Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 11月 11日のアーカイブ

大島のその後

2010年 11月 11日

野村さんが植えたブロッコリーは随分と大きく育ったことだろう。

大学に着き仕事をしていてふと携帯電話を見るとメールが一件。
大島青松園の職員大澤さんからのものだった。
そのメールには私たちが寝泊まりしていた11寮=通称野村ハウスの隣人で10寮に住む入所者安長さんのことが記されていた。
芸術祭終了後、一週間滞在を延ばし、カフェのスタッフ泉と井木は土曜日日曜日にろっぽうやきを販売。芸術祭の来場者が多いとなかなか入所者の皆さんにろっぽうやきが手に渡らないことがあり、入所者と職員さんのためにひたすら二人でろっぽうやきを焼き、230個を売り切ったそうだ。その間安長さんはよくカフェ・シヨルにコーヒーを飲みにきたそうだ。
昨日、泉と井木が大島を離れ名古屋に帰った。
大澤さんによれば、その明くる朝、安長さんはカフェの前で立ちすくんでいたそうだ。10寮の畑でだまって佇む安長さんの背中を見て、声をかけたそうだ。
「あいつらいんだんか。(帰ったんか。)もう来な(くるな)いうといてくれ。」とおっしゃったので、大澤さんはこう返したそうだ。
「そんなこと言ってほんまは寂しいんちゃうの。」
「あはは、やかましっ!」

安長さんとお酒を飲んでいた時にこんなことをおっしゃったのを憶えている。
「この10寮で毎日いて寂しいと思ったことないわ。」
でも、そんなことはないのだろう。寂しさ、悲しさ、辛さは口にせず、背中で語る。安長さんは昔気質の男なのである。
入所者の大智さんは畑でひたすら叫ぶ。「おるんかー、おったらええぞぉー。」「つらい、つらいぞぉ。」その声の調子に暗さはみじんも感じない。しかしその声の背景には重く垂れ込めた記憶が横たわっている。だからこそ、大智さんの声ははじける花火のように輝いて感じるのかもしれない。
今日も安長さんは植え込みの手入れをしていたのだろうか。畑のある谷には大智さんの声が響いていたのだろうか。
思いを馳せる。