Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 4月のアーカイブ

絵はがきワークショップ

2011年 4月 12日

一個一個つぶしていきながら、前に進む。そういうことが全くできなくなってしまった。全部がどっかりと肩に乗っかっている感じ。問題を問題のまま両手に抱えている、そんな気持ちにかられる。自分に期待するほどの力がない。情けなさが先にたつ。腹立たしい。内向きへの矛先は同じように周りにも向けられる。でも、よくよく考えればすべて自分の問題なのだ。
こういう時は「なぜ苦しいのか、何に苦しんでいるのか」を自分ではない誰かに成り代わって自分自身をスキャンするのだ。「期待しちゃだめだ」そのようなものは幻想だと言い聞かせる。でもちょっとの期待はいいのかもしれない。「完璧ではないけれど、かっこ良くもないけれど、俺にはこれができる。」それぐらいが、周りを傷つけず、自分を破滅に追い込まなくとも済む。どうせだめだ、といって何もやらない体たらくに陥らないための知恵だ。

絵はがきワークショップは問題をたくさん抱えている。多くの人にご指摘もいただいた。正しいとか誤りだとか、良いとか悪いとか、判明している、していないとか、とにかく理路整然と備えれば、関わる人は皆納得する。でもそれからスタートしてては遅いのだ。ぜったい遅い。理屈や数の原理がはたらくその前に、やるべきことはある。

午前中にポスターを仕上げ、学食の2階に絵はがきワークショップのブースキットを置きに行った。スマートではないけれど、最善をつくす。ふと、設えたブースキットを見やる。今まで関わったやさしい美術のメンバーの支える手が見えた気がした。
夕方学食2階に行くと、男子生徒2名が背中を丸くして絵はがきを描いていた。このような小さな奇跡を積み重ねよう。たくさんじゃなくてもいい。今すぐじゃなくたっていい。

絵はがきを描く

今週は新規メンバーを集めるために毎日活動説明会を行っている

大島 メモリアル公園?!

2011年 4月 10日

7:30の新幹線に乗り込み高松へ。10:25 高松駅着。
11:00の官用船に乗船。もやがかっているけれど、春らしく晴がましい日だ。高松の桜は散りはじめている。この分だと大島の桜はちょうど満開かその少し手前だろう。大島は海風が冷たく、ちょっとだけ開花が遅いのだ。桟橋で栄養課の職員さんと会う。いつも私たちの取り組みを温かく見守ってくれている。
官用船から見える屋島は全体が萌葱色で桜がまだら模様を描いている。いつもは重々しく見える屋島もふわりと軽く感じられる。
大島は松の緑が深い濃淡、山の方には少しだけ桜が咲いている。そして差し色のようにあざやかなピンクは山ツツジだ。今はそこここに桜の木が植えられているが、その昔職員地区にしか植えられていない桜の木。入所者はせめてお花見だけでもと願ってもけっして見ることが許されなかった。その代わりに山ツツジで花見をしたのだそうだ。
カフェ・シヨルに行くと泉と井木がいそがしくしている。そしてお手伝いには香川県庁の今瀧さんが入ってくれている。大島の担当から異動になっても、休日は大島の取り組みを支援してくれている。元アートフロントギャラリーの大島担当高坂さんもシヨルでゆっくりとランチ、副園長さんもリラックス、うーん、自然すぎる。
GALLERY15に行く。長屋の一般寮が8寮、(9寮は更地)10寮、11寮(野村ハウス)、12寮と軒を連ねる「北海道」地区。その突き当たりにあるのが15寮を活用したGALLERY15だ。12寮を横切ると視界がぱっと開ける。そこでいつも目にする光景は更地に設えられた解剖台、その向こうに15寮がたたずんでいるはずだ。しかし今日は違った。手前には藤棚のためのテラスが組まれ、植栽が殺伐としていた更地にリズムを与えている。先月の時点で藤棚はできていたが、植栽が加わり、さらにレンガで大きくカーブを描いた道ができていた。この光景どこかで見たような…。そうだ、私が描いたスケッチだ。そのスケッチを参考にしているのが手に取るようにわかる。植栽をつぶさに見て行く。ついこの間まで鉢に入っていたものと分かる草花や盆栽が新たに植えられている。入所者の皆さんが大事に育ててきたものだ。13、14寮が建っていた更地はまるでメモリアルな公園に様変わりしつつある。藤棚は3年後の芸術祭を見越したものだ。暑い夏、大島にやってきた人々を藤棚の日陰が迎える。大島は未来を見ている。
私が何よりもうれしいのは、こうした動きが入所者の皆さん側から出てきたことだ。人を迎え入れる気持ちをこれらの植栽や藤棚が表現している。
私はあまりにもうれしくて、新しく作られた藤棚の元でお弁当をほおばる。どうだ、一番乗りだ!近い将来、藤の蔓が伸び、棚が藤の花でいっぱいになった時、入所者の皆さん全員をお迎えしたい。そしてここでお花見の宴会をしたい―。
荷物の整理と所蔵している様々な日用品を整理したあと、カフェ・シヨルに立ち寄る。お客さんが多いときは私は入らないようにしているのだが、今日は客足がゆっくりのんびり、私もお茶を楽しむことにする。入所者の皆さんもご友人を誘ってカフェでコーヒーやランチを楽しんでいる。夢のような時間が流れて行く。
そこへ入所者の脇林さんがご来店。一緒にテーブルを囲む。こえび隊の小坂くんも一緒だ。小坂くんは自身の研究のため多くの入所者の皆さんにインタビューし、歴史的な資料にも精通している。脇林さんが語るこれまでの歩みにじっと耳を傾けている。
もっと長く滞在したかったのだが、今日の大島はここまで。
一路名古屋へ。

新幹線の中で被災地に送る絵はがきを制作


大島が恋しい

2011年 4月 9日

今日は大切な大学の新入生研修行事があり、東別院に行く。目眩と吐き気で何もできない。少し調子が戻り、このブログを書く。
今日明日と瀬戸内の大島の一般公開だ。そして今日はカフェ・シヨル主導で「桜とよもぎ祭」を行っている。カフェ運営担当の泉と井木が私が不在の間も大島とその外とをつないでくれている。支援をしてくれているこえびネットワークの存在、瀬戸内の島々の魅力を発信するNPOアーキペラゴなど、たくさんの人々の応援があってこそ、私たちの取り組みが成り立っている。この取り組みを積み重ね、続けて行くこと。そのことによって、今直面している日本の厳しい状況を乗り越えて行く活力の一端を担えればと思う。
現像が仕上がったフィルムに目を通す。元気になる写真がいくつか撮れた。
ちょっとだけ、紹介。

森の光

GALLERY15の前には藤棚が設えられた。入所者の野村さんの盆栽も鉢から解放されて藤棚に蔓を伸ばし、一般来場者を迎える。

朝の大島から東を望む

どばっっ!!(発達センターちよだでのワークショップにて)

天岩戸の奥の山で見かけた鳥居

Morigamiで被災地にも森を

2011年 4月 8日

今日、森をつくる折り紙Morigami(もりがみ)をデザインした谷崎由起子さんとメールで連絡を取り合った。
東日本大震災の被災地へ絵はがきを届けようと知恵をしぼっているところだが、なかなか数が集まらない。焦らずじっくりとやっていこう。
絵はがきがぞくぞくというほど集まらないのはいくつか理由があると思うが、その一つは葉がきに絵や文章を交えてメッセージを吹き込むこと自体少し荷が重いのかもしれない。
絵はがきを届けるプランと平行してこちらも進めている。それはMorigamiを被災地用につくること。Morigamiに患者さん自身の心の内を吐露したり、患者さんを励ますメッセージを書き込む方が多くいた。もともと作品の意図するところではなかったのだが、単なる折り紙の木にいのちを吹き込むようで観る人の共感をさそった。被災地に届けるバージョンはプリント色を抑えて書き込んだメッセージが惹き立つようにする。これならば比較的ライトに制作することが可能だし、たくさんのメッセージを集めることができそうだ。被災地を支える人々にMorigamiを折ってもらい、それぞれの念いを書き込んでいただく。被災地でもMorigamiを折ってもらい、被災地とそれを支援する人々とで折り紙の森を育んで行く。これまで、小牧市民病院に始まり、足助病院、十日町病院、青松園とMorigamiはたくさんの人の手で広がってきた。今度は被災地で森を育もう。

絵はがきワークショップの始まり 2006年十日町病院で実施

小牧市民病院で2008年から続けているMorigami

絵はがきワークショップキットは 各自で

2011年 4月 5日

今週末は大島での一般公開。カフェ・シヨルの運営メンバー泉と井木がすでに大島入りし、仕込みを順調に進めてくれている。
今日、青松園の事務長さんから電話があった。私が多くのこと手が回らないなかで、「検討会、やりましょう。日程ご提案ください。」と気を配っていただいた。大島の取り組みは持続的に進めて行く体制ができつつある。
さて、午後にデザイナーの柳智賢さんに会い、絵はがきワークショップについて相談した。絵はがきに被災地を支える気持ちを描き、届ける企画。ただ集めるだけではなく、人々の念いをどのように届けるのか、そこがとても重要だ。すぐにでも現地に行くべきなのかもしれない。柳さんと相談しながら、いくつか良いヒントをいただいた。
1.絵はがきワークショップのブースキット(絵はがきをそこで描く設え)は、表示や主旨のポスター、ポップはwebでダウンロードできるようにして、ブースキット自体はその場所、そこにいる人で自主的に作ったらどうか。
2.支援金を募集して、新品の画材やスケッチブック、森をつくる折り紙Morigami(もりがみ)の印刷代を捻出し、現地に届ける。
3.企画書を作成し、各々の施設や場所が絵はがきのブースキットを自主的に設置し、絵はがきを集めるキャンペーンを打つ。
特に、表示やポップをダウンロードするというアイデアは秀逸。ブースキットも各家庭やコミュニティーで持ちよったもので作れば良い。設えの完成度ではなく、気心が大切だ。あれがない、これがない、では何もできない。できることから、確実に実行に移す。それがボランティア精神を支えるエネルギーなのだから。
ごたごたと文句や問題点を並べるのではなく、何かを産み出す方向に進もう。

「瓦礫」と言わないで

2011年 4月 1日

被災地で支援活動をされているあるNPOの代表者の語りがラジオに流れる。
「被災地は瓦礫でいっぱい、なんて言わないでください。塵や瓦礫じゃないんです。そこで生きてきた人たちの思い出や過ごしてきた時間が刻まれているんですから―。」
木っ端みじんに破壊された家屋、日用品、衣類、そして人々…。それを一緒くたに「瓦礫」と呼ぶにはあまりにも寂しい。原形をとどめず、断片となっても人々の暮らしの記憶をしかと宿している。現場で従事している人々はその重さをひしひしと受け止めているのだろう。人々の生きてきた証。向き合っているものがなんであるのか、まさにそこにいる当事者の言葉だと思った。

めちゃくちゃになった町にたたずんだある中年の男性がインタビューにこう答えていた。「ここが一番なんです。ここに暮らしたい。」
慣れ親しみ積年の念いが詰まった場所。すべてが流され失われてもそこに這いつくばってでも生きて行きたい。そこに暮らしてきた人だけにしかわからない心情だ。

昨日、新潟県立十日町病院に電話した。3月中に妻有の人々に会いに行こうと計画していたが、地震のため断念した。経営課の井沢さんの相変わらず快活な声に安心する。聞けば塚田院長は現在派遣医師として被災地の石巻で診療にあたっているとのこと。「こんな時だからこそ、やれることをやらなきゃね。」と井沢さんはおっしゃる。十日町は中越地震を経験している。その恐ろしさと人々の支援の温かみを知っているだけに、その念いは一入だろう。私は「絵はがきワークショップやりませんか。」と呼びかけた。2006年のこと、福井奈々恵が普段心の内を伝えることのない病院職員から残暑見舞いの絵はがきを患者さんに届けるワークショップを実施した。集まった絵はがきは300枚。275床のすべての患者さんのベッドサイドへ絵はがきを提供した。その後やさしい美術プロジェクトの活動に刺激されて十日町病院の職員らが院内のアートに取り組む「ミナーレ」(妻有弁で見てくださいの意)を立ち上げた。 今度は被災地に向けてメッセージをおくりたい。