Nobuyuki Takahashi’s blog

2010年 12月 29日のアーカイブ

大気を帯びた地球儀

2010年 12月 29日

昨夜遅くに長男慧地が突然嘔吐する。どうやらはやりのノロウィルスにやられたようだ。隣で寝ていた長女美朝はまともに吐瀉物を浴びたので私も妻も感染するのではと気が気でない。
朝、起きてすぐに慧地に声をかけるが、力のないか細い返事が返ってくるのみ。とても朝食が食べられる様子ではない。ゆっくりと寝かせることにする。
一方美朝のほうはいたって元気だ。私が終日家に居るのがめずらしく、彼女にとってみれば私を独り占めにするチャンス。どこに行くのでも私につきまとう。最近の美朝はまさに奈良美智さんのドローイングが正夢になったようだ。慧地が最近熱をあげている「ルパン三世」のビデオを見て美朝は 「峰不二子」の魅力に取り憑かれ、4歳児とは思えない甘え声で私にすり寄ってくる。ぷっと膨れっ面をした時の三白眼はぞっとする。

今日は家族全員で大掃除をし、夜は家族だけで妻の誕生日会をする予定だったが、慧地の体調不良のためすべてキャンセルに。私は昨夜書店で購入した書籍3冊のうち、一気に2冊を読んでしまい、500ページある3冊目に突入。読書の合間に遊び相手がいない美朝と遊ぶ。
これも昨日のことだが、旧友から我が家に小包が届いた。さっそく中身をひらくと子どもたちへのクリスマスプレゼントだった。昨年はギター製作キットや楽器類をいただいた。今年は関東方面で活躍している予備校時代の旧友が制作した陶器、木製のコマ、地球儀制作キット、アイドルCDが包まれていた。い つもありがとう。
美朝が「これ一緒に作ろうよ。」と私にしつこくせがむ。地球儀キットを組み立てようというのだ。折り紙状のパーツを手順通りに折ってゆきスリットに差し込みながら球体をつくる。 これが「地表」を貼付けるフレームとなっていて、接着なしで全て組み立てることができる優れものだ。かの友人はこの夏少ない休暇を使って大島まで来てく れた。そのときの文化会館で実施していた参加型プログラム「森をつくる折り紙Morigami(もりがみ)」にインスパイアーされたのか、人の手が加わっ て完成するキットをわざわざ探して私たちに送ってくれたのだ。心細やかな選択が彼らしい。
さて、地球儀は小一時間で組み立てが終わった。そこに私と美朝で色鉛筆を使って着色していく。紙の色調が土を思わせるアンバー系なのでどのような色を差し ても落ち着いた発色だ。球体は便宜上多面体で構成されていて天体の形状からはほど遠いが、地表に印刷されている陸地と海、国境の線がもっともらしく地球らしさを演出している。それらの境界線を境に塗り絵をするのがこの地球儀キットのねらいに違いないが、娘には大してこれらの境界線が目に入らないようでそれらにとらわれず縦横無尽に鉛筆を走らせている。その姿を見てふと思い出す。

私は15年ほど前に地球儀を使った作品を制作していた。
日記や手帳にマークする目的のシールや商品のポップに使用する表示、多目的な付箋類 などありとあらゆる貼付物を白地図の地球儀に貼付けて日常生活と私たちの共通観念に浮かぶ「地球」とをレーヤードした作品。見るものの想像力を喚起する 装置のような作品だ。実際に目の前に地球を見たものは宇宙飛行士ぐらいしかいないのだが、地球儀はだれにとっても既視感があり、私たちの日常がその平滑な表面に張り付いている、と想像することができる。もう少しスケールダウンしてみよう。私たちは地図を見て行ったことのない目的地にたどり着くこと ができるし、交通網や情報網にアクセスして自身のポジションを客観的に定位することができる。同時に私たち自身の身体も高度にマッピングされている。解剖図はどこでも手に入るし、私たちの身体が様々な機能の連携で成り立つ機械であると解説可能だ。私たちは自分自身を輪郭を持った内容物として捉え、 地表に自身の位置関係をポイントすることができ、国境で囲われた一色のうちに自身を塗り込めることもさして難しいことではない。
次の瞬間ほとんどの人はこうつぶやくだろう。
「世界は、そんなんじゃない。そんな、簡単なものじゃないよ。」と。
地表に這いつくばり、些末な日常に没している私たちの像を投影できるのはこれらの観念と概念が描画した図ではない。妙にてらてらとした表面に覆われ、密閉された境界膜に閉じ込められていく世界。地球儀は世界を捉える一つの方向性を見事に可視化しているが、同時にその限界も露呈している。
私が日々感じている鬱屈とした抵抗感を出発点としつつも、その情操の様態をあらわに表現することを目指さなかったのは、作品がまるで対面する鏡のように自分から切り離されて自律しているという妄想が膨らんでいたからだ。しかし
当時の私の制作を振り返ると、自分の意図や情感をそぎおとすことによって作品化に向かうことと、私の内部でふつふつと現れては消える日常での情動とが馴染むことがなかった。制作という行為が名状しがたい矛盾を抱え漫然と苦しんでいたように思う。はからずもこれらの作品は分裂的な「私」が表現されてしまった。
1メートル×3メートルの大きな都市の地図に等身大の身体のアウトラインを投影し、その内部の道路のみを赤いペンで塗りつぶした。それはあたかも身体をめぐる血流が社会にみられる交通や流通と偶然に照合するかのように浮かび上がってくる。
陸地と海、国境を輪郭線で囲い、色分けされたごく一般的な地球儀に「雲」を描いた。観念的に色分けされた世界の上空を想像上の大気が流動する。天空のダイナミズムを描き込むことで平滑な地表に奥行きをつくった。

これらの私の制作は、何よりも以前に私自身が抱える「生きる」ための挑戦でなければならなかった。しかし、その多くの試みは観念の置き換えや切り貼りに終始しており造形的な遊戯に陥っていた。
「このままではいけない。」

私はなんとしても自己を投入する私の歩むべき道筋を見つけなければならなかった。また、その模索は私の安住の地である「アート」の領域内に見いだすことになるかどうかも白紙にしてのぞまなければならなかった。それまでの漫然とした矛盾が私の中で放置できないほど膨れ上がり、自らを救済してくれるはずの「制作」という営為に私自身が砕かれそうになっていたのだ。

少しずつ光が見えてきた試行錯誤の日々。道筋を自ら選びとったようでいて、その多くはまるで「宿命」とでもいいたげに逃れようもなく身辺で起きたあまりにも悲しい出来事が契機となったことをこのブログでも綴ってきた。

やさしい美術は、「アート」への信頼と不安、期待と無力感の間で往復する。ただし、それを遠くから眺めるのではなく、常にその振幅の中に自分を置き、そこで反応する自分でいようと思う。

やさしい美術の取り組みのエレメントはこの15年ほどの間にゆっくりと熟成されてきた。その向き合いはすでに私のみに起こっていることではなく、この取り組みに携わったメンバーたちのそれぞれに見合ったかたちで受け継がれ枝葉を広げている。

今、私の目の前で4歳になった我が娘が友人のプレゼントである地球儀に手を入れている。彼女のたおやかなストロークは地球儀に記されているどんな境界線よりも美しかった。