Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 2月 15日のアーカイブ

ジャンルを作りたい、わけではない

2011年 2月 15日

私は「やさしい美術」というジャンル、あるいは病院系、福祉系のアート領域を確立したいわけではない。やさしい美術プロジェクトを設立した当初は取り組むこと全てが初めてのことばかりで、行き当たりばったり。深く意識することなく直感的に方向性を選びとっていったというのが正直なところだ。
ジャンル、領域とは制度や手法、棲み分けの枠組みのことである。枠組みで括ることによって、その名称と存在意義がイコールで結ばれる。枠組み、つまりジャンル名や系統名、分野名などに置き換えられるものは、存在価値が保証される。あるいは逆もまたしかり。研究と実践が積み重ねられ一般化された結果、ジャンルが確立されるということもあるが。
やさしい美術という取り組みは、まず医療福祉施設などの現場に行き、そこで感じたことを出発点に個々の表現や企画に展開していく。このブログで何度か述べてきたことだが、私たちは活動の際「癒す」という言葉は使ったことがない。「癒す」という言葉によって否が応にも自分対相手という前提が屹立する。「〜してあげる」という言い方もしたことがない。これも先述と同様だ。何度も施設を訪れ、利用者と接する中でそこにいる人々の息づかいが私たちの側に浸透してくる。痛みや苦しみの感覚が心理的に共鳴するのだ。形象でそれぞれくるまれた自己と他者の境界はこの時点で感情と感覚が行き来する浸透膜へと化す。こうして、表裏を翻すように他者の問題が自分の問題へとシフトする。
おそらく、この取り組みに参加する者の強固なモチベーションを支えるのはそこだろう。他者に自分の姿を重ねる。他者を鏡に自分を見つめる。他者に巣食う自分の感覚を拾い、自分にしみ込んでくる他者の感覚を掬う。

大学の学部やコースはまさにジャンルの境界をそのまま体現している。むろん本学には「やさしい美術コース」はない。枠組みに収まらないので、組織的な体制づくりやシステムの構築が一向に進まない。が、しかし専門領域を超えて遍在する不定形で流動的なこの取り組みが誰にもどのジャンルにも通底するテーマを提供するとしたら、どうだろうか。それがこの取り組みのあるべき姿かもしれないのだ。事実、やさしい美術のメンバーは本学のすべての専門領域から参入している。
「流動的」を「実験的」と読み替えるならば、そのチャレンジ精神はぜひ持続していきたい。