Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 1月 23日のアーカイブ

もう一歩踏み込む

2011年 1月 23日

私はフィルムで写真を撮っているので、写真の出来映えを見るのには現像を待たなければならない。写真はとある現像所に郵送し、現像済みのフィルムとスキャンデータを返送してもらっている。
最近撮った写真をチェックする。現像を待つ間に撮影当時の意識が冷め、客観的になる。フィルム写真ならではの楽しみの一つと言ってよいだろう。じっくりと一枚一枚の写真を吟味する。すると自分自身のその時のまなざしがよみがえる。
私は大島に行くたびに、少しずつではあるが入所者の皆さんを写真に撮っている。「ハンセン病回復者の今」を切り取るというよりは、そこで暮らす人々、仲良くなったおじいちゃんおばあちゃんを撮っているという感覚である。思い返せば3年前初めてカメラを持って大島に入った時はそんなではなかった。大島でカメラを持って歩いているだけで、撮りたいという自分の欲求と撮ることが何になるんだと問い返す自分が葛藤した。「それでも写真に撮りたい、撮っておきたい。」という気持ちの歩みがこの3年間の写真にのこされている。
一瞬の躊躇がある。ぐっと踏みとどまりさらにもう一歩前に出て皆さんの姿を写真に撮りたいのだが。撮りたいという欲求を被写体である入所者の皆さんの前にさらけ出しているようでその迷いが拭いきれない。そんなことでは踏み込んだ写真は撮れない。いっそのこと撮らなければ大島に来ていることの身の潔白を証明できるじゃないか。否そんなところで立ち止まってはいけないんだ。ではなぜ撮るのか。撮らなければならないのか。私が踏み込めない一歩についてずっと考えている。その一歩は物理的な距離ではない。私と大島の人々との間柄の深度かもしれない。土足であがり突き破るのは私にはできない。扉をノックし、玄関で挨拶し、お部屋にあげてもらってお話をしながらゆっくりと近づく。すると初めて気づくお互いの感情の質感と温度。
私の撮る写真はまだそこまでたどり着けていない。