Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 3月のアーカイブ

この1〜2週間

2011年 3月 17日

ずっとブログが書けずにいた。
3月5日、6日と福岡に滞在。九州大学総合研究棟で開催されるフォーラム「臨床するアート」にパネラーとして登壇するためだ。当フォーラムでは大阪市立大学医学部付属病院の山口悦子さん、九州大学大学院医学研究員の濱田裕子さん、そして私がそれぞれの研究テーマ、実践内容についてお話しした。私以外のお二方は医療の現場で実際に働き、実践を通して成果を重ねている研究者でもある。生命をめぐる第一線にたっておられる二人からお話をうかがって、私が「アーティストが現場に立つ」といったところで次元が全く異なるというのが身にしみてよくわかった。まさに臨床という言葉がぴったりと来る。フォーラムの詳細は後日記したい。

ドヤ=簡易宿泊所を改装したホステルに泊まる

3月11日、12日と横浜の寿町に滞在。寿町は日本の三大「ドヤ街」の一つとして知られている。私が初めて寿町を訪れたのは高校2年生の頃である。地図など見ずにぶらつき、とある通りから一歩踏み入れたとたん、町の空気が一変した。公道であるにもかかわらず通りにテーブルや椅子を出して昼間から飲んだ暮れているおっちゃんたちが闊歩している。その印象は鮮烈だった。今思い起こせばそれは寿町初体験だった。寿オルタナティブ・ネットワークが主催する寿お泊まりフォーラムで同じくパネラーとして登壇。
3月11日11:00に横浜到着。午後に首都大学東京山本薫子さんのレクチャーを受講中、地震は起きた。
私は地震の30分前から目眩に襲われ、気分がすぐれなかった。さらに目眩がと思ったら、揺れの大きさがシフトアップし、地震と気づく。とにかく揺さぶられるように大きく揺れた。そこに居合わせた人々の表情は恐怖に歪んだ。その後、公園に避難したのちも大きな余震があり所狭しと密集するドヤ街のビル群がゆさゆさと揺れているのを見た。地面がこれほどまでに心許ないものと感じることはなかった。
横浜でさえ、である。震源地周辺の地域では大変なことが起きているという予感がよぎった。寿お泊まりフォーラムの詳細も後日に記すことにする。

翌日12日、下り方面の交通網が回復してすぐ、18:00ごろ横浜を足早に発つ。すでに電源確保の問題が取りざたされていたので、これ以上無駄な滞在は迷惑になるのではと判断した。夜中名古屋に自宅に戻ると川の字になって熟睡する妻と二人の我が子。起こさないようにそっと髪と頬にふれる。

ハンセン病を正しく理解するため、副園長がレクチャーを開講

13日7:30の新幹線に乗り込み、一路大島へ。地震の直後、大島入りしているカフェスタッフの井木、泉には連絡を入れていた。瀬戸内のハンセン病療養所大島は大きく揺れることもなく、津波の影響も微細で心配はないようだ。12日から一般公開しているため、諸々のディレクションとギャラリー15の展示替えのため大島で滞在。

16日に名古屋に帰ってくる。東北関東大地震の関連でいくつかの心配が心の内を支配するなか、何かできることはないか、ずっと考え続けていた。やさしい美術プロジェクトのメーリングリストではメンバーそれぞれの「できること」の声が行き交っている。こういう局面ではアーティストとして何ができるのか、作品がどのような力を持ちうるのかということよりも、自分がまずできることを見つめることが足下に立ち現れる。それがアートであるかどうかは、もはやあまり意味を成さない。ましてやアートでなければならない理由はどこにもない。

大島会館でオープンした「出張シヨル」は大好評

年度末のいそがしさ

2011年 3月 8日

2月25日は足助病院で今年度最後の研究会を行う。小牧市民病院は2月から3月にかけて3人のアーティストの作品搬入が続く。講演会やプロジェクト運営のための細かい打ち合わせ、小さなトラブルが毎日ひっきりなしに続く。
いつもこの時期はそうだ。学生は春休みで授業はないが、私にとっては一番忙しい時期。

3月18日のちよだワークショップのための準備作業。物質感のある絵の具を作っている

えんがわ画廊に展示した川島の作品。大島で撮影した島々の写真がオリジナルの小さなフレームに詰まっている。

古川の透過絵画の新作。天窓から日が射したときを見てみたい。

やさしさの距離感

2011年 3月 1日

一般論、常識的で、不特定多数の人に受け入れられる「やさしい」という感じ。
言葉をかえると「癒される」感じのこととも重なる。
ハーフトーン、曲線、暖色系、クジラ、小鳥、子ども、笑顔…。
一方でその人と一対一で向き合った時の「やさしさ」。「ばかやろう!」「何くさってんだ。」「またくるぞ。」なんて素っ気ない言葉になる時もある。心をこめて正反対の行動に出ることもある。その人だけが受け取ることのできる感情の塊。このような様子を端から見れば「なんてひどいヤツだ」「やさしさの微塵もない」と揶揄されるだろう。でも、その人との間にだけ成立する言葉、眼差し、素振りは実際に存在する。
やさしい美術の活動をしていると、この「やさしい」のかたちの有り様に揺れる。多くの人々が行き交う場所での展示があれば、たった一人の患者さんのために作品を作ることもあり得るのだ。その絶妙な距離感が私たちの感性を育んでくれる。「やさしい美術」の方法、形式はけっして規定できない―。
学生から「やさしい美術のやさしいって何ですか。」という質問があった。いろいろと言葉を尽くすが、やっぱり説明できないでいる。
アーティストの河合正嗣さんにもそういえば同じ質問をされたっけ。その時もその断片をあぶり出すことができても答えはでなかった。正嗣さんは「そんなに簡単に説明できないことですよね。」と言った。正嗣さんは答えを探し続けることが答えだと考えていたようだ。