Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 5月のアーカイブ

支援の支援

2011年 5月 11日

表札ワークショップの文字データ制作の仕事量は膨大だ。呼びかけに応じた10名ほどの学生らが授業の合間、授業後にプロジェクトルームにやってくる。高い集中度。データの作成、準備作業に余念がない。
今回の七ヶ浜町行きでネックになっていた、レンタカーの運転手問題はぎりぎりのところで解決。なんと、現在石巻でボランティア活動をしている卒業生の丸山が、同行の意志を連絡してきたのだ。12日には名古屋に帰ってくるという。翌日にとんぼ返りとなるが、臆せず願い出てくれた。彼はいつもピンチの時に助けてくれる。私が一人で運転する場合、学生を連れて行くことを断念せざるを得ないと考えていた。当地はそれほど遠いのだ。すぐにレンタカーを手配。学長にも連絡してこの七ヶ浜町の取り組みを正式なやさしい美術の活動の一つに組み込むことにした。事態は待ってくれない。そこに関わって行くには、考える前に行動すること。支援活動する私たちに支援の手を差し伸べてくれる人々がいる。支援の支援。人々の念いを胸に、前に進む。

準備作業 ちよだと七ヶ浜町

2011年 5月 10日

私が担当するアートプロデュース3年次の学生が中心となって今週末13日(金)に実施するワークショップの準備が進む。まずは子どもたちと仲良くなることに比重を置いて計画しているワークショップの内容は「ボールを転がして絵を描こう」を発展させたもの。材料は同じでも発想は新しい。子どもたちの障害は昨年までの子どもたちとは異なるし、昨年までの事例にあまりこだわるべきではない。
一方、こちらも同じく13日(金)から出発予定の宮城県七ヶ浜町行き。どちらも大切だが、ちよだのワークショップはある程度見通しが立つところから、学生とスタッフ、お世話になっている講師の皆さんに委ねることにした。七ヶ浜町のワークショップは現地で津波に流されてしまったお宅の土台の木を用いて表札を制作する。七ヶ浜町の中高生が制作を担当。ワークショップの段取りや仕上げの方向性、画材の調達、ワークショップの進行を私たちやさしい美術プロジェクトが行う。14日(土)と15日(日)二日間で115世帯の表札を制作するが、名簿のデータのやりとりが様々な不具合でうまくいかない。それらの名簿を元に板にトレースダウンする表札の文字をあらかじめ作っておくのだ。画材は島本画材さんに提供をお願いした。快く筆、絵の具、筆洗などを無料提供していただいた。画材の提供をメールなどでやさしい美術メンバー、卒業生らに呼びかける。

ぬくもりの里 新たな船出

2011年 5月 9日

宮城県から香川県まで、相変わらず移動距離が伸びる日々が続く。震災支援「ひかりはがき」のサポートをしてくださった方々にご報告しなければならないが、その時間も許されない慌ただしさ。授業を終え、すぐに大学を出る。今年度から新しく取り組みを展開する「ぬくもりの里」へ打ち合わせに出かける。ぬくもりの里は山間部である豊田市旭町にある老人福祉センターだ。青木所長の根強いお誘いがあり、今年度からスタートさせることになった。どんな取り組みも助走が必要だ。今年に関しては準備および調査にあて、来年度から予算をつけていただき、本格的な取り組みを展開する運びだ。
17:30 ぬくもりの里に到着。青木所長と社協の永井係長とじっくりと話し合う。時折開いている窓からひんやりとした風が頬をなでる。山の空気だ。社会福祉協議会の方にもこうした準備の段階で入っていただけるのは、正直驚き、そしてうれしく思った。50名に満たない職員で運営している当施設にとって、アートの取り組みを取り入れるにはよほどの理解と全員参加による組織力が不可欠。それを見越していることがこうした姿勢によって伝わってくる。旭町は山深いところだ。お年寄りが多く、一人暮らしの方も多いと聞く。世間の目はとかく都市部に向けられるが、やもすれば顧みられることのない当地のような場所こそ、心の通った仕組みづくりが試みられなければならない。やさしい美術の出番である。
7月から定例の研究会を開くことになった。研究会の構成員にはぬくもりの里の職員ばかりでなく、地域の要人にも参加を呼びかけるという。助走段階ではあるが、意気込みは本番さながらである。このブログでは正式に決まったことのみ載せることになるが、その勢いはその都度報告していきたい。

大島 畑仕事

2011年 5月 8日

最近は大島に滞在する時間が短くなってしまった。なおかつ滞在する間は取材に応じたり、事務的な仕事でほとんどの時間が取られてしまう。とは言ってもどれもディレクターとしては大切な務めだ。大島のことをできるだけ多くの人に知ってもらい、気に留めてもらう。そのためにはどんなことも積み重ね、誠実に向き合って行かねば。

昨日大島に入る時はまた嵐になるのではと心配していた。というのも、ここのところ私が大島に立ち寄る度に大しけになるのだ。官用船の船長にも冗談まじりに言われたことがある。いよいよ金比羅山を参拝しなければと思っていたところ。
今朝の大島から見る海は金色だ。黄砂の影響は名古屋だけではない。ここ瀬戸内も黄砂の靄に包まれている。カフェ・シヨルの運営担当泉と井木は朝早くからカフェのある第二面会人宿泊所で開店前の準備に追われる。私は少し遅れて滞在場所の野村ハウス=12寮を出ると、軒先で入所者の野村春美さんと出会う。ゆったりと世間話をしていると旦那さんの宏さんが自転車でやってきた。そのまま一緒に畑仕事をすることになった。トマトの木が花をつけている。トマトに添え木をして紐で結びつける。ハンセン病の後遺症で手が不自由な入所者の皆さんにとって骨の折れる仕事である。すいか、ごうや、ぼっちゃんかぼちゃなどが順調に枝を伸ばしている。昨年はあまり芳しくなかったごうやが快調に蔓を絡ませつつ成長。野菜作りは今を大切に感じ、明日を見つめる営みだと思う。野村さん夫婦はこの大島で60年もこの営みを繰り返してきた。歳月の重みはあっても、野菜は60年前と違わず、今この時を生き、来るべき明日に実を成らせる。野村さんと畑仕事をして身も心もほぐれていく。

野村さんと畑仕事をする

土を松葉で覆う、大島独特の農法

昨年実ったおくらの花の種をまく

足助病院 感じたことからコツコツと

2011年 5月 6日

ある患者さんが大事にしていた詩集

毎年恒例の足助病院訪問見学会。病院が立地する地域を訪ね、入院している病院利用者を対象にインタビューを行う。
9:00 春日井駅集合。遅刻者はなし。体調不良で二人が欠席。私の自家用車とレンタカーの2台で足助町へ向かう。
この数年は足助の町並みを歩いてきた。宿場町の面影を色濃く残し、うなぎの寝床のような長い蔵は町に独特の景観を与えている。ふと、今年は足助城に行ってみたくなった。足助の町から足を伸ばして車で10分。車で走るには躊躇するほどの急斜面を行く。足助城から見た足助の町並みは箱庭のように儚い。
足助城を見学した後は下界に降りて足助の町並みを歩く。町一番の高台にあるお寺から町を俯瞰する。山上とは異なる趣。ふと目眩がする。林立する建物を見ていると、被災した七ヶ浜町の光景がフラッシュバックする。いかなる存在も一瞬にして藻屑となることがこの自然界では、ある。いつも見ていた風景はいつもの風景ではないように思えた。今目の前に存在しているこの光景を驚きと感謝をもって迎えたい。
14:00 足助病院に入る。今年度から新病院建設のため、工事が始まっているが、まだ大きな変化はない。
14:30 それぞれ2〜3名ごとに分かれたチームが病棟に散っていく。今年は病院サイドの計らいで全病棟に通していただけることになった。ここ数年はA棟2階とB棟の1、2階に限られていたが、今年はA病棟3階でもお話をうかがうことができた。初めて足助病院を訪れたメンバーは緊張で表情がこわばってしまっている。無理もない。初対面でお話しするのでさえ、構えてしまうのが普通の反応だ。さらに病室はプライベートな空間。寝室にどかどかと乗り込んで行くようなうしろめたさが首をもたげる。それでも、私たちはベッドの傍らに行くことを止めない。
インタビューを続ける。家族でもない、医療従事者でもない私たちに、家族にも話したことがないことを語ってくれたり、耐えられない苦痛を吐露する方もいる。寝食を共にし、我慢しあっている人同士では話せないことがあるのだ。過去の記憶を話す方もいる。お年寄りの多い病院では人生の振り返りの機会にもなっている。鮮明な記憶をたどる人々の表情は明るい。一方私たちやさしい美術のほうは、入院している病院利用者と接することで、湧き出てくる自分自身の感情と向き合う。未解決な課題が感情と相まって自分に向かって押し寄せてくる。実際のところ、整理のつかない感覚を私たちは持ち帰ることになる。その感覚を忘れてしまわないうちに、記録しておいてほしい。心のどこにも位置づけることのできないそれを、放置しないでほしい。そこには自分が取り組むべきことの源泉が眠っている。

表札試作品

2011年 5月 4日

NPOレスキューストックヤード主催で行う、宮城県七ヶ浜町の仮設住宅に設置する表札プロジェクト。名古屋に帰ってきて早々に試作品制作。というのも、明後日の住民説明会でプロジェクトの概要を避難所で説明するからだ。
制作はひかりに満ちている。七ヶ浜で長年暮らしてきたお宅の土台の木を丁寧に加工する。その役割を担うのは重い責任を伴うが、光栄極まりないことだから。午前に制作し、午後に発送。

七ヶ浜 一体になれる

2011年 5月 3日

Wさんが見せてくれた50年ほど前の七ヶ浜

朝、ボランティア「きずな館」を出て、隣接する避難所の中央公民館の前を通ると、外の水道で顔を洗う大工のWさんとばったりと再会。昨日の表札制作を手伝っていただいたお礼を言うと柔らかい笑顔が返ってきた。奥さまも私の姿を見つけて避難所から出てきてくれた。「また13日から来ますから、それまでよろしくお願いします。」
ボランティアのメンバー同士、話が尽きない。七ヶ浜に来て、目的を一つに、現地で協働した仲間のきずなは、七ヶ浜という場所とそこに暮らす人々がつなげてくれたのだ。お互いを讃え、再会を誓う。
8:00 バスに乗り込み名古屋へ。昨日表札の試作を制作するため裁断した木材を眺めながら。
地震の被害を受けた地域からさほど被害を受けなかった地域へとバスは進む。あるところを区切りに田植えをしたばかりの田圃の風景が現れる。緑の色彩の意味を強く感じた。
七ヶ浜。また会いましょう。






七ヶ浜 血と肉

2011年 5月 2日

4:30 起床。昨日にひきつづき菖蒲田浜を歩く。遠くから波の音が聞こえる。街がひとつ、まるごと、根こそぎになくなってしまった。その光景を前に大いなる自然を感じる。波が押し寄せる音は名状し難い残響をあたりに届ける。
5:30 日が昇り少し経った頃、泥土から一羽のヒバリがさえずりながら飛び立つのを見た。生きとし生けるものをすべて流し去ったあとも、季節はめぐり、かわらず新しいいのちが芽生える。その力強さに圧倒される。きっと、私はもう一度ここにやってくる。どこまでも高度を上げていくヒバリの姿を追いながら思う。
今日の炊き出しは250人分のカレー。例のごとく食材をひたすら刻む。ご飯にカレーをかけてふるまう。付け出しでフルーツも加える。予想の2倍も3倍もご飯が出る。カレーのおいしさの指標はおかわりの数であり、ご飯の量だ。
午後は国際村で足湯を実施する。私たちのチームは毎日反省点を分析し、それを反映させている。椅子の位置やお湯の調整方法、話題作りの工夫などを改善してきた。今日もいくつか方法に改善を加えているが、それにも増してチームの経験値と対応能力があがっていることが一番大きい。昨晩足湯のスタンプカードをつくった。リピーターを把握し、心の動きの推移を丁寧に見ていく工夫だ。それをたった一晩で作ってしまった。何と言う機動力―。
国際村に何気なく挨拶して入って行くと、挨拶が返ってきた。ほんのひとときの出会いにも関わらず私たちの顔を憶えてくれているのだ。緊張 が解けて、会話もはずむ。「ひかりはがき」は好評だ。ここ国際村ではファイルを見てもらい、気に入ったものを持って帰っていただいた。
昨日はボランティアの我が足湯チームが模造紙に「ひかりはがき」を貼り出してくれた。手があいていれば、だれでもすぐに手伝ってくれる。協働のよろこびを身を以て知っている人々。やさしい美術プロジェクトもこのような姿勢に学ぶべきことがたくさんある。メンバー全員でこの地を踏み、皆協働でお手伝いをしたら、さぞ鍛えられることだろう!避難所では掲示物に関して一応の許可申請が必要だ。ボランティア事務局のスタッフが話をとりつけ、今日からもう一つの避難所中央公民館で掲示されているはずだ。
足湯を終えてボランティア「きずな館」に戻ってくる。
「きずな館」2階で足湯の反省会を終えたところに、レスキューストックヤードの事務局浦野さんが私を呼びにきた。急いで1階に降りると避難所生活をしているお二方が先に席についておられた。NPOレスキューストックヤードの浦野さんを中心に発案された「表札プロジェクト」(仮)のミーティングに誘われたのだ。「ひかりはがき」はすぐに事務局の方々の目に留まった。そこから私がアーティストであることが判明、表札の制作と現地中高生のワークショップを受け持つことになった。
避難所生活を強いられている約500世帯の人々は7月までに順次仮設住宅に入居していく。仮設住宅の作りはすべて同じ、特徴ある表札があれば目印になる。いつか復興が実現したとき思い出のオブジェとして手元に残るものになるかもしれない。素晴らしい発想だ。押し流され粉砕されたご自宅の一部(木材など)を表札の素材に活用する。さらに思い出の品々や職業を示す道具類などでデコレーションすることを提案した。単なる表札ではない。記憶を纏う表札だ。
Wさんは避難所の世話役をしている。もちろん被災した方の一人で、ご自宅もご実家もすべて流されてしまった。門構えだけが残っているという。旦那さんは大工さん。仕事に必要な工具類を載せたワゴンだけが残る。
Kさんも同じく街の大工さんだった。大事に使ってきた道具類を含めたご自宅は根こそぎなくなってしまった。
Mくんは地元ボランティア。震災直後から休みなくボランティア作業に従事しているという。表札の木材切り出しや製材の進行を担当してもらうことになった。
17:30 レスキューストックヤード事務局の石井さんの運転で、Kさんのご自宅に行く。菖蒲田浜を目前に控えた素晴らしいロケーション。家は流されてしまい土台と基礎のみが残った。かつてKさんが使っていた陶器類、道具を集める。どれも濃密な記憶をとどめているものばかりだ。そして、土台の木材をはずす。土台の木は重い。そして美しい。まるで家の血肉を取り出しているかのようだ。当初はサッカーグラウンド横に借りに積み置かれているガレキから使用にたえる木材を取り出す予定だったが、許可がいただけるお宅から一部を活用することになった。
「きずな館」に戻ってくるとWさんの旦那さんが仕事から帰ってきていた。皆さん気さくな方ばかりだ。Kさん宅の土台の木材を私が指定した通りにきれいに製材していただく。大まかな構成を決めたが、ここには画材がない。名古屋に持ち帰り、試作品を2点制作することにした。Kさん、Wさんお二人の大工さんが嫌な顔ひとつせず、私たちの提案に乗っていただいたのは、その主旨を理解していただいているからだろう。Wさんがいくつか全壊した家屋の主と役場に許可申請して、土台の木を余すことなく活用できるよう手配していただけることになった。私はこの七ヶ浜の血と肉である、土台の木を両手に携えながら、決意を新たにした。

七ヶ浜 祈り

2011年 5月 1日

朝4:50 起床。小雨の中、菖蒲田浜に向かう。私たちが滞在する中央公民館近く、仮設のボランティア拠点「きずな館」は小高い丘の上にあり、津波はそこまでは押し寄せてこなかった。台地の敷地内には無数の杭が穿たれ、仮設住宅の建設が急ピッチで進められている。その小高い丘を東へ5分ほど歩き、さらに急斜面を降りて行くと、木々の間から菖蒲田浜の街の全景が現れる。足が一瞬すくむ。
景観全体がローシェンナに染まっている。足下に目を移す。田畑の土と海砂がシェイクされてできたぬかるみに足をとられる。行ってみればわかることだ。私の目の前にあるものはけっしてガレキではない。点在する車、家の屋根、柱の一部、枝に架かる衣服…極限まで粉砕しつくされた人々の暮らし、営み、そして思い出…それらが混沌と折り重なっている。ひとつ一つの断片を注視してみるが、どうにも焦点が定まらない。水平垂直を示す、建造物はここには存在しない。寄りかかるものがないのだ。津波が襲った瞬間、ここは、生きている者たちが存在できない場所となった。このような景色がある、ということを私は初めて知った。手を合わせながらカメラのシャッターをきる。
朝食は前日の夕食の残りをボランティアチーム全員で分け合って食べる。食器にサランラップを巻いて食べている人もいるが、水道はなんとか安定して供給されているので、使用した食器も洗うことができる。
私たち足湯および炊き出しチームは11人。午前中は250人分の豚汁の炊き出しを行い、午後は足湯を実施することになった。昨日は国際村で実施した足湯は私たちが滞在する「きずな館」のすぐとなりにある中央公民館で行う。
膨大な食材を刻む。にんじん、だいこん、白菜、豚肉、ごぼう、じゃがいも
大鍋に刻んだ食材をなげこみ、石油バーナーで沸かす。湯気が背丈を越えるほどに立ち上り、鍋を囲む仲間たちの顔が見えない。
お昼になり、できあがった豚汁とご飯を手渡して行く。皆で一生懸命作った豚汁が飛ぶように出て行く。あたたかい食べ物を分け合って食べる。それが美味しい、楽しい、うれしい。いたってシンプルだ。
さて、炊き出しを片付けながら、足湯の設えに必要な道具類をリヤカーに積んで運ぶ。避難所の入り口にガスボンベと鍋を構え、足湯を呼びかける。昨日と同じように、「ひかりはがき」も手渡して行く。今日は私が所属しているボランティアチームのアイデアで、段ボールに野菜をくるむための梱包材の一部を貼付け、そこへさらに「ひかりはがき」を貼付して展示することにした。ファイルをめくりながら選ぶのとは異なり、他のはがきと比較しやすいのに加えて賑やかな雰囲気も演出できる。試してみてわかったのだが、立てかけるよりも床面に置いた方が効果的のようだ。壁面への掲示があまりにも雑多で埋もれてしまうのに対して、床に並んでいると思わず皆しゃがみ込んで見たくなるようなのだ。ボランティアチームの10名も時間を持て余している方を見つけては、「ひかりはがき」を綴じこんだファイルを見せてくれている。本当に持ってきて良かった。そして、このチームで足湯をやって良かった。はがきを描いてくれた皆さんの声が当地でじわりじわりと浸透していく。
私が足湯を施した方のなかに漁師さんがいた。その方は寡黙でほとんど言葉を交わすことはなかった。無骨で大きな手。マッサージをゆったりとしたペースで施していく。いくつもの怪我の跡が手に刻まれ、労働の厳しさを見て取ることができる。掌は大きなRを描いてくぼんでいて、人柄の大きさ、あたたかさを感じる。私はその方の掌と菖蒲田浜の情景を重ねていた。きっと美しかっただろう浜とその街。その美しい姿を私はいつか見てみたい。祈り、目を閉じる。