Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 8月 27日のアーカイブ

お宝

2010年 8月 27日

ここ2、3日雲の様相がくっきりとしてきて秋を感じさせる。そよぐ風もすずやかだ。しかし、日中は容赦なく照りつけられる猛暑に変わりはない。
5:30 起床。ちょうど太陽が兜島からのぼる。あっという間に上昇して行く。
次の展示が近づいてきた。展示内容を細かく検討して行く。鳶の羽を並べてみる。意外にもテープで無造作にとめる方法がおもしろい。来場者は平日で比較的おちついていて、毎回の船に10名ほどでやってくる。
今日も台湾からの来島者がいた。ギャラリーで作品をめぐりながら質問を受け付ける。学生だろうか、大変興味深く鑑賞していただく。日本が植民地時代に台湾現地につくった施設について語る方もいた。
14:15 カフェ担当の井木が買い出しに高松に出ていた泉とたくさんの荷物を携えて大島入り。二人とも力持ちだ。カフェの買い出しは重労働である。
とにかく古いものを集めたいー。案外畑にいろいろな使われなくなったものが放っておかれている。野村さんに「この石臼、借りて良いですか。」とたずねると、「使わなくなったあとは漬物石に使っとった。いいよ。」と快諾いただく。大島ではお正月に杵と臼で餅をついたそうだ。昭和30年代初頭は入所者は800名ほど。皆で一日がかりで餅をつく。それはにぎやかだったことだろう。当時の餅つきの活気のあった時代を語る入所者は多い。その臼は入所者が減って行き、高齢化とともに使われなくなった。気がつけば、捨てられ、所在はわからなくなった。
ところが、野村さんがおっしゃるには15寮すぐ横にお住まいの入所者谷本さんのところに野鳥が水で遊ぶ場所として流用しているとのこと。すぐに野村さんと一緒に谷本さんをたずねる。奥まった山の斜面の袂にそれはあった。谷本さんに「展示に使いたいのですが、お借りできますか。」とたずねたところ、これもまた快諾いただいた。入所者の皆さんの思い出がつまった、臼。野村さんと谷本さんの庭から転がして運び出す。道路間際まで転がしてからは台車を持ってきて緩やかな坂を選びながらギャラリーに引いて行く。思わぬ出物に感激だ。
16:15 最終の高松便せいしょうを桟橋まで見送りに行く。
その後は海岸で材木を拾う。展示の台座を極力この島で得られたもので構成したい。
そこへギャラリーの裏手に住む川上さんがやってくる。川上さんに修復した解剖台を見せる。「きれいに直ったね。」とお褒めのことば。うれしい。ギャラリーに展示している「鏡mirror」展を観てもらう。展示中の五右衛門風呂は豚に食べさせる残飯をあたためたと聞いていたが、豚舎で働いていた川上さんから意外な情報を得る。五右衛門風呂は豚舎で働いていた人が「お風呂」として使っていたそうだ。情報を修正しなければ。
川上さんに以前いただいたししとうがおいしかった、辛かったとお話ししたら、「まだ少しあるからたべるかい。」とおっしゃる。そのまま川上さんの畑に行く。ししとうを摘んでいたら、その傍らで川上さんが畑の土をまさぐっている。何かをお探しなのかな、と思っていたら、「これ、何かわかるかい。」と小さな針金のオブジェを私に差し出す。いびつに歪んだそれは、手が不自由な入所者がボタンをとめるために引っ掛けて使う「ボタンかけ」だった。現在は職員さんがそれらの道具を制作しているが、それは川上さん自身が作ったオリジナル。まるで土の中から太古の人々が生活に使っていた鏃を見つけたような気持ちになった。川上さんはご自身が畑に捨てたのを憶えていたのだろう。私が今集めているものが何かを川上さんはとてもよく理解していた。とんだ発見。解剖台が見つかるのも、ボタンかけが見つかるのも、大島箪笥がお借りできるのも、私と入所者の皆さんとの交流、つながりの証のように感じられた。単なる物、存在はここ大島ではそのまま記憶の塊なのだ。それらに出会い、立ち会うことのよろこび。私は幸せ者だ。
急に胃腸がきしむように痛む。下痢になってしまい、夕食は控えめに済ませることにする。
11:00 就寝。