Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 9月 24日のアーカイブ

松の香

2010年 9月 24日

7月24日(金)
きゅうに寒くなる。昨日の嵐から季節は秋へと歩を進めた。長袖のシャツを着る。
朝一便のお客さんを待つあいだに入所者の脇林ムツ子さんがお友達といっしょにギャラリーに来てくれた。早速ギャラリー内をご案内する。
ケースに入れて展示している墓標の松の根元から出て来た人骨を見て「これはどこの骨かしら?」「私が昔みた印象よりずっと白いね。」とおっしゃる。今回の展示ケースには濃紺色のフェルトを敷き、そこに人骨を配置している。そのため人骨の白さが浮き彫りになっている。以前の保管ケースには真綿が敷き詰められているのでコントラストで骨の方が暗い色に感じられるのだ。鳥栖喬さんの切り株の写真を見て「あら、これはなに?」「きれいね。」とムツ子さんの瑞々しい感性が伝わってきて、私も楽しい。
松の切り株を見て、「年輪数えられるかしら?」と真っ先におっしゃる。お話によるとムツ子さんは昔、大きな老松が切り倒されたあとの切り株の年輪を数えたことがあったそうだ。「700までは数えられたように憶えているけれど。」それが確かなら源平の合戦の時代と重なる事実だ。言い伝えげ現実味を帯びる。井木のドローイングを見る。ムツ子さんは「あー、これは大島の松ね。大島の松はこうだよ。」とおっしゃった。井木のドローイングは写実的に松を描いているのではなく、松と宇宙が一体となってリズムを奏でている様相を描きとめているように感じる。それをムツ子さんは自然に受け入れているように思った。大島で暮らして来た人のコメントとしては最高の褒め言葉。はやく井木に知らせてあげたい。
副園長がギャラリーにやってくる。野村さんが盆栽に水をやりにやってくる。副園長が入所者の暮らしを説明しているのが印象的だった。鳥栖喬さんが一生をかけて撮り貯めた写真を私はあずかり、様々な編集の仕方で展示している。前回の企画展「古いもの 捨てられないもの展」では大島と庵治の間を行き来する船を定点観測的に捉えたシリーズを主軸に展示した。今回は切り株に方位磁石を置き切られた松の断面を捉えた写真を床面にタイル状に貼付けている。身も知らずの私が故人である鳥栖さんの写真を一手にひきうけたことのたとえようのない感覚。毎日ふとんのまわりには鳥栖さんの写真が山のように積まれていた。毎日写真をながめていると鳥栖さんの目と自分の目が重なるような気がしてくる。その不思議さを副園長に話すと「それは高橋さんの運命ですね。」とおっしゃる。故人を偲ぶのでなく、故人の見て来た世界を追体験することの何とも言えない不思議さ。なぜそれが私だったのか。結果論でしかないけれど、今の自分でよかった。

鳥栖さん制作のフォトモンタージュ