Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 2月のアーカイブ

なぜ 大島なのか2

2011年 2月 5日

カフェ・シヨルは「カフェ」である、と同時に泉、井木の作品でもある。しかし、私は「これは、私たちの作品なのです。」と囲い込んでしまうことを快しとしない。ギャラリーもカフェもガイドも、{つながりの家}に包括される。{つながりの家}構想はハンセン病回復者である入所者の心情が基になっていることを忘れてはいけない。

・ずっと(最後の一人になるまで)大島で暮らしたい。
・大島のイメージを変えたい。
・大島を人が集う場所にしたい。
・大島で生きてきた、証を残したい。

カフェ・シヨルは個人が追求して来たテーマが今ここで作品として結実しているのではない。もしそう思えるならばアーティストの営みに周囲の状況が追いついてくるという錯覚だ。言い換えると、大島の外の新しい価値観、今までもたらされることがなかった斬新な発想が{つながりの家}では決してない。「これは、私が作りました。」「ここは、私によって成り立っています。」という振る舞いが、大島をめぐってこれまで連綿と受け継がれた人々の営み、感情、時の歩みを気付かず分断してしまうことになりかねない。どういうことかと言うと{つながりの家}の精神(スピリット)は私たちが大島に関わるずっと以前から伏流しており、多くの人々がそれぞれの念いを胸に、その時できることが精一杯試みられてきたのだ。大島で出会った所以のある方々のお話を聞けば聞くほど、それは確信へとかわった。私と井木、泉の3人は幸運にもカフェ・シヨルを含めた{つながりの家}という取り組みに浮上する(浮上できる)状況とタイミングに居合わせたと見るべきだろう。

人が生きるという欲動。本来はその源泉を感じ、自らの内につかみとるのはいつでもどこでも可能だ。自分と他者とのつながりを感じ、自らのいのちを燃やし続ける。ごくシンプルなことがそうはいかない、それが私たちの生きる現代だ。大島に身を置くと、私たちの感性のチャンネルが惑うことなく同調し、いつもより少しだけ鮮明に像を結ぶ。私たち生きとし生けるものはそのフォーカスの手を緩めず、日々鍛錬しながらそれを自らの糧として生きるべきなのだろう。
そのトレーニングとアクションをずっと繰り返して来た、場所。
それが「やさしい美術」だった。

なぜ、大島 なのか。

2011年 2月 4日

先月の1月28日から29日までレンタカーを走らせて高松まで行ってきた。私とカフェ運営メンバーの井木、泉の3人で大島に保管してある機材、展示ケース、工具類などを名古屋に持って帰ってくるためだ。それらはすべて昨年開催された瀬戸内国際芸術祭の展示のために活用したもの。運送業者に大島まで引き取りに来てもらう手だてがなく、ローコストで運べる方法を模索した結果、自分たちでレンタカーを借りて運ぶのが最良と判断した。

13:55の官用船に乗船。大島に着いてすぐに運び出す荷物を選別し、梱包する作業に入る。明日までかかるかと思われた荷造りが日が暮れるまでに完了。ついでに倉庫代わりにしていたカフェ・シヨルの風呂場とGALLERY15のストックヤードの雑多な荷物を整頓してしまう。明日は船に乗せて高松まで運び、あとはレンタカーに荷物を放り込んで名古屋までひとっ走りするのみだ。

夜、泉が和風パスタをつくってくれた。サラダ菜と水菜は野村さんの畑からいただいたものだ。今日の作業が思いのほか捗り、気持ちも軽い。野村ハウスにストックしてあるお酒で杯を交わす。

井木と泉はNHKの取材を受けて、2月1日に全国に放送された。瀬戸内国際芸術祭が終わったあとも活動を継続する大島にて、カフェ・シヨルで活躍する二人が特集されたのだ。
二人の話によると、取材する記者さんからかなり深くつっこんだ質問があったらしい。それは、
「どうして、そこまでするんですか。」
「どうして、大島なのですか。」
というものだ。芸術祭後二人はカフェの仕込みのために月の半分を大島で過ごしている。なぜそこまでするのか。視聴者の身になってみれば、自然にわく疑問だ。泉はこれまでの経緯と今の自分の心境はなんとなく答えられるけれど、何が自分を奮い立たせ、何を理由にそこまで打ち込むのか、うまく答えられなかった、と言った。無理もない。彼女たちは自分の居場所の一つをそこに見つけて、始めたばかりなのだから。分岐しては合流を繰り返しおよそどの方向へも流れ得る可能性のなかで彼女たちはたまたま大島と出会った。それは彼女らをとりまく時流や家庭環境、生活観などのありとあらゆる状況が許したとも言える。意志や気持ちの強さだけでは説明がつかないのだ。結果としてこの道でしかあり得なかったと感じたとしてもそれは自分の意志と周囲の寛容が絡み合った道なのである。一歩を踏み出す、その先に一本の道があらかじめ用意されているわけではないのだ。
私は「わからないことは、わからない、ということで今はいいと思うよ。」と答えた。問いをなげかけた記者さんは取材を重ね彼女らに近づけば近づくほど、状況とタイミングの網の目の渦中の一点「今」「ここ」を感じたことだろう。しかしメディアの側に立つ伝達者は目前で起きていることの道程をはっきりとわかりやすく示さなければならない。視聴者の無垢なまなざしの前で何をどう伝えたら良いか、さぞ悩んだことだろう。

この質問を私自身にも問うてみたいと思う。
「なぜ、大島なのか。」

フェニックス

2011年 2月 1日

人は身体(からだ)に何かを刻み付ける。
刻み付けざるを得ないことがある。
その理由(わけ)をそれに託す。

真奈美の背中