Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 10月 30日のアーカイブ

「さびしい」

2010年 10月 30日

今日を入れて残すところあと二日間。瀬戸内国際芸術祭2010が閉幕する。それは新たな出発でもある。自分にそう言い聞かせていても、これまでの日々がフラッシュバックしては熱いものがこみ上げてきてしまう。
昨日の夕方のことだ。私が安チャリ(安長さんからお借りしている自転車)で8寮前を走っていくと、「おーい。」という声で呼び止められる。8寮に住む入所者浜口さんだ。台所の窓ごしに「もう、終わるなぁ、先生。さびしい、さびしいよ。」とおっしゃる。毎日のように来場者に声をかけ、桟橋で見送ってきた浜口さんの105日間がもうすぐ終わる。
9:30 朝一便で来島される人々をお迎えする。
ぎっしりと来場者を載せた官用船は心なしか重そうに舵を切り、桟橋に寄せられる。
解剖台の前に立ち、来場者を迎える。質問が絶えない。
午後の便でアーティストの戸高千世子さんが来島。戸高さんは私と比較してもひけをとらないほど日焼けしていらっしゃる。戸高さんは陶芸作家でありながらも、様々な空間で実験的かつ美しいインスタレーションを手がけている。越後妻有アートトリエンナーレに続き瀬戸内国際芸術祭では豊島の池に風に感応するオブジェを配置した作品を設置、好評を博している。戸高さんの話ではボランティアスタッフこえび隊の協力はもちろんのこと、地元住民の知恵と労働力に助けられて完成したのだそうだ。戸高さんはその恩返しに住民の方々の田畑を耕すお手伝いをしているのだとか。日に焼けるはずである。住民の皆さんと汗水垂らして労働をともにする。「協働」を地で行くアーティストである。こうした地にしっかりと足をつけて立っているアーティストがいることがとてもうれしい。
カフェが空いている時間13:30に行き、ギターをひく。そこへ青松園副園長市原さんがランチにやってくる。しばしリラックスした時間が流れる。
16:30 カフェの泉、井木と桟橋で高松便最終を見送りに行く。桟橋の端まで走って行き大きく手をふる。満杯になった官用船から一斉に手を振ってくれている。満潮の瀬戸内海。桟橋ぎりぎりにまで迫る海面にそのまま走っていきたい衝動にかられる。
見送りのあとすぐに野村ハウスにもどり台所に立つ。今日は芸術祭最後の夜なので日頃お世話になっている野村さん夫妻を夕食に招いているのだ。カフェの井木、泉、張、天野は仕込みでそれどころではないので、私が独断でお招きすることにした。今回時間が全くなかったので高松で食材が買えなかった。乏しい食材でなんとか食事を作る。十日町病院の職員だった泉澤さんが送ってくれた魚沼産のお米を炊く。大島の義肢装具士西尾さんが釣ったタコが半分冷凍してあったのでタコでトマト煮を作ることにした。タマネギを3個みじん切りにし、きつね色になるまで炒める。そこにトマトピューレを加え、クミン、ターメリック、ニンニク、コリアンダーを加えて味を整える。冷凍室にあった肉を解凍し、唐揚げにする。ジャガイモを短冊状に刻み、しゃきしゃき加減を残して炒める。そこに先につくっておいた唐揚げを加える。最後に大智さんからいただいたすだちをきゅっとしぼる。
18:00 野村さん夫妻がお酒を持って野村ハウスにみえた。これまでこの11寮=野村ハウスがあったからこそ私たちはやってこれた。それだけではない。野村さんのつくった野菜や果物で私たちの日頃の健康は保たれたと言ってよい。感謝の一言を伝えたい一心だった。仕込みで全く隙間のない4人も顔だけでも出すように連絡する。電話もとれないぐらいだから、息つく暇もないのだろう。手が離せないから「ろっぽうやき」を焼いている最中かもしれない。食事もほどほどにカフェチームは仕込みにもどる。野村さんと今年の熱い夏を振り返る。大島すいかの甘さは今まで味わったことのないものだった。野村さんによればオクラの花は昨年はつくらなかったが今年は私たちがいるのでとっておいた種をまいたのだそうだ。毎朝花を摘み食す。なんと洒脱な食事。熱帯夜の夜が明け、オクラの花でつかの間の涼しさを感じていた。思い出がたくさんある。そして、これからも思い出は増えていくのだ。「野村さん、本当にお世話になりました。そして、今後もどうぞよろしくお願いします。」「このまま野村ハウスはおいておくから、そのまま使いなさい。」と野村さんはおっしゃった。野村ハウスは私たちの大島の家。野村さん夫妻は大島のお父さんとお母さんである。
20:00 野村さん夫妻は自宅にもどる。
私は荷物の整理と大学でやりのこした仕事をする。
芸術祭最後の夜は更けていく。