Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 10月のアーカイブ

打ち合わせとこえび寮

2010年 10月 7日

喫茶店でコーヒー片手にドローイング

昨日の深夜バスに乗って高松へ。
早朝の高松は寒いぐらいだ。今日の夕方に北川フラムさんと今後の活動についての打ち合わせをする。構想は頭に入っているけれどまだ書類を作っていない。
とある喫茶店にて。9時の船を待つあいだ、スケッチにメモをとる。すると声をかける方がいる。北川さんだ。夕方の打ち合わせよろしく、とその場ではあわただしくお別れする。
9:10 まつかぜに乗船。ガイドを担当している笹川さん、小坂くんにひさしぶりに対面。私が留守の間、しっかりと大島に取り組んでくれている。
月曜日に田島征三さんが大島に来島された。その折に「おむすび会」なる越後妻有のお米を楽しむ会を開いたそうで、入所者の皆さんも続々と来ていただき、大盛況だったそうである。田島さんの人間的な魅力と独特のやわらかさ、そしてそのまわりにいるあたたかい人々。なんとなく宴の席が想像できる。私も同席したかったー。
大島の取り組みの私が考える将来構想を書類にまとめる。いつもであればギャラリーに出向いて来場者の皆さんに解説するのだが、今日はこえび隊の笹川さん、小坂くんにおまかせして私はしばらくパソコンとにらめっこ。
16:00 まつかぜに乗って高松へ。そのまま笹川さんと芸術祭事務局へ向かう。7階廊下でアートフロントギャラリーの大島担当高坂さん、総合ディレクターの北川さんと会う。その足で外の喫茶店に行き、打ち合わせをする。
ここでは、打ち合わせの内容はお話しできないが、芸術祭、こえび隊、大島に関わる人々の気持ちは一致している。
17:00 打ち合わせ終了。ふたたび推進室に行き、パソコンをネットにつなぐ。メールの送受信、webの更新作業に追われる。

こえび寮は快適だった!

22:00 高松港から自転車で約10分のところに瀬戸内寮通称「こえび寮」に着く。管理人の方から丁寧に宿泊のルールを教えていただいた。宿泊しているボランティアの若い人たちの挨拶がとても気持ちがいい。日本の将来は明るい!なんて思ってしまうぐらい。
部屋は個室。越後妻有の体育館や大広間での雑魚寝を経験している私には贅沢すぎるぐらい快適。ありがたく寝泊まりさせていただく。
24:00 消灯。

笑いの絶えないミーティング

2010年 10月 5日

午前中は大島の次の企画展「大島に暮らす展」に必要な材料や部品を買いに走る。
午後は授業後にスタッフ川島と19日に開催する小牧市民病院での研究会の打ち合わせ。モビール作品の試作検討が主な検討課題だ。昨日は小牧市民病院の化学療法室前の廊下に展示する絵画作品を作家本人がプロジェクトルームまで持って来てくれた。着々と準備が進む。スタッフ川島と打ち合わせていたところに昨年十日町病院とやさしい家で活躍したメンバー浅野がひさしぶりにプロジェクトルームに来てくれる。なんでも全国に知られた福祉施設の就職内定をもらったとか!これからだね、健康に気をつけてじっくりやってください。
17:30 やさしい美術のミーティング。作品搬入に向けて制作のGOサインが出た、足助病院での研究会を報告する。
今日のメインの検討事項は絵はがきワークショップキット=足助病院内に設置している、病院利用者用の絵はがき作成のための設えについてだ。これまでは落書きが多く、色鉛筆や鉛筆削りなどの紛失が絶えない。絵はがき用の紙を収納している箱の痛みも激しい。なんとかメンテナンス性の優れた、人々が絵はがきを描きたくなるような設えができないものかとメンバー間でディスカッションした。引き出しトレー型のボックスを利用した新しいプランが出てきた。この知恵をしぼる過程が楽しい。苦しみながら雑巾をしぼるようにアイデアを捻出する。冗談を言い合いながらも新しい展開ができそうだ。
笑いの絶えないプロジェクトルーム。

メンバー倉内が制作したティッシュうさぎ

修羅場になりそう

2010年 10月 4日

企業と手を携えて進めるプロジェクト。参加学生はよくわかっているのかわかっていないのか、本学で開催する「芸祭」の準備の傍ら巨大なディスプレイの制作も並行して進めている。私から見れば、掛け持ちしてる場合ではない!11月下旬の搬入目指し、修羅場となるのは目に見えている。毎日ひとつひとつつぶして進まないとー。

図から材料の原寸を割り出し、業者に発注をかける

足助病院研究会 忍耐のとき

2010年 10月 1日

10:00 mozoディスプレイプロジェクトを進める3年次学生が研究室にやってくる。昨日の打ち合わせの後、夜中に私のPC宛に三面図を送ってくれていた。昨日のワールド+モーフィングとの打ち合わせで高さ3メートル幅は5メートル近い大きなディスプレイを2つも担当することになり、いよいよ制作に向けてエンジンがかかる。デザインの間ディスプレイが終わってからもこなさなければならない産学共同プロジェクトが続く。
10:30 愛知アートコレクティブ代表の鈴木敏春さんが研究室を訪れる。
愛知アートコレクティブ主催で11月21日に愛知芸術文化センターで大島での取り組みを報告する講演会を行う予定だ。必要データと掲載文の依頼を受ける。
12:00 プロジェクトルーム集合。足助病院研究会に出かける。私とスタッフ川島、リーダーの古川のみの参加だ。制作に慣れていないメンバーに制作時間を充分に確保し、病院職員の皆さんに度重なる検討で負担をかけないためにも早く作品案を通しておきたい。そのため研究会の日程を早めたのだ。プレゼンテーションは学生が個々のプランを自分で発表するのがベストだが、病院内で開く研究会が授業時間帯にかかってしまうため、参加学生の調整が難しかった。一方で施設サイドは忙しい医療業務の合間を縫って研究会を開いていただいている。平常の大学の授業運営とうまく連動することができない、こうした対社会的なプログラムの大きな悩みである。9年目にはいったやさしい美術プロジェクト。現代GP補助事業期間を終了した今、本学の地域貢献に資するプロジェクトにふさわしいかたちとなっているのか?私たち教員は真剣に考えなければならない。
ここのところずっとずっと考えてきた。やさしい美術プロジェクトへの社会的関心度、役割の重要度は高まる一方で、窓口と運営体制はまったく進化していない。単に私の力不足もあるが、本質的に何が問題で、何を解決すべきかを判断しなければならない局面にいることは確かである。昨日、自宅に帰る車中で自己確認できたことがある。それは、私たちの取り組みはすでに私たちだけのものではない、ということ。社会へと乗り出し、多くの人々の期待と協働の上になりたっているやさしい美術プロジェクト。私の一時的な感情や激烈な行動で崩壊させてはならない。どんなことがあっても応援してくれている方々や注目してくれている方々、取り組みを通して出会い、関わりが深まった方々、そして現場で真剣に取り組んでいるメンバーの姿を心に焼き付けて歩まなければならない。年々険しくなる道のり、私の足腰の強さが試される、忍耐のときである。
13:30 研究会の1時間前に足助病院に到着する。作品のコンディションや関係部署との相談を進めておく。
14:30 研究会開始。忙しいところを大山看護師長をはじめ7〜8名の看護師さんが集まってくれる。今日提案するのはB棟に設置されているミニギャラリー「えんがわ画廊」の活用プラン。今年から参加しているメンバーの作品を中心に来年の春まで作品が入れ替わって行くプランで、スタッフ川島がイニシアティブをとってくれている。
リーダー古川が代理で1つ1つのプランを丁寧に説明していく。
議題に沿って作品プランを一通り説明したところで質疑に入る。今日この研究会でプランの検討を終えて制作に入りたいという意思を前もって病院サイドにつたえてあったからか、作品プランに対する率直な意見が飛び交う。
看護師さんらの見極めようとするまなざしに手応えを感じる。議論が繰り広げられるこの場がとても心地よく感じられた。霧が晴れるように、感情的だった私の心が鎮まっていく。やはり、現場はいいものだ。
研究会の後は作品メンテナンスをする。以前は私が率先してすべてを実演してみせていたが、最近はスタッフ川島が私に代わってだれよりも率先して作業し、それを着実にメンバーに引き継いでいるかをチェックするようにしている。ディレクターは本来そうあるべきだが、今までは私が自ら動きすぎてしまったきらいがある。私が動きすぎると、学生メンバーはとたんに受け身になる。享受者ではなく、当事者にならなければ現場では働けない。そのことを身を以て理解してもらわなければならない。
18:00 足助病院を出発。すでに日が落ちている。空の趣は秋を通り越して冬を感じる。
19:00 大学着。荷物の整理、機材の片付けなどはスタッフ川島と古川がしっかりとやっている。それを見届けて研究室にもどる。
21:30 帰宅。