Nobuyuki Takahashi’s blog

2011年 5月 2日のアーカイブ

七ヶ浜 血と肉

2011年 5月 2日

4:30 起床。昨日にひきつづき菖蒲田浜を歩く。遠くから波の音が聞こえる。街がひとつ、まるごと、根こそぎになくなってしまった。その光景を前に大いなる自然を感じる。波が押し寄せる音は名状し難い残響をあたりに届ける。
5:30 日が昇り少し経った頃、泥土から一羽のヒバリがさえずりながら飛び立つのを見た。生きとし生けるものをすべて流し去ったあとも、季節はめぐり、かわらず新しいいのちが芽生える。その力強さに圧倒される。きっと、私はもう一度ここにやってくる。どこまでも高度を上げていくヒバリの姿を追いながら思う。
今日の炊き出しは250人分のカレー。例のごとく食材をひたすら刻む。ご飯にカレーをかけてふるまう。付け出しでフルーツも加える。予想の2倍も3倍もご飯が出る。カレーのおいしさの指標はおかわりの数であり、ご飯の量だ。
午後は国際村で足湯を実施する。私たちのチームは毎日反省点を分析し、それを反映させている。椅子の位置やお湯の調整方法、話題作りの工夫などを改善してきた。今日もいくつか方法に改善を加えているが、それにも増してチームの経験値と対応能力があがっていることが一番大きい。昨晩足湯のスタンプカードをつくった。リピーターを把握し、心の動きの推移を丁寧に見ていく工夫だ。それをたった一晩で作ってしまった。何と言う機動力―。
国際村に何気なく挨拶して入って行くと、挨拶が返ってきた。ほんのひとときの出会いにも関わらず私たちの顔を憶えてくれているのだ。緊張 が解けて、会話もはずむ。「ひかりはがき」は好評だ。ここ国際村ではファイルを見てもらい、気に入ったものを持って帰っていただいた。
昨日はボランティアの我が足湯チームが模造紙に「ひかりはがき」を貼り出してくれた。手があいていれば、だれでもすぐに手伝ってくれる。協働のよろこびを身を以て知っている人々。やさしい美術プロジェクトもこのような姿勢に学ぶべきことがたくさんある。メンバー全員でこの地を踏み、皆協働でお手伝いをしたら、さぞ鍛えられることだろう!避難所では掲示物に関して一応の許可申請が必要だ。ボランティア事務局のスタッフが話をとりつけ、今日からもう一つの避難所中央公民館で掲示されているはずだ。
足湯を終えてボランティア「きずな館」に戻ってくる。
「きずな館」2階で足湯の反省会を終えたところに、レスキューストックヤードの事務局浦野さんが私を呼びにきた。急いで1階に降りると避難所生活をしているお二方が先に席についておられた。NPOレスキューストックヤードの浦野さんを中心に発案された「表札プロジェクト」(仮)のミーティングに誘われたのだ。「ひかりはがき」はすぐに事務局の方々の目に留まった。そこから私がアーティストであることが判明、表札の制作と現地中高生のワークショップを受け持つことになった。
避難所生活を強いられている約500世帯の人々は7月までに順次仮設住宅に入居していく。仮設住宅の作りはすべて同じ、特徴ある表札があれば目印になる。いつか復興が実現したとき思い出のオブジェとして手元に残るものになるかもしれない。素晴らしい発想だ。押し流され粉砕されたご自宅の一部(木材など)を表札の素材に活用する。さらに思い出の品々や職業を示す道具類などでデコレーションすることを提案した。単なる表札ではない。記憶を纏う表札だ。
Wさんは避難所の世話役をしている。もちろん被災した方の一人で、ご自宅もご実家もすべて流されてしまった。門構えだけが残っているという。旦那さんは大工さん。仕事に必要な工具類を載せたワゴンだけが残る。
Kさんも同じく街の大工さんだった。大事に使ってきた道具類を含めたご自宅は根こそぎなくなってしまった。
Mくんは地元ボランティア。震災直後から休みなくボランティア作業に従事しているという。表札の木材切り出しや製材の進行を担当してもらうことになった。
17:30 レスキューストックヤード事務局の石井さんの運転で、Kさんのご自宅に行く。菖蒲田浜を目前に控えた素晴らしいロケーション。家は流されてしまい土台と基礎のみが残った。かつてKさんが使っていた陶器類、道具を集める。どれも濃密な記憶をとどめているものばかりだ。そして、土台の木材をはずす。土台の木は重い。そして美しい。まるで家の血肉を取り出しているかのようだ。当初はサッカーグラウンド横に借りに積み置かれているガレキから使用にたえる木材を取り出す予定だったが、許可がいただけるお宅から一部を活用することになった。
「きずな館」に戻ってくるとWさんの旦那さんが仕事から帰ってきていた。皆さん気さくな方ばかりだ。Kさん宅の土台の木材を私が指定した通りにきれいに製材していただく。大まかな構成を決めたが、ここには画材がない。名古屋に持ち帰り、試作品を2点制作することにした。Kさん、Wさんお二人の大工さんが嫌な顔ひとつせず、私たちの提案に乗っていただいたのは、その主旨を理解していただいているからだろう。Wさんがいくつか全壊した家屋の主と役場に許可申請して、土台の木を余すことなく活用できるよう手配していただけることになった。私はこの七ヶ浜の血と肉である、土台の木を両手に携えながら、決意を新たにした。