Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 1月 9日のアーカイブ

開かれた

2011年 1月 9日

「地域に開かれた病院をー。」といううたい文句は、私たちやさしい美術プロジェクトと協働関係にある病院との共同声明である。約9年ちかく前に初めて足助病院を訪れた時に早川院長がおっしゃった言葉を思い浮かべる。
「足助病院は足助で一番人が集まるところです。病院であるとともにここはコミュニティーの場でもあるのです。病院は地域に開かれているべきです。」
小牧市民病院の末永院長と最初の打ち合わせをしたとき、院長はこうおっしゃった。
「病院に作品を見に来てもらってもいいと思います。それぐらい、病院という場所が地域に開かれているのがいいと思います。」
私たちの取り組みの初期からこれらの言葉は様々な意味を持ちながら今日まで受け継いできた。当時のあの言葉はアートが発揮する効果への期待感というよりは、医療者対患者、病院と地域というこれまでのわかりきった関係性のみでは成り立たない何かと向き合い、一歩を踏み出さなければという焦燥感がにじみ出ている。

大島は国が離島につくったハンセン病の療養所。入所者の言葉を借りれば、「ハンセン病患者を目立たず誰にも気づかれない場所に閉じ込め、そこでひっそりと滅するのを待つ」場所だった。「ところがどっこい、私らはまだ生きとるぞ。」とおっしゃる入所者の声は、生き抜いてきた、生きてきてしまった、生きることを与えられた、つまりは生きながらえた生命体の証そのもののように響く。

大島を開くこと。それはハンセン病回復者である入所者がふつうのおじいさん、おばあさんになることだ。今の私にはそのように思える。

病院を開くということ。それは普通に日常を生きることと、(何かの理由で)病院にいることが地続きになること。

そこだ。これからそこをじっくりと詳らかにしていきたいと思う。