Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 12月 12日のアーカイブ

大島{つながりの家}再開のために 畑仕事

2010年 12月 12日

6:00 外が少しずつ薄明るくなってくる。午前中は入所者大智さんたちの畑に行くことになっていたので、暗いうちから起き出してくる。
がらりと窓を開けると野村ハウスとなりの10寮に住む入所者の安長さんが洗濯物をバケツに入れて水を張っている。「おはようございます!」「お、来とったんか。」
安長さんは珍しくジャケットを羽織っている。朝日が出る直前の瀬戸内海をながめながら、語らう。お酒の入っていない安長さんの口は重いけれど、話が途切れても、間があっても苦にならない。一緒にいるだけで言葉を交わしているような、不思議な時間。
朝食は野村さんが育てた水菜やレタスをふんだんに使ったオープンサンド。ドレッシングもお手製。食材の風味を殺すことなく、たのしめる食卓を井木はさらりと創り出す。
食後は私と井木、泉の三人で大島北部の畑に行く。もう畑には大智さんがいた。大智さんが植えていたのはそら豆。来年の5月頃にはたくさん実が成るそうだ。風はそれほど強くない。ここで大智さんと東條さんの声の掛け合いを録音したのが今年の2月ごろ。あの時も大島特有の季節風はみごとに薙いでいて、すばらしい音声を記録できた。大智さんといろいろな話をしながら畑作業をしている。私たちの会話の声もここにいるととてもクリヤーに感じられる。通常は散逸して感じ取れないようなざらついた音の手触りが手に取るように感じられる。それは何故か。ネギの周りにある雑草を摘みながら、ふと周りを見渡すとこの畑の地表が大きな凹面を描いているのがわかる。畑が耳のような形状をしていて、周辺の音声を集めているのではないか。そんな仮説を立ててみたくなる。天に突き抜けていくような力強い声。今日も大智さんの声は畑に響く。大智さんは自分の声がこの畑で増幅されているのを直感的に知っているのかもしれない。
大智さんの畑でたくさんのお野菜をいただく。キャベツにほうれん草、みかん…。なかでもうれしかったのは辛み大根。緑色をした小振りの大根は擦り降ろして天ぷらやお刺身に添えて食べる。この独特の辛みが旨い。先日の打ち上げ会のとき、私がこの辛み大根を大量にまぶして頬張っていたのを大智さんが覚えてくれていて「先生、大根とっといたからよかったら食べてください。」とおっしゃる。自宅に戻ったら家族で食べたい。子どもたちにはまだ早いかな。大人の味だ。

使い込まれた鍬は鏡面となっていた

よもぎも摘む。17日にもちつきをする予定だが、そこによもぎを足してよもぎ餅にするためだ。柔らかい新芽だけを丁寧に摘む。土とよもぎの香りが辺りを漂い、なんとも清々しい。芸術祭期間中はなかなかこのような時間を持てなかった。忙しく、慌ただしい日々のなか、余裕がなくなっていたのかもしれない。井木、泉と3人でこうして畑に出ていると、リフレッシュされて心の中までクリヤーになっていく。
畑作業を終えて歩いていると入所者の東條さんと会う。水菜とカブをいただく。東條さんの水菜は噴水のように生がいい。野村さんのつくる水菜とすこし趣が異なる。育てる人によって野菜の育ち方も違うのだ。カブはハンドボールぐらいのサイズ。両手に抱えて歩く東條さんを見て「東條さんが小さく見える!」と井木と泉がはしゃぐ。

再開を待つGALLERY15の再展示

11:00 畑作業を終えたあとはひたすらギャラリーで展示作業。井木と泉はカフェで仕込み作業に集中する。夏とは明らかに違う、低い日差しが元一般寮15寮であるギャラリーに差し込んでくる。その日差しを感じながら1つ1つ展示物を配置していく。うまく表現できないのだが、モノを配置しているというよりは記憶の塊を位置づけていくような感覚。それぞれの展示物がお互いの距離感を保ちながら、領域がせめぎあう緊張感がでてこればしめたもの。モノではかるのではなく存在感をはかるのだ。この臨場感は何度味わっても楽しい。
私はこのところコンスタントに週に1〜3回の作品搬入、搬出に携わっている。冷静に見てすごい頻度。
15:00 設置、ライティングも完了し、掃除にとりかかる。芸術祭が終わったあとに空間をくすませていた埃を拭っていく。GALLERY15は復活を遂げるー。
16:00 荷物をまとめカフェ・シヨルに行くと、先ほどにも増して日が落ちてきて、カフェの空間に金色の光があふれている。そこで井木、泉はあたらしいお菓子を創造していた。最高の仕事を得た充実感に包まれた二人に迷いも陰りもない。二人が入れてくれたお茶がおいしい。
16:15 井木と泉に見送られながらまつかぜが出航。なぜか涙があふれそうになった。
20:10 夜行バスに乗り込み、名古屋へ。