華がギャラリーイントラートで個展を開催している。小さな空間でひそやかな世界を創り出している。彼女は繊細な造形物で空間を作ることに興味を抱いているように感じた。磁器土で制作した極薄い陶片の上に銅線とハンダで作った双葉が伸びている。閉じた場所の方が活きてくる作品だ。自分自身がゆったりと瞑想するための空間を他者と共有する。そんな言葉が浮かぶ。擬音の絵本は好き!
展覧会を鑑賞したあとは日比野さんと喫茶店に入り語らう。大島で起きていることを話していたら、日比野さんからも客観的な意見やヒントをもらう。
19:00 本山駅まで自家用車で日比野さんに送ってもらい、地下鉄で自宅まで帰る。
20:00 久しぶりの自宅。でも家族は旅行中。めったに一緒に旅行に行けないがしかたない。
大島の機関誌「青松」の原稿を依頼されたため、途中書きだった原稿を書く。
2:00 就寝。

ズンドコ節

2010年 8月 18日

今日も快晴。
朝一便でAFGの高坂さんと原さん、スタッフの新妻さんが9月4日開催のコンサートに関する打ち合わせで来島。ガイドはこえび隊の稲葉さん1人に任せる。彼女の落ち着いた解説はすっと耳に入ってきて心地よい。頼れる人だ。
コンサートは二隻の船がピストンしてお客さんを運ぶ予定。その間ギャラリーとカフェをどのように運営し、ご案内するか、通常とは異なる対応をどのように構築するか詳細にわたり打ち合わせる。それとともに大島についても語り合う。大島で暮らす人々にとってコンサートはどのようなものとなるのだろう。はかりきれないながらも想像力をはたらかせてみる。大島に来ていただいた人々、大島の住民がたのしめるものにするために必要なことだ。
14:00 研究で大島入りしていた小坂くんから電話がある。脇林さん宅にいるとのこと。大島の写真部を代表する1人で最近亡くなられた入所者赤松さんの写真を広げて見ているとのこと。センター52寮に行くと、脇林さんと一緒に小坂くん、稲葉さん、新妻さんが廊下で写真を並べて眺めている。膨大なネガの数。プリント写真も多い。ここではらちがあかないということで福祉室作業長にお願いしてトラックを借り野村ハウスに運ぶことにした。「肩の荷が降りた」とおっしゃる脇林さん。今度は私の肩にどっしりとかかる。
野村ハウスで小坂くんと稲葉さんで写真の発掘作業だ。特に古い写真には資料的にも貴重なものがある。前の代の納骨堂の写真がある。ギャラリーとして活用している15寮をはじめ、10寮からの基礎工事から建て方までを記録した写真もある。いくつかのテーマに分けて企画展が開けそうな量である。
16:15 「写真をもっと見たい。」後ろ髪をひかれながらこえび隊の皆さんは高松にもどる。
17:45 写真の整理を一区切りとして職員食堂2階へ。
18:00 カラオケ大会開催。入所者大智さんの声かけで入所者、職員を含めた9名で楽しく会食。食事の後はカラオケを歌いまくる。氷川きよしが大島ではもっともポピュラー。私は演歌が苦手だけれど、2〜3曲歌う。声がいいね、とお褒めいただく。恐縮ですー。
22:00 締めはやはり氷川きよしのズンドコ節。これを全員で歌いながら肩を組み、踊る。なんとも楽しい大島の夜。さりげなくこえび隊の面々もカラオケ大会に来たいと思っていることを大智さんに打ち明ける。
ほろ酔い気分で野村ハウスに戻る。写真の整理を続ける。
大島の夜は更けていく。

手を振る

2010年 8月 17日

朝一便の来場者を迎えたあとはこえび隊の皆さんと川島にガイドをお願いして、高松に買い出しに出る。作品展示マップの改訂版、ギャラリー15寮通信をプリントアウトする。
10:30 井木と高松便に乗船。私は芸術祭推進室に行き、井木はカフェの食材買い出しに向かう。
ブログの更新が滞っていたので画像処理、アップを急ぐ。
15:00 井木から電話。スーパーに行き、食材の買い出し。膨大な量になる。台車に載せて桟橋まで運ぶ。
16:45 帰宅する川島と高松の桟橋ですれ違う。今日ガイドを担当してくれた石川さん、新妻さん、そして川島が私たちの乗るせいしょうに手を振る。海を渡る。何度も経験するけれど、出会いと別れを繰り返し、いつもある種のわびしさ、さびしさを味わう。

オクラの花

2010年 8月 16日

今日も快晴。微風があっていくぶんましだ。

オクラの花

6:00 外に出て何気なく畑に目をやると、オクラの花が咲いている。その後朝食の準備をしていると、野村さんがオクラの花を摘んで持ってきてくれた。生のままポン酢をつけて食べる。うーん、美味。噛んでいるとオクラ独特の粘り気が口いっぱいに広がる。朝一便が10分遅れで着く。官用船では珍しいことだ。来場者も多く20名を越えている。
昨日拾った排水溝金具をひたすら磨く。作業中に来場者に声をかけられる。作品のコンセプトや作業工程、入所者との交流について話す。「話すことができてよかったです。」と皆さんおっしゃるが、私も同じ気持ちである。午前中で1200番まで磨くことができた。真鍮はやわらかい金属だ。午後も研磨作業を続ける。
14:00 排水溝金具研磨作業を完了。完璧に研磨された表面を見ていると、金属なのに「液体」「表面張力」を感じるから不思議だ。
15:00 4日まえに朝一便で大島にやってきた青年が再びやってきた。大島の存在がとても気になったのと、入所者と是非お話をしてみたいと思い、友達を連れて来てくれたのだ。こうしたリピーターはうれしい。入所者の皆さんも気持ちは同じだろう。一般来場者と野村さんと談笑。何気なく野村ハウス前にある盆栽。大島やすぐ近くの小島から採取してきたものを30年から40年ずっと手塩にかけてきた。島にあるものは島の記憶を宿しているのである。
ガイドをしてきた小えび隊の末藤さん、小坂くんが「約一月ガイドをしてきて、ようやく、自分が目指していたガイドが実現できた。来場者と入所者が触れ合う場に立ち会うことができた。」と感無量の表情。皆さんが試行錯誤し、繰り返しながら軌道修正して来たガイドツアー。気持ちのゆとりも生まれ、入所者の皆さんの迎える気持ちが1つになっている気がした。今、ささやかな奇跡が起きつつある。
プロジェクトに興味を持ってくれている人々が増えている。文化会館で行う参加型プログラムMorigamiはすでに飽和状態。挿す場所を新たに確保しなければならなくなってきた。
16:15 高松最終便を見送る。いつものように大きく手をふる。
その後は私と井木で大島会館、公衆トイレの掃除。
18:30 私は野村ハウスに戻り、食事の用意。ゴウヤチャンプル、タマネギサラダ、豚肉とししとうの炒め物をつくる。

安長さんと食卓を囲む

20:00 井木と川島が野村ハウスに帰ってくる。今日はとなりの10寮に住む入所者大野安長さんと焼酎を飲む約束をしていた。おつまみもたっぷり用意した。今朝船を待っていた安長さん。この日のために高松まで行ってハムやキビナゴ、水菜を買ってきてくれた。
安長さんと飲む。ハンセン病のこと、社会復帰してトラックを運転して土建業をしていた頃のお話を聞く。安長さんはいつも酔っぱらっているけれど、頭脳明晰でおっしゃることもいつも的を得ている。一緒にいてとても気持ちがいい。安長さんの「ありがと!」という言葉が好きだ。どんな人にも分け隔てない飾らない言葉に安長さんの生き方を感じる。
22:30 私、井木、川島、安長さん。ほどよく酔いがまわり、そろそろお開きにする。4人で食卓を囲んであたたかい時間。また、野村ハウスに思い出が1つできた。

あんかけチャーハンと安長さん

2010年 8月 15日

朝一便の来島者人数がここのところ多い。そのうち半数以上が10:30便で高松にもどる。大島での滞在時間があまりにも短く、ガイドする小えび隊も伝えたいことが伝わっているか不安を隠せない。コンサートスタッフの新妻さん、新しい小えび隊の稲葉さんがガイドで活躍。
午前中は霊交会から預かった録音機やスライドプロジェクターを掃除。電源をつないでみると、意外にも通電するものがほとんど。現役で使えるものもありそうだ。
昼食後にカフェに行くと入所者の安長さんがやってくる。「飲もう」ということになり、焼酎を一緒に飲む。カフェなのに部分的に飲み屋、赤提灯である。カウンター席についた来場者の方たちと談笑。安長さんもご機嫌でなごやかな時間が流れる。「大学の先生だったら、ずっと島にいるのもいいけれど、外に出て講演会でたくさんの人に話していかないと。」と安長さんに嗜められる。確かに。私の立っている場所はどこか。肝に銘じる。
16:30 船を見送る。東の浜、船小屋方面へリサーチに出かける。いくつか拾い物があった。ここで使われなくなった船も次回企画展で展示しようと思っている。ミラー展の缶を入れ替えたい。新たに拾った排水溝金具(真鍮製)を磨くことにする。
19:00作業終了。
夕食を井木と二人でつくる。私はサラダ担当。井木はあんかけチャーハンをつくってくれる。美味。

大島案内ひきうけ会社と名人講座

2010年 8月 14日

大島案内ひきうけ会社の皆さんと

カフェオープン。今日は大島案内ひきうけ会社、名人講座「大島土でつくろう」とイベント目白押し。ギャラリーをオープンしたあと、自転車を走らせ、南の山、貯水池近くに行く。うっそうと茂る雑草をかきわけ、地面をまさぐり、大島土を探す。雨で地表が洗われ、見分けがつきやすくなっている。すぐに大島土サンプルを取り出せた。名人講座でこれらの土塊を来場者に見せることにより、ワークショップで使う大島土をより強く意識してもらうねらいだ。
朝一便(9:35大島着)を迎える。汗でTシャツがぐっしょり。たくさんの来場者とスタッフが元気よく桟橋に降り立つ。昨年妻有で大活躍したデザイン集団「でんでん」の長谷川、水野、吉山が大島にやってくる。思わずハイタッチ。貴重なお盆休みを使ってきてくれた。本当にうれしい!同じく到着した官用船せいしょうには大島案内ひきうけ会社指導者の佐々木先生をはじめ、野崎えみ先生、当時校長だった中西まりこ先生、丹生きょうたろうくん、ひなみさん、そして前回も手伝ってくれた藤岡なおやくん、原田わたるくん、吉田こうせいくんとひきうけ会社が勢揃いした。
私は自治会室に行き、山本さんと名人講座直前の打ち合わせ。陶芸室の設えを山本さん指導のもと整える。
11:20 AFG高坂さんが名人講座受講者を連れて桟橋に着く。来場者と合わせて30名ほどをひきうけ会社で案内する。約1時間をかけて大島を説明してまわる。とにかく湿度が高い。汗が全く乾かない。体力をうばわれながらも大島案内ひきうけ会社1回目のガイドを終了。
カフェの前で長谷川、水野、吉山に会う。そのまま文化会館へ。Morigamiを折ながら、昨年のやさしい家の思い出話に花が咲く。話していてふと感じる。3人とも心なしか大人っぽくなった。
12:45 名人講座で受講者を会場にご案内する時間になり、「でんでん」の3人と別れる。そのままインフォメーションに行き、名人講座受講者17名を陶芸室に誘導。

名人講座は大盛況

名人講座開講。最初に私から山本さんを紹介し、今朝採取してきた大島土を皆さんに披露する。土を全員に配り、それぞれおもいおもいに制作。制作を補助しながら、大島の土について語り、大島について語り、ハンセン病について語る。少し恥ずかしがっていた山本さんも次第に打ち解けてくる。
14:15 大島案内ひきうけ会社の2回目を仕切るために陶芸室をあとにする。8名の来場者をご案内。納骨堂も開ける。納骨堂以降のガイドはひきうけ会社に任せ、私はふたたび陶芸室に戻る。
14:30 名人講座を終わらせ、順次片付け。受講者ひとりひとりに声をかける。土の感触、大島の風景、大島の将来について語り合う。それぞれが大島土に触れたことで、肌で感じる大島があったことを実感。うれしくて熱いものがこみあげてくる。そこへ西日本放送のインタビューがあり、つい感情がとめどなくあふれ、コメントするどころではなくなってしまった。反省。
16:15 来場者、名人講座受講者約30名を見送る。大島案内ひきうけ会社の子どもたち、山本さん、シヨルメンバーが一列に並んで見送る。ぎっしりとまつかぜに乗船した人々が手を振ってくれる。見送ったあと、山本さんが今日を振り返りながら「12、3年ぶりに子どもと手をつないだ。」とうれしそうだった。お子さんを残せなかった入所者のピュアな感動だ。子どもたちと触れ合う時の山本さんはやさしさに満ちあふれている。
カフェ・シヨルのガスボンベが空になっていることが発覚。たまたま大島にいた営繕課の方に助けられ、ボンベを交換し、ことなきを得る。
今日はたくさんのプレゼントをいただいた気がした。まず人々の笑顔。どこも笑顔で包まれて、わたしは一日中泣きそうだった。ボンベを運びに行った際、自転車のペダル近くに落ちてきた鳥の巣。おそろしくはかない小さな小さな住処を私は手のひらですくってギャラリーに保管する。この上ない充実感に包まれる。

納骨堂から高松の花火を観る

2010年 8月 13日

ギャラリーオープン前にお磨き作業。鏡mirror展で展示している作品の鏡面の曇りをとる。
午後、入所者の脇林さん宅に行く。脇林ムツ子さんが冷蔵庫から野菜ジュースを出してくれた。「明かりの下で今日は顔がよく見える。先生、若いね。」とおっしゃる。後遺症で視力が弱っているにも関わらず、私の顔を憶えてくれている。うれしい。脇林さんとキリスト教(プロテスタント)霊交会の教会へ。「古いもの」を取材する。今は使われなくなった、マイク、録音機などをお借りする。その他最近開かれることのなかった木箱の中に昭和30年代、40年代の賛美歌や発信の記録や録音テープ、増改築の見積もり、石碑の発注表などがどっさりと出てくる。少しだけ雨が降る。過熱気味の大地をクールダウン。
最終便を見送ったあとはギャラリーで現在GALLERY15で保管している所蔵品の整理をする。
夕食はパスタを作る。クミンシードとガーリックを効かせてひき肉とタマネギを炒め、野村ハウスの畑でなったプチトマトを刻んでいれる。井木、川島に好評だった。

納骨堂から高松の花火を観る

20:00 納骨堂へ。数人の職員さん、入所者がパイプ椅子を置いて海岸を眺めている。高松の花火大会をここから眺める。花火の音は届くのに随分と時間がかかるので花火がはじけるのと音とはタイミングが全く合わない。それでも瀬戸内の海に光を映し、大輪の花を遠くから眺めるのもなかなか風情がある。職員さんたちも入所者に寄り添って一緒に花火をしずかに眺める。入所者の皆さんはどんな気持ちで花火を眺めたのだろう。入所してすぐの頃のこと。日が落ちてくると自然と西の浜に足が向いたという。高松の町を見ながら幾度となく涙を流したとある入所者からお話しいただいた。なぜ、このような場所に療養所を作ったのだろう。なぜ、入所者の皆さんはここで生きぬかなければならなかったのだろう。入所者の多くはここ大島を第二のふるさとと呼んでいる。その真意はまだ私にはつかみきれない。

鏡mirror展初日 落ちついた雰囲気

2010年 8月 12日

鏡mirror展の一部

鏡mirror展開催初日。台風の影響で風が強く、芸術祭のぼり旗が倒れる。
朝一便(9:30大島着)から20名ほどの来場者あり。企画展初日ということもあり、ガイドツアーを一緒にまわり、ギャラリーの展示について解説した。新しい小えび隊の参加があり、少しずつだが、ガイドツアーをするボランティアスタッフの層が厚みを増していく感じだ。受付業務を行う警備員、アートナビスタッフ、高松市職員も芸術祭を盛り立てる意識が向上している。昨日の休島日がよい仕切り直しの機会になったのかもしれない。
11:00便で元やさしい美術メンバーでデザイン集団「でんでん」のリーダーであった工藤が来島。野村ハウスで一緒に職員食堂「セイブ」の智代子さんがつくったカレーをいただく。
2:00便で私の大学の同級生川端淳子さんが来島。ガイドツアーを一緒にめぐる。
16:00 桟橋で官用船に乗る来場者を見送る。大きく大きく手をふる。見学者を見送る入所者の本多夫妻が印象的。本多さんに「ずっと大島にいるようだね。大島っ子になったね。」とやさしく声をかけていただいた。すれ違う入所者の皆さんが来場者数を口にするのを何度か聞く。入所者の皆さんは静かに期待感を持って見守ってくれている。テレビで昨日報告があったそうだが、大島の来場数もこれまでに500を越えたという。他の島とは桁が違うが、従来大島を訪れる見学者ではない来島者の数と考えると、単純に数字の大きさでは測れない、意義の深さを感じる。
17:00 高速バスが大阪で渋滞に遭うも、川島が無事大島着。早速カフェのサポートについてもらう。
私は夕食を担当。えのきのスープ、大根とベーコンのカレー風味の炒め物、人参サラダをつくる。
食後は私と井木、川島と久々にゆったりと談笑。
1:30就寝。

鏡mirror展 搬入

2010年 8月 11日

6:00 起床。食事は泉、井木が作ってくれる。今日は搬入日。薄曇りで時折雨がふる。
9:30 小えび隊福島さんが来島。交流会にも参加された、積極的でアクティブな社会人ボランティア。多くの島で多くの作家のもとで制作を手伝ってきた方だ。私がセッティングに集中するかわりに掃除や表示の入れ替えなどの雑多な作業を手伝ってもらう。「大智×東條展」で使ったスピーカーも撤去する。スピーカーの設置は二人掛かりだったので撤去も二人で行うのが流れ。福島さんがいて大変助かる。
午前中「新聞で解剖台の話題が気にかかり、休島日とわかっていたけれど来た。」とおっしゃる方が見学にやってくる。「闇の部分をきちんとモノとして見えるかたちにするのもアートの役割。」と今回の解剖台展示に踏み切った私の決断を評価いただいた。
ダクトレールを設置し、スポット照明が入れられる環境をつくる。スポットライトはピンスポットライトを使う。家屋の空間で作品を浮かび上がらせるための演出だ。ON,OFFは15寮大元のブレーカーで操作する。
台風の影響か、ときおり通り雨がふる。一時的に地面をクールダウン。野村さんが野村ハウスの前のトマト畑を一掃し、下草を燃している。火気厳禁の大島、最近では珍しい光景。
作品を配置し始めるところで高松便最終の時間。福島さんは作品の全貌を見ることなく帰ることになり悔しさがにじむ。
16:15 井木と小えび隊福島さん、一時帰省する泉を見送る。少し寂しい。
カフェの仕込みに集中していた井木が作業に一段落つけ、ギャラリーにサポートに来てくれる。ギャラリーもカフェも{つながりの家}の一部。運営は別でも、いざという時はお互いに助け合わないと人手が足りない。
20:00 井木が麻婆豆腐を作ってくれる。私は人参サラダをつくる。
食後はひたすら設置作業。
2:00 最後は拾った円形の鏡を廊下突き当たりに設置して搬入は完了。
のこすところ、展示マップの修正とプリントアウト。福島さん、井木のサポートでなんとか貫徹にならずにすみそうだ。感謝ー。
4:00 就寝。

鏡mirror展 搬入前日

2010年 8月 10日

快晴。今日は「大智×東條展」の最終日。朝一便(9:25大島着)のお客さんを迎えたあとは明日の「鏡mirror」展搬入作業に必要な採寸、購入物品のリストアップをする。
10:30 大島発に乗船。10:45高松着。15日ぶりに高松に降り立つ。芸術祭推進室に行き、無線LANにつないで早速webの更新作業。大島特設ページの展覧会情報を入力しておく。終わった展覧会情報をあらかじめ更新しておかないと、不具合がでる。
13:30 ブログもテキストのみ更新しておく。(更新遅れてごめんなさい!)
昼食後タクシーに乗り、ホームセンターへ。作品の設置に必要な金具、素材、電材などを購入。再度タクシーを電話で呼び高松港桟橋へ。
16:45 最終便で大島へ。官用船せいしょうには私一人しか乗っていない。船内で新田船長と諸問題についての意見交換をする。多くの諸問題は来島される人々をどのように迎え、どのように送り返すか、である。入所者の皆さんには迷惑のかかるところでなく、芸術祭を円滑に運営していくための私たちプロジェクト、小えび隊、官用船、のところでしっかりと連携しておかなければならない。ある程度の混乱は避けられないと考えていた。それは大島を開いていくためのノウハウを蓄積することでもあるのだ。耐え、しのぎ、解決のための手を打つ。
大島に戻ってからは一気に搬入モードに切り替わる。
GALLERY15の屋根裏に入り、家屋用の電灯の回路をスポットライト用ダクトレールに換えるための下準備を進める。安長さんが電気工事の様子を見に来る。浜口さんも見に来る。「何でもやるんだな、先生は。」と感心される。私はとても不器用で、なんでもぶちあたって経験を積んできた。そうした積み重ねが今いきてくる。
19:30 日が暮れたので食事を作る。泉、井木といっしょに食べる。焼酎を飲んでがたがたの身体に活をいれる。
食後は作品展示マップ、ギャラリー15通信のペーパー作成。4:00就寝。