Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 1月 15日のアーカイブ

床の音

2011年 1月 15日

一般公開日。朝からすでに風が強い。大島の季節風は抑揚がほとんど感じられない。途切れることなく吹きすさぶ風は私たちの体温をいとも簡単に奪う。ガイドを担当するこえび隊の皆さんと一般来場者数名が朝の便(9:10高松発)でやってくる。船が相当揺れたようだ。いまのところ船は出ているが、午後になるとさらに風が強くなるという。
11:20 人権啓発課の方々が大島を来訪。納骨堂でご焼香をすませ、カフェ・シヨルでお話しする。大島青松園は入所者の生活を充実するに加え、ハンセン病についての啓蒙という社会的役割も担っている。そのため高松市の職員のなかでも大島では人権啓発課の方々をお見受けすることが多い。私たちの活動にも注目していただいている。ご質問がいくつかあったので私はそれに答えつつ今後の活動方針についても概略をお話しした。私たちの取り組み{つながりの家}は一部の人に限られるのではなく、周辺地域の市民ネットワークで支援していく形体こそがのぞましい。なぜならば大島で暮らす人々への偏見と差別が直接的におよんだのは周辺地域からであっただろうし、その障壁は足下から取り除かれなければならないからだ。その意味では瀬戸内芸術祭の舞台が一翼を担ったことは疑いない。ここ一年を振り返って私が接した限りではただ静観するというのではなく、様々な動きが互いに連携し、影響を与え合う機運が育まれつつある。
カフェ・シヨルで野村さんとお茶する。NHKの取材陣が朝から大島入りしており、入所者に気遣いながらそっと撮影を進めている。
せっかくなのでろっぽうやきを所望する。
木のフォークでろっぽうやきを二つに割ってみる。その質感はほっこりとしっとりの中間と言ったら良いか。口に含んでもべたつかず、抑制の利いた甘みがかえってあずきの豆本来の風味を立体的に引き立てる。一方きつね色の「皮」はその風味をうまくパッケージしている。皮の味はほとんど主張しないのだが、気がつけばあんこの風味を後押しして甘みの余韻を醸し出す。私は芸術祭期間中数回ろっぽうやきを食したが、その度に食感、風味どれひとつとっても確実に深化している。野村さんもろっぽうやきをほおばる。一息おいて「うまいの。」 野村さんのコメントに一同表情がやわらぐ。ろっぽうやきは人々の心を解きほぐす力がある。殊にここ大島では。
午後は何人かの入所者に会いに行き、お話を伺おうと予定していた。自治会長山本さんが編成した資料収集委員(資料を収集し、社会交流会感構想の準備をする委員会)の方々に意見をお聞きしたいと思っていたからだ。入所者森川さん宅に電話し、お話を伺うことになった。
引き戸を軽くノックすると森川さんの声。森川さんは6畳間の半分ほどをしめる介護用ベッドに腰掛けていた。私に座布団をすすめ、私たち二人は床に腰を下ろした。森川さんの手と足はハンセン病の後遺症のため感覚が全くない。足は下垂足(麻痺のため足先が伸びてしまうこと)が進んでいるため、補装具によって足の角度を保持している。補装具が床をとん、とんと突く音が部屋に響く。資料収集委員は自治会の規程にあるものではなく、山本会長の判断によって臨時に組織されたものだ。私は可能であれば資料収集委員の皆さんのお手伝いをしながら、やもすれば廃棄されてしまう資料的価値から漏れる様々な事物を収集しようと考えている。それは昨年の芸術祭で行った「古いもの捨てられないもの」展の延長線上にある。私がお手伝いできることがあるのか、連携しながらできることの可能性を探るため意見をうかがっておきたかった。森川さんの記憶力は健在だ。何を尋ねても年号と出来事の照合が瞬時に導きだされる。森川さんの頭の中に大島ではトップランクの歴史年表が納まっている。
自治会長が森さんに代替わりすることで、資料収集委員は一度解散するという。森さんがどのような方針をたてられるのか、まずは見守ることになりそうだ。
13:25の官用船でこえび隊、一般来場者、人権啓発課の皆さんが一斉に高松に帰ることになった。夕方の便が欠航する線が濃厚となってきたためだ。
井木は所用のため夕方の庵治便で名古屋に向かう。
17:00 野村さん夫妻が野村ハウスにやってくる。今日は野村ハウスで鍋をすることになった。ネギ、白菜はもちろん野村さんが育てたものだ。白菜は芯近くまで虫が食っている。つまりそれだけ美味いということだ。春美さんのお知り合いから送られてきた蟹の爪も食べることになり食卓を豪華に彩る。
蟹のだしが白菜の甘さを引き立てる。野村さんの育てた白菜の糖度が潜在的に高いことは言うまでもない。私、泉、野村宏さん、春美さん、4人が一つの鍋を囲み舌鼓をうつ。ここが、ハンセン病の療養所であることをわすれてしまいそうだ。ゆったりとした時間が流れる。
20:00 話は尽きなかったが、そろそろお開きとする。野村さんご夫妻が席を立ち玄関に向かうその時、床がとん、とん、と響く。春美さんの右足に括りつけられた補装具が静かに、床を打つ。私はその響きを足裏に感じながら今、自分が大島にいる、という実感に引き戻される。玄関の外に出てお二人を見送る。野村ハウス=11寮の軒先まで出て野村さんは振り返り様、こうおっしゃる。
「また、やろうな。」
「鍋は恒例でやりましょう!」
鍋でほてったほおを凍てつくような海風がなでていく。