Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 8月 23日のアーカイブ

生きている間に撮ったすべて

2010年 8月 23日

ギャラリーのオープンと同時に昨日洗った箪笥の引き出しをおさめてGALLERY15のオフィスに入れる。無垢板の箪笥はなかなか重い。ギャラリーの玄関を掃除していたら入所者の脇林さんが自転車でやってくる。昨日のNHKの取材で頼まれていた海岸にあった解剖台の写真、戦中戦後の大島の写真のデータを持ってきてくれる。すぐにNHKディレクター宛にメールで送らなければならない。
朝一便のお客さんを迎え、申し合わせ事項を確認する。
10:30 まつかぜに乗船して高松へ。サンポートの7階、芸術祭推進室横の喫煙ルームでパソコンをネットにつなぎ、メールの送受信、NHKから依頼のあった写真データのリサイズおよび送信、ブログの更新をしていたらあっという間に時間が過ぎていく。
13:55 まつかぜに乗船して大島へ。ガイドを終えた新妻さんと島内放送の文案を検討。9月4日のコンサートの問い合わせが多くなってきた。大島の島民の皆さんに周知するためには放送が有効。
16:15 いつものように来場者の皆さん、インフォメーションスタッフ、こえび隊の皆さんを桟橋から見送る。
解剖台を眺めていたら、ふと修復は今だ、と思い立つ。バケツに水を汲みたわしで解剖台を洗う。打ち捨てられていた海岸から引き上げる際にまっぷたつになり、縁の大部分が破損した。その破片はプラスチックのケースに無造作にとってあるが、いったんばらばらになったものを割れ戻すのは至難の業。それらの破片も同じように洗っておく。明日は修復作業をすると心に決める。
食後は亡くなられた入所者赤松さんの写真整理。膨大なネガとプリント。それらを私のフィルターで見ながら仕分けていく。いくつかのキーワードが見えてきた。なかでも興味を持ったのが庵治と大島の間を通っていく船を撮影したもの。定点観測的に通る船を淡々と撮っている。一日三脚を立ててシャッターチャンスを待ち続けなければ不可能だ。執拗に撮る理由。その行為に何か重要な実感を伴っていたとしか思えない。赤松さんは大島の外から写真を撮ることはなかったそうだ。通り過ぎるのは船ではなくて大島に立つ赤松さんだったのかもしれない。プリントは軽く500枚ぐらいはありそうだ。
3:00 就寝