Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 4月 10日のアーカイブ

大島 メモリアル公園?!

2011年 4月 10日

7:30の新幹線に乗り込み高松へ。10:25 高松駅着。
11:00の官用船に乗船。もやがかっているけれど、春らしく晴がましい日だ。高松の桜は散りはじめている。この分だと大島の桜はちょうど満開かその少し手前だろう。大島は海風が冷たく、ちょっとだけ開花が遅いのだ。桟橋で栄養課の職員さんと会う。いつも私たちの取り組みを温かく見守ってくれている。
官用船から見える屋島は全体が萌葱色で桜がまだら模様を描いている。いつもは重々しく見える屋島もふわりと軽く感じられる。
大島は松の緑が深い濃淡、山の方には少しだけ桜が咲いている。そして差し色のようにあざやかなピンクは山ツツジだ。今はそこここに桜の木が植えられているが、その昔職員地区にしか植えられていない桜の木。入所者はせめてお花見だけでもと願ってもけっして見ることが許されなかった。その代わりに山ツツジで花見をしたのだそうだ。
カフェ・シヨルに行くと泉と井木がいそがしくしている。そしてお手伝いには香川県庁の今瀧さんが入ってくれている。大島の担当から異動になっても、休日は大島の取り組みを支援してくれている。元アートフロントギャラリーの大島担当高坂さんもシヨルでゆっくりとランチ、副園長さんもリラックス、うーん、自然すぎる。
GALLERY15に行く。長屋の一般寮が8寮、(9寮は更地)10寮、11寮(野村ハウス)、12寮と軒を連ねる「北海道」地区。その突き当たりにあるのが15寮を活用したGALLERY15だ。12寮を横切ると視界がぱっと開ける。そこでいつも目にする光景は更地に設えられた解剖台、その向こうに15寮がたたずんでいるはずだ。しかし今日は違った。手前には藤棚のためのテラスが組まれ、植栽が殺伐としていた更地にリズムを与えている。先月の時点で藤棚はできていたが、植栽が加わり、さらにレンガで大きくカーブを描いた道ができていた。この光景どこかで見たような…。そうだ、私が描いたスケッチだ。そのスケッチを参考にしているのが手に取るようにわかる。植栽をつぶさに見て行く。ついこの間まで鉢に入っていたものと分かる草花や盆栽が新たに植えられている。入所者の皆さんが大事に育ててきたものだ。13、14寮が建っていた更地はまるでメモリアルな公園に様変わりしつつある。藤棚は3年後の芸術祭を見越したものだ。暑い夏、大島にやってきた人々を藤棚の日陰が迎える。大島は未来を見ている。
私が何よりもうれしいのは、こうした動きが入所者の皆さん側から出てきたことだ。人を迎え入れる気持ちをこれらの植栽や藤棚が表現している。
私はあまりにもうれしくて、新しく作られた藤棚の元でお弁当をほおばる。どうだ、一番乗りだ!近い将来、藤の蔓が伸び、棚が藤の花でいっぱいになった時、入所者の皆さん全員をお迎えしたい。そしてここでお花見の宴会をしたい―。
荷物の整理と所蔵している様々な日用品を整理したあと、カフェ・シヨルに立ち寄る。お客さんが多いときは私は入らないようにしているのだが、今日は客足がゆっくりのんびり、私もお茶を楽しむことにする。入所者の皆さんもご友人を誘ってカフェでコーヒーやランチを楽しんでいる。夢のような時間が流れて行く。
そこへ入所者の脇林さんがご来店。一緒にテーブルを囲む。こえび隊の小坂くんも一緒だ。小坂くんは自身の研究のため多くの入所者の皆さんにインタビューし、歴史的な資料にも精通している。脇林さんが語るこれまでの歩みにじっと耳を傾けている。
もっと長く滞在したかったのだが、今日の大島はここまで。
一路名古屋へ。

新幹線の中で被災地に送る絵はがきを制作